あしたのために(その51)カレーは飲み物ではない

 狭い階段を登っていきつけの飲み屋に入ると、藏原がカウンターで名物のカレーを食っているところだった。

「気軽に呼びだすな」

 蔵原はスプーンを掲げ、口を動かしながら西河に言った。

 西河もカレーを注文し、二人は他愛のない話をした。いつまでも西河の表情は硬いままだった。

 食べ終えてから、西河は本題を切りだした。

「中平が部室にいるらしい」

 大真面目な西河を、しばらく蔵原は眉間に皺を寄せ見つめた。そしてぷっ、と吹きだした。

「保健室でカウンセリングしてもらえよ」

「俺だって信じられねえよ、でも生徒たちが見えているんだよ……」

「最近はそういうホラーが流行ってるのか? 参加型?」

 いくら茶化しても西河の顔は緩もうとしない。「集団ノイローゼ?」と蔵原は多少譲歩して、話を合わせた。

「どうやらヲタ芸も中平の差し金だったらしい」

 西河が頭を抱えた。

「百歩譲って、性欲持て余した生徒たちが集団幻覚に陥っているかもだが、もし中平の亡霊が餓鬼どもに取り憑いていたとて、誰も困らないだろ」

 蔵原は平静を装って言った。もし本当だったら異常事態だ。当たり前だが、どうしても信じられない。

「なにをぬかしているんだ?」

「ヲタ芸でパフォーマンスフェスティバル悲願の優勝、お前の夢だったじゃん。叶ったら死んでもいいくらいだろ」

「お前だって購買部のオヤジなんだから、少しくらい生徒たちを心配しろよ」

「見守るだけでいいだろ、若え衆を止めたところで、聞いた試しがあったか? 自分がまるでダメなオジになってわかったよ。オジはな、誰も守ってくれないの。なのに守るべき大事なものは増えていくの。そりゃ置きに行くだろう。あいつらも年を取ったらわかる。だから今は好きにさせておけば」

「中平は……おっさんになる前に死んだんだ。だから、止まってんだよ。ロック? ていうか反体制? 汚い大人をやっつけろ的な? そういうのを、生徒たちにオルグしてんじゃねーかって、心配なんだよ」

「別にいいだろ。無茶するのに年齢制限はないけど、年取ると身体がついていかないしね。お前、自分が若者じゃなくなったからって、悔しいんじゃないのか?」

「んなわけねえわ。高校生なんて戻りたくもねーし。酒も飲めないしお姉ちゃんのいる店にも行けねえ」

「くだんねえな、それしか大人になってできることが増えないんだったら」蔵原が前を向き、懐かしそうな表情を浮かべた。「たしかに中平のアジテーションはひねた餓鬼の思想だったよ。だが餓鬼からしたら、どうにかして自分の世界を規定したいってもがいてたんだろ」

 蔵原は自分の顔が、ひどく強張っている気がして、指で強く揉んだ。「それにしても、大人には見えないって、あいつトトロかなんかか」

「体型なだけに?」

 西河は薄く笑った。

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