あしたのために(その47)悪魔のようなこいつ

 沢本はニヤニヤして封筒を西川の前へ滑らせた。まさに善悪を知らない、「恐るべき子供」だ。

「みんな人の手紙とか日記、大好きじゃないですか。ダーハマなんて、妹のSNS、毎日監視して、正体を隠してクソリプおじさんみたいになっているし」

「最悪すぎるだろ、その巻きこみ暴露」

 西河は封筒を沢本に戻した。

「いくら捨てたからって、拾うのは駄目、晒すのなんて論外。破棄しなさい」

「えーっ、最高なのに」

「個人宛を、お前ってやつは」

 結局西河は抗えなかった。「ま、教え子と悩みを分かち合うのは教師としての務めだから」

 そこにあったのは、びっしりと改行なしで書きこまれている、筆圧の強い文だった。しかも便箋を数えたら十枚ある。正直読む気になれない。

 西河は読んでいるあいだ、何度か呼吸を忘れそうになった。

「どうですか?」

 沢本は笑顔で訊ねた。

 西河は、手紙を机に放って、そして、目をしばたかせた。

「正直、読むまでは文豪の生原稿かと思った。これはまた、旨みが凝縮されて歯応え抜群、飲みこんだら腹がびっくりするレベルで。なんというかスパイスが効き過ぎて舌が麻痺しそうなヤバいアジアめしみたいな」

「なにその忖度して伝わりにくくなった食レポみたいなの。まずいってこと?」

「いや、最高すぎて、令和になって初めて泣きそうになった。タンスに小指ぶつけて以来だ」

 しかし、と西河は言葉を続けた。「これ読まされる者の身にもなってみろよ、重過ぎ」

「でしょ?」

 沢本は我が意をえたりと得意満面だ。

「この手紙が相手に渡らなかったのは、事故を未然に防ぐことができた、としか」

「というわけで、この超大作のラブレターをPDF化してイシハラに『歌詞できた』って送信しちゃいましたーっ」

 沢本が舌を出しておどけた。

「はあ?」

「想いが溢れちゃったみたいだから、適当に切り貼りして、って」

「お前、それは」

「だっていつまでたっても歌詞ができないほうが大問題じゃないですか」

 西河は、目の前の生徒に、ひいた。こいつ、悪魔だ。

「人の心、どこに置き忘れてきた」

「ママのお腹の中に。生きる上で必要ないもん」

 沢本は全く悪びれる素振りもしない。

「Z世代の心、図りかねるわ」

「そうそう、歌うのもボカロでよくね、って思ってたんですけど、やっぱ初音ミクもいいけど感情こめてもらったほうがアガるから、ディーバが必要だなと……。この計画がうまくいったら、カワちんは一皮どころかズル剥けになるんじゃないかな」

 沢本が嬉々として悪巧みの一部始終を語りだし、西河は戦慄した。こいつ、川地のためなら当人がボロボロになる可能性があるとしても構わないのか。

「ワタリとコバやんの『わた☆こば』カップルはきっと大会でも人気になるし評価されるだろうけど、最終的に優勝決めるのって、どうせオジでしょ。あいつら無難なとこに置きにいくから、宝田が優勝するのは既定路線。日本、センスない老害が支配してるとかゾッとする」

 沢本の語り口はどこか聞き覚えのあるものだった。懐かしい、とすら一瞬感じた。いや、まるで、憑依されている、とすら思えた。

 あいつに。

「お前、この手紙、石原以外に見せたか」

 西河は危険を感じた。

「え」

「お前が川地に依存してるクソ餓鬼の皮を被った悪党なのはわかった」

「ひどい、生徒に向かって誹謗中傷」

「お前が言える立場か。未成年だったらなにしたって許されるとか思うなよ。この計画を、誰にも言っていないな?」

 流石に酷すぎる。校外の人間を関わらせるのも反対だ。

「一人だけ。ていうか、そうしろってアイデアを授けてもらいました」

「誰だ、小林か」

 いや、あいつはそんな悪知恵を働かせるようなやつじゃない。

「中平さん」

 西河はその名前を聞いて、頭が真っ白になった。

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