あしたのために(その35)最強の男、渡シロウ登場!

 部活終わり、サッカー部の部室で一人、ため息をつく男がいた。

「ない」

 その日、葉山と同じくノーパンでいることを余儀なくされた男、渡シロウである。

 下着を紛失? するのに慣れているので、渡は慌てることもなくさっさと制服のズボンを履いた。

「渡先輩! お疲れ様です」

 部室を出ると後輩が渡に礼儀正しく挨拶をした。「どうなさったんですか?」

 後輩は渡の一歩あとに続いた。サッカー部では後輩が先輩の横を歩いてはいけない決まりだった。渡の背中を眺めながら、後輩は謎に頬を赤らめていた。

「またパンツ盗まれた」

 渡は忌々しげに言った。

「大丈夫ですか」

 後輩が心配そうに声をかけた。

「別に。そんなことより次の試合のほうが大切だからな」

 渡が振り返り、後輩に微笑んだ。

「はいっ! 先輩の部長引退試合、絶対に勝ちましょう!」

 後輩は、恍惚とした表情を浮かべていた。

 三年D組には、校内で人気を二分するモテ男がいた、「三茶の狂犬」小林とサッカー部キャプテンの渡だ。

 小林が不良の憧れる兄貴分だとしたら、渡のほうはガチ恋勢を多く抱えていた。

 校内最強勢力と恐れられている、サッカー部のボスである渡は、サッカーのことしか考えておらず、周りの熱い眼差しなど気にもしなかった。

 弟になりたい先輩第一位、抱かれたい先輩第一位。渡の知らぬところで、そんなランキングだってあった。渡の汗を舐めたら万病に効く、渡の体毛をお守りにすると夢が叶う、などなど謎の噂まで囁かれている。一年生のときに冬の逗子まで行って開催される、寒中水泳実習で撮られた白褌姿の写真が、一部の後輩たちの間で高額で裏取引されており、イチ高内でのみ、渡はあらゆる英雄・宗教教祖を超えた、と言っても過言ではない。

 ところで、二人に熱い想いを伝えようとするチャレンジャーはいなかった。渡を煩わせてはいけない、という配慮からだった。小林になにか言ったらぶん殴られそう、という恐ろしさからだった。

 渡は一部の男たちに過剰に愛されているものの、女にはモテなかった。サービス精神とか愛想というものが彼には欠落していた。

 以前とある女子に拝み倒され、デートをしたときのことだ。全く会話が盛り上がらず、男女の会話の最終奥義、話題の尽きたときの最後の一撃を放たれた。

「好きなジブリ映画、なに?」

「観たことねえや」

 女の子は、泣きだした。


 そして渡の部長引退試合が終わった。

 試合に勝利を収め、部員たちは渡に抱きつき、胴上げした。ファミレスでの打ち上げでは、数名が感極まり、渡に愛の告白めいたことを口走ったが、渡は「後輩に懐かれている」と受け取り、笑顔を浮かべるだけだった。

 すべて終わり、ひとり帰っているときだった。

「ちょっときみ」

 夜道でおっさんに声をかけられた。

「きみに頼みたいことがあるんだ」

 薄暗闇でも、おっさんがにやついているのがわかった。

「あんた、なんだ?」

 以前渡はファンだと名乗る男に粘着されたことがあり、警戒した。的外れなダメ出しや、「きみのためを思って」なんておせっかいをしてくるやつには注意が必要だ。

「残念ながらぼくはきみを性的な目で見る趣味はない」

 そう言われ、渡は黙った。

「きみのことを好きになって、そして失望して去っていった女の子たちと同じように、いまのきみは物足りないよ」

「なんだお前」

 渡が睨みつけても、おっさんはにやけたままだった。

「きみは才能がある。ユースにだって選ばれかけた。プロリーグだって通用するだろう。でも君は、どれだけ立派な個人成績を残していても、注目されず、声をかけられることは、なかった。なぜだと思う?」

 目の前のおっさんに、渡は怒鳴り散らしてやろうかと思った。夜道で突然、俺にダメ出しをしやがる。こんな、年を食った、ただのデブの、風体のあがらない、クソみてえなやつ、若い自分からすれば、「何者にもなれなかったただの肉の塊」に、あれこれ言われる筋合いはない。しかし、渡は黙って堪えた。問題を起こして部活停止なんて、絶対にあってはならない。

「わからないなら教えてあげるよ。君はコミュニケーション能力が足りない。あと目上の人間に対して愛想も悪い。自分が努力しているのに、他人はなにもしていないと、いつだって憤っている。面倒臭いったらないなあ、選ぶ側からしたら」

「知ったふうなことを言ってくれるじゃん、おっさん」

「しかしきみはいい顔をしているし、いい身体をしている。パフォーマンスってのは体幹がしっかりしていることと、下半身の筋肉がものをいう、いいね、足、パンパンで。最高だよ。そそるねえ」

 やっぱり変質者か?

「ちょっと顔貸してもらえるかな」

 おっさんは薄笑いを浮かべたまま、手招きをした。

「きみのサッカーが新たな段階に向かうために、手伝えることがある」

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