あしたのために(その53)二人の友情は永遠なんだ!

 沢本の母は、ベッドで布団を被っている我が子を呆れた目で見ていた。

「いま、川地くんきて、お見舞いって」

 ビニール袋を枕元に置いた。「明日は学校行きなさいよ」

 母が出ていくと、沢本は布団から腕を伸ばし、袋の中身を取りだした。

 シベリアだった。

 沢本は窓をあけた。

 家の前には、誰も歩いてはいなかった。

 沢本はシベリアを食べながら、涙を流した。昔はやたらと泣いて、「安い涙だな」と川地にいつもからかわれていた。

 カワちんは、あのとき、めちゃめちゃ悔しかっただろうに、ぼくの前では笑って手を振っていた。それなのにぼくは、カワちんから逃げて。

 シベリアは、川地と沢本にとって、大切な味だった。


 花岡高校の試験日、東京は大雪が降った。試験を終えると沢本は川地の家に向かった。靴下がびっしょりと濡れて、気持ち悪かった。

「カワちん、大丈夫ですか」

 川地の母に、沢本は訊ねた。

「あのコは本当に……、風邪だから仕方ないけれど、せっかく頑張って遅くまで勉強していたのに。とことんついてないっていうか」

 川地は第一志望の花岡高校に余裕で合格圏内だったのに、発熱してしまい試験を受けることができなかった。

「サワもんちゃんはどうだったの?」

 川地の母が訊ねた。

「全然だめでした」

 沢本は首を振った。川地が受けるというから、ハナ高を受けたのだ。川地が行かないのなら自分はべつに行きたくない。あのオシャレな制服とか、改築したばかりの新校舎だって、魅力に感じられなかった。だから沢本は、名前と受験番号以外、一文字も答案に書かなかった。

「これ、おみやげです」

 沢本は途中のコンビニで買ったシベリアを渡した。

 帰ろうとしたときだった。

 二階の川地の部屋の窓が勢いよくあいた。

「さっさと帰れよ! お前も風邪引くぞ!」

 咳きこみながら川地が顔を覗かせた。

「カワちん!」

「俺さあ、明後日のイチ高、確実に受かるし、お前ちゃんと『でる順』確認しとけよ!」

「うん!」

「またお前と三年つるむのとか! マジでダリいんだけど!」

 川地が苦しそうに咳きこみながら言った。

「そんなこと言わないでよ! カワちんいなかったら、しまむらで似合う服見つからないし! ガストでなにを頼んだらいいかわかんないし! それにカラオケで一緒に『ゆず』歌ってくれる人いないもん!」

 川地がどれだけ大切で心配か、いくらでも挙げられるはずなのに、そんなくだらないことしか、とっさには言えなかった。

「なんだそりゃ」

 川地が苦しそうに咳きこんだ。

「サワもんちゃんがお土産買ってくれたわよー」

 川地の母が、困った顔をしながら笑って川地に声をかけた。

「どうせシベリアだろー?」

 川地は嬉しそうに言った。


 そうだ、あのときだって、カワちんは、ぼくのせいで殺されかけたんだ。

 あのことを絶対に思いださないように、カワちんは、ネットやSNSにできるだけ触れないようにしている。ふと魔が刺して、あのことを検索してしまわないように。

 もうすっかりみんな忘れていた。話題にものぼらない。世の中は、悲惨な出来事や注目される事件が次々起こり、忘れられていく。でも、川地も、家族も、沢本も、忘れたように振る舞っているけれど、ずっと覚えている。


 世田谷区幼児誘拐殺人未遂事件

 被害者 川地オサムちゃん(8)

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