第4話

迷宮第四層。地下都市の中心部であり、迷宮の最も重要なエリアとされている場所だ。一説には未知の第五層への入り口があるとも言われている。


第四層は都市の外縁部にあたる第三層とは異なる雰囲気がある。重厚な石壁とコンクリートで構成された居住空間が広がる第三層と比べ、第四層は壁も床も天井も白色のセラミックスで作られており、生活の痕跡を感じさせない。


また荒れ放題となっている第三層に対して、魔導兵が機能している第四層は比較的に清潔で生息している魔物も少ない。


とはいえ、神聖王朝時代のまま完全に残されているわけでもなく、動力が失われて動かなくなった魔導兵の残骸がそこらに落ちていたりする。都市全体のエネルギーも足りていないのか、灯りがつかず暗闇に覆われている箇所が多々あった。


そんな第四層の一角。光の届かぬ通路で冒険者ノラは強力な魔物アラクネと戦っていた。


紫色の光が暗闇を切り裂く。人の背丈ほどあるアラクネの脚が宙を舞った。


「ちぃっ!」


地面を強く蹴る音。その直後、敷石が砕け散る音が広間に響きわたる。シュッ、と空気が抜けるような音とともにアラクネが口から酸を吐いた。


「うわっ!」


後ろに下がったノラは、飛んできた酸を慌てて回避する。


「酸を吐いた!? 変異種か!」


ノラは短剣を構え直しながらアラクネを見た。アラクネは顎を鳴らして怒りを露わにしている。ノラは冷や汗を流しながらも口角を上げた。


「そう怒るなよ。八本ある内の一本を切っただけだろ?」


アラクネが突進してくる。七本脚となった状態でも動きは速い。逃げてもすぐ追いつかれるだろう。狭い通路では横に避けることもできない。


ならば出来ることは一つ。ノラは前に踏み込んだ。眼前を迫る鋭い牙を寸でのところで身を屈めて躱し、そのままアラクネの下に潜り込む。


頭上をアラクネが通り過ぎていく。その瞬間をノラは逃さなかった。


(…ここだ!)


ノラは、アラクネの頭と胴体の間にある節を左手で掴んだ。


「……っ!」


アラクネの勢いは凄まじく、節を掴んだ途端にノラの身体が浮き上がる。全体重の負荷が集中して左手の骨が悲鳴を上げる。痛みに耐えつつ、ノラは片手で懸垂をするように身体を持ち上げると、『強化』の魔術を発動させた短剣を節に突き立てた。


外骨格の隙間、柔らかい肉の部分を紫の光をまとった刃が切り裂いていく。短剣を持つ右手に硬い触感を得た。


「見つけた!」


ノラは右手に力を込めて短剣を深く突き刺し、アラクネの神経を断ち切る。その途端、アラクネの挙動がおかしくなった。頭と脚をつなぐ神経が断たれ、身体を操作することができなくなったからだ。


「よし、……うわっ!」


まともに動くことができなくなったアラクネが壁に衝突する。ノラは短剣を引き抜くとすぐにアラクネの身体を蹴って離れた。


重い音が通路に響きわたる。勢いのまま壁に衝突したアラクネは、地面の上にひっくり返ってもがく。神経を切られてもアラクネの各部位は自動的に動くようになっている。だが、統制がとれず動きがちぐはぐなため起き上がることができない。


ノラは慎重にアラクネの頭に近づいた。左右に分かれた顎にはさまれないよう注意しながら顎の根元に短剣を突き刺す。そしてそのままアラクネの脳を破壊した。


先ほどまで顎を鳴らしていたアラクネが沈黙する。脚も折りたたまれて丸くなっていた。


「……死んだか」


しばらく様子を見て、アラクネの死亡を確認してからノラは大きく息を吐いた。


(危なかった。もう少し気付くのが遅ければ、俺が死んでいた)


ノラがアラクネを発見したのは全くの幸運によるものだ。不意に違和感を持ち天井を見上げたら、アラクネが今まさに襲いかかってくるところだった。


心臓の鼓動が激しい。深呼吸を繰り返してノラは気を落ち着かせた。


『強化』の魔術を解除すると、全身からどっと汗が吹き出た。魔力適正の低いノラにとって、『暗視』と『強化』の魔術の併用は身体への負担が大きい。『暗視』は第四層に入ってから常に発動させている。魔導兵への対策のためであるが、魔術を使用し続けることはノラにとって容易なことではなかった。


(魔術の使用はあと一回が限度だな。考えて使わないと)


ノラは水筒を取り出して大きくあおった。喉を鳴らして水を飲み干す。


(しかし変だな。こんな場所でアラクネと遭遇するとは)


ノラの知る限り、アラクネは第三層にいる魔物だ。魔導兵が守備する第四層で遭遇することは今まで一度もなかった。


何か迷宮に異常が起きている。原因は今のところ全くの不明だ。だが、この異変が仲間たちの失踪と関連しているとノラは感じていた。


「……もう少しだ」


迷宮最深部はすぐそこにある。仲間を失った忌まわしい場所。ノラは水筒を仕舞うと再び歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る