あしたのために(その50)校歌はちゃんと覚えとけ

 石原が稽古のため、夕方学校にやってきたときだ。

「いたー!」

 沢本が猛ダッシュして向かってきた。タックルして抱きつき、泣き喚きだした。石原はなぜこんな仕打ちを受けるのか、さっぱりわからなかった。西河が、カワちんが、芦川のせいで、となにかを途切れ途切れに訴えてくるのだが、話の全容をまったく理解できなかった。

「……いきなりクライマックス」

 石原は耳を押さえていた手を沢本の肩に置き、とにかく引き剥がそうと試みた。力強い沢本の抱擁を解くのに時間がかかった。

「これ、学食で買ったシベリア! あげるから! 許してえ!」

 沢本が頬にぐいぐいと菓子を押しつけてきた。

「……どうも。でもシベリアは武器じゃない、意味ないから、おやつで刺さないで……」

 石原は沢本をなんとかなだめ、事務室そばのベンチに座らせた。

「ぼく、好きなんだ、シベリア」

 結局菓子は、沢本が食べた。

「……よかったです」

 やっと落ち着いたらしい沢本に、石原は安心した。

「実は歌詞のことなんだけど」

 沢本がすまなさそうに切りだした。

「……まだ叩き台ですけどざっと曲を作ってみました」

 ちょうどいい、その話をしたかったんだ。みんなより先に、発注者である沢本に話しておこう。

「えっ」

 沢本が顔を歪ませた。

「……インスピレーションが湧いてきました。歌詞を切り貼りしてみたんですけど、まだ自信がなくて……ちょっと聴いてみませんか」

 石原はバッグから MacBookをだした。

「え、パソコン?」

 沢本が目を丸くした。「お金ないんじゃないの?」

「……もらった文章……最初なにが言いたいのかさっぱりわからなかったんですけど、何度も読んでいたら、好きな人にどうやって、自分がどう好きか伝えようかって、すごくぎこちないけれど、優しいものを感じました。ああ、なんかいいなって」

 操作しながら石原は話した。

「そんなふうに思ったんだ」

 その音楽は、アップテンポなのに、どこか気持ちを落ち着かせた。そして、ボカロが抑揚なく歌いはじめた。

 川地の長ったらしい手紙の一部だった。

 中平も、読み終えたとき、「気持ち悪いけど、切実だね」と優しい目をしていた。その言葉を聞いて、いつものブラックユーモアかと笑ってしまった。自分は読めていなかった。中平や石原は、川地のこめたものを、ちゃんと汲んだんだ。自分は川地の一番そばにいて、なにもかもわかっているつもりでも、嫉妬の色眼鏡越しで見て、気づいてやろうともしなかった。

「いい曲だね」

 沢本は鼻をすすった。川地の書いた文章から、こんなきれいなものが生まれるなんて。

「……でも、まだなにか足りない気がするんです。カワちんさんの感受性を、なにか別のものに託してみたら、きっとぼくたちらしい曲が仕上がると思うんだけれど」

「だったら本当に申し訳ないんだけど、この歌詞は……」

「……サワもんさんが褒めてくれるなら、これグループに送っておきます」

「グループ? なにそれ」

 石原が嬉しそうに手を動かしている。沢本はディスプレイを覗きこんだ。

「……カワちんさんとサワもんさん、スマホ持ってないじゃないですか。他のみんなは持っているから、連絡用に」

「え? いま、みんなに曲送っちゃったの?」

「……はい。意見も取り入れたいし、ぼくがどんな曲を作るか知りたがっていたから」

 石原が照れくさそうに笑った。

「待って、消して、削除して」

 沢本は石原のMacBookを掴み、揺らした。

「……え?」

「ヤスユキさん」

 声がした。二人の前に理事長が立っていた。

「こんにちは」

 沢本が反射的に立ち上がって挨拶すると、

「授業には出ないのに、学校にはくるのね」

 理事長が言った。

 石原が顔を逸らした。

「あの、彼とは、部活が一緒で」

 沢本は庇おうと代わりに答えた。

「たまには帰ってきなさい。店の売り物なんかを使って練習するなんてみっともない真似をせず、うちのピアノを弾けばいいじゃないの」

「へ?」

 沢本は理事長がなにを言っているのか、わからなかった。理事長と石原を交互に見た。二人とも、説明してくれない。

「……ルリルリ」

 石原が困った顔をしている。

「元気そうで安心したわ」

 理事長は去っていった。

「お知り合い? ていうかルリルリって、なに?」

 沢本は理事長が見えなくなってから、訊ねた。

「……祖母です」

「は?」

 あまりの衝撃発言に、さっきまでの感情がどこかに飛んでいった。「え、イシハラって、御曹司?」

「……いや、そういうんじゃないんですけど」

「でも貧乏なんじゃなかったっけ?」

 沢本は気が動転して、失言していることにまったく気づかなかった。

「……どこ情報ですか、それ。まあ生活水準は高くはないですけれど、自分の遣うお金は自分で稼いでいるので」

「え、なにやってんの?」

「……曲を作って、最近は収益で」

「きみ、誰?」

 沢本は石原の顔を覗きこんだ。石原は顔を背け、

「……ネットではストーンフィールド、SFって名乗っています」

 その言葉に沢本はびっくりしすぎて、顎が外れそうになるまで口をあけた。

「ごめん、情報量が多すぎてパンクしそう。とりあえずひとつずつ聞きたいんだけど」

「……はい」

「理事長のこと、ルリルリって呼んでるの?」

 沢本が顎をさすりながら訊ねた。

「……ルリコだから、ルリルリって呼べって。小さい頃から半ば強引に」


 石原は「内緒にしてほしい」と前置きして話しだした。

 祖父である先々代の理事長がなくなったとき、継いだのは婿養子である石原の父だった。しかし石原の父は経営の才覚がなかった。理事長は娘夫婦を離婚させ、婿養子を追い出した。誤算だったのは、娘が従うと思っていたのに、夫の元へ息子を連れて去ってしまったことだった。

 石原は、家族が再び元に戻るきっかけを作ろうと、イチ高に入学したが、すっかり変わり果てた祖母の横暴な発言を入学式で聞き、学校に行くのをボイコットした。

「……来年イチ高は生徒を募集しないつもりです。着々と廃校へと動いています」

 石原は、ため息をついた。このままでは、なにも変わらない。

「新入生来なかったら文芸部も終わりだあ」

 沢本が天井を見上げた。「西河が部活決まらないやつ、適当に入れてなんとか存続させていたんだって。だって、唯一自分から入るって言ったの」

 はっとした。

「……なんですか?」

「ううん」

 そうだ、川地だけだったのだ。だから中平は、川地のことが可愛くて仕方がないのかもしれない。

「この話は内緒でお願いします」

 石原が立ち上がり、壁に飾られた巨大な版画を見上げたときだ。

「なあに? 校歌?」

 石原が硬直してるのを見て、沢本も立ち上がった。

 そこにはこの学校の校歌が刻まれていた。

『青春讃歌』作詞、石原康隆、とある。

「……祖父は詩人だと聞いていました。といっても、いまでいうインディーズで、ただの趣味でしたけど」

 しばらく石原は、校歌をただ眺めていた。

「校歌を書いたのって、イシハラのおじいちゃんってこと?」

 沢本の問いに答えず、石原はしばらく校歌を眺めた。そして、

「……この学校の、校歌で踊ってみませんか? カワちんさんと、ぼくらの気持ちを付け足して」

 と言った。

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