あしたのために(その36)はじめての尾行・初級編

 日曜日の原宿は、春らしい鮮やかな色を纏った人々でごったがえしていた。みんなそれぞれにとってのおしゃれな格好をして、楽しげに歩いている。なに一つ、問題はない。

『ターゲット発見。ラフォーレ方面に移動中、どうぞ』

 沢本の声がトランシーバーから聞こえた。

「了解。適切な距離を保ち、ターゲットを肉眼で捉え続けるよう、どうぞ」

 川地は応答した。沢本と合流すべく、信号が青になるのを待っている。

『了解。ちなみに昼飯はハンバーガーを希望、てりたまてりたま! どうぞ』

「ミッション完了まで食事は不可能、集中力を保ち、任務を遂行する。どうぞ」

『ええ〜っ、……了解、どーぞっ!』

 なぜ街中で、川地と沢本がこんな大昔のスパイの真似事をしているのか?

 女の子を尾行をしているのだ。


 先日部室にやってきた浜田が、こんな話を持ちかけてきた。

「妹のことなんだけど」

「ああ、サユちゃん!」

 三橋が声を弾ませた。

「なになに? もう今いくつになったの?」

「中二」

「久しぶりに会いたいなあ」

 全員が兄目線になって成長を喜んでしまう浜田の妹、サユリ。以前文化祭にやってきたとき、生徒たちはかわいい、浜田にはもったいない、ていうかちょうだい! と大騒ぎした。

「変な目で見たら殺すぞ、てめえら」

 浜田の形相が変わり、喧嘩慣れしていないチンピラみたいに声が裏返った。

 むしろお前が変な目で見てんじゃん。と全員が心配するほど 浜田は妹を溺愛していた。

「実は妹が最近、週末のたび原宿を彷徨っているんだ」

 浜田が暗い顔で語りだした。

「行くだろ、原宿くらい。逆にトー横とかカブキじゃなくてよかったよ」

 津川が言った。そっち方面に行っちゃうと、いくら周りが止めても軌道修正は難しい。

「……サユの部屋からこんなものが出てきた」

 津川の横槍を無視して、浜田はリュックサックを漁りだした。

「妹の部屋に、まさか勝手に入ったのか?」

「最悪」

 非難の声があがってもまったく浜田はめげず、

「なんとでもいえ。妹が悪の道に引きずりこまれないようにしないと」

 雑誌をテーブルに放った。

「ただのアイドル雑誌じゃん。これがなんなんだよ。まさか推し活まで干渉するつもりかよ」

 ただ、表紙が宝田ハヤトのニヤケ顔で胸糞悪い。ついにアイドル雑誌の表紙にまでのぼりつめたらしい。とんでもないスピードで我らが仮想敵は遥か遠い場所へ向かっている。

「付箋のついたページを見てくれ」

 川地が手に取り、雑誌を開くと、


 特集 みんなもなれるかも! 私がステージに立つまで!


 とある。アイドルのデビューまでの道のりが紹介されていて、どこでスカウトされたか、などが詳細に書かれていた。

「妹が俺だけでなくみんなのアイドルになってしまう!」

 浜田が頭を掻きむしって嘆いた。

「まじキモイなこいつ」

 津川は呆れた。

「アイドルになったらスギちゃんやキノっぴいみたいなオタクたちに見つかってしまう!」

 この場にいないクラスメートの名前をあげ、浜田はのたうち回った。滑稽を通り越して、怖い。

「っていうことはサユちゃん、原宿でスカウトされたいのかあ」

 沢本がどうでもよさそうに言った。

「まあ、スカウトされてもおかしくないルックスだしなあ」

 高橋が頷く。

「もしアイドルになるなら、推す! 課金も厭わない!」

 三橋がこぶしを握りしめた。

「お前、メイちゃんが好きなんだろ」

 赤木が三橋の頭を叩いた。

「原宿でスカウトなんて! 絶対にろくなやつはいない! 全員悪党で詐欺師だ!」

 浜田がわめいた。「とにかく俺だけじゃサユを守りきれない! 助けてくれ!」


 というわけで、川地と沢本は日曜日に、原宿でサユの行動をこっそり見守ることになったのだった。

 川地は人の流れに沿って、ぶつからないように恐る恐る歩いた。ちょうど明治通りで信号待ちをしているときだった。

「川地くん?」

 声ですぐにわかった。まさかまさかまさか、川地の心臓が止まりそうになった。

 まさか、こんなところで。

「芦川さん」

 やっとのことで声を絞りだした。

「最近同じ電車に乗らないね」

 芦川に微笑まれ、川地は緊張した。

「そうですね」

「どこ行くの」

「ええとええと」

 さすがに同級生の妹を尾行しています、なんて言えなかった。かといって、うまい理由も浮かばなかった。

「いいよいいよ、言わないでも。わたしは今から美容院」

「そうなんですね」

 淡白な反応をしてしまい、余計心中で慌てた。原宿の美容院。おしゃれだ。自分なんて近所の千円カットだ。

「そういえば前に川地くんが読んでた『魔法』、買ったよ。ねえ、最後あれってどういうこと? 気になって二回読んじゃった。川地くんはどう解釈した?」

「え、ええ」

 川地は緊張してしまい、うまく頭も口も回らない。

「ごめんね、こんなところで。今度話そ。あと、また面白い本読んでたら教えて」 

「はい!」

 芦川は手を振って去っていった。川地は後ろ姿をぼうっと眺めてしまった。信号が青になり、通行人に肩をぶつけられても、そんなもの、気にならなかった。

『はぅわ!』

 手にしていたトランシーバーから奇声が聞こえた。

『サユちゃん見失っちゃった!』


 作戦本部にしているコーヒーショップに、川地と沢本は向かった。混雑した店内の奥で、仁王の形相をして腕を組む浜田が二人を迎えた。

「おいゴミクズ野郎」

 いきなりの恫喝に、二人は身を縮こまらせた。

「申し訳ない!」

 川地が、隣で小さくなっている沢本の代わりに謝った。

「おいこのタコ助が!」

「……ごはん食べてなかったし、クレープ食べたかったんだもん」

 沢本の口元から甘い香りが漂ってきて、なにも食べていない川地は、憎たらしかった。

「てめぇら使えねね」

 浜田がアイフォンを取りだした。

「ダーハマ、もしかしてそれ、最新機種? しかもプロマックス?」

 沢本が目を輝かせた。「触らせて!」

 スマホを学校に持ってくるのは禁止だが、所持までは止められていない。むしろ川地と沢本がスマホを持っていないのが珍しい。

「尾行もろくにできないやつに触らせてやるアイフォンは、ねえ! 最終手段だ。サユのカバンについているマイメロに、GPSを仕込んでおいた」

 浜田は顔をしかめながら操作しだした。

「位置確認できるなら、ぼくら必要ないじゃん」

 沢本が不貞腐れながらつぶやいた。

「ボディガードも兼ねてだから」

 川地がたしなめた。口答えできる雰囲気ではなかった。

「場所は……どういうことだ」

 浜田が眉をしかめ、唸った。

「どうなされましたか……」

 川地はへりくだって訊ねた。

「明治神宮にいる。しかも、宝物殿前広場?」

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