あしたのために(その19)最初の挫折で諦めるのか?
「珍しいじゃん、一人でくるなんて」
川地が部室に入ると、ソファーに寝そべっていた中平が起き上がった。
「なんか、やっぱ思い上がりだったんだなって」
川地はそばの椅子に座った。
朝、教室に入ると、クラスメートたちがにやにやしていた。小林の手前、誰も昨日のことは触れなかったけれど、恥ずかしくて死にたくなった。
「軟弱だなあ、たった一度の失敗で。諦めたらゲーム終了ですよ?」
「それ、中平さんの体型で言われると笑えますね」
「へえ、あの漫画は読んでたんだ」
中平が笑った。「とりあえず、宮本武蔵の続きを早くお願いしたいよねえ」
「ステージに立った瞬間ビビって、しかもぼーっとしちゃって、動けなくなっちゃって」
川地は天井を見ながら言った。
「そりゃそうだろうよ。初めてあんなふうに、人前に立ったら。きみ、無駄に責任感強そうだし、人一倍、失敗したらどうしようって思ってたんでしょ。サワもんはああ見えて肝が据わってるというか、やると決めたらやるでしょ。他ならぬきみの夢のお手伝いなわけだし。コバやんはそもそも人に見られようが関係ないタイプだよね。ぶっちゃけ、きみが一番弱っちい」
「やな人間観察だなあ」
川地は空笑いをした。このオジ、よく見ている。いや、きっと誰が見たってそうなんだ。
「きみは人の目を気にしているし、そのくせ視野が狭い。あげく最初のステージで失敗したら、すぐ沈んじゃってさ。一番ダメなコだよ」
「ひでえ」
「そうかな。でも、きみ、あのときのステージで、最初の数秒は悪くはなかった」
「全然覚えてないです」
「うん、風に吹かれた気がした。打ち出すまでの気迫、すごかったよ。多分お客さんもあのとき期待した。なのに、集中できずに醜態さらしちゃってさ」
窓から、部活の声が聞こえた。部室の電気をつけようかな、と立ち上がると、
「そのままでいい」
中平が止めた。「そのまま聞け。きみは無気力なポーズをとっているくせに、妙に一本気で、やると決めたら頑張るところ、ぼくは面白いと思っている」
「どうも」
川地は頷いた。慰められて、余計にみじめになった。
「ぼくはね、自分の言葉がないってきみぐらいのとき悩んでいた。誰かの言葉を借りパクしてばかりだってね。自分自身の腹の底から捻りだした言葉が見当たらなくって、絶望してた」
「なに言ってんすか。中平さんが絶望してたら、人類だいたい絶望してません?」
「……そうだよ。全員絶望から抜け出そうともがいているんだよ。生きるってことは、死にかけてるってことだよ。半端な死体ってやつさ。これも受け売りだけどね。そして誰にも本当のことはわかってもらえないし、完璧に伝えることができなくって、さ。ま、いま思えばそういう答えのない問いの奥まで潜るなんて、暇だったんだな、心が」
「いまだって暇でしょ」
川地はやるせなさをごまかすように、憎まれ口を叩いた。
「いやあ、読むものいっぱいあって、損したよ。世の中面白いもんばっかでさ。一生かかっても世の中の面白いものすべてを味わい尽くせないなんて、最悪だよね。最後まで貪欲に楽しむべきだと今更、うん」
中平は自分の言葉に納得したみたいに頷いた。
「楽しめるかな」
川地はぽつりとつぶやいた。
「自分はダメだって諦めてひねくれるのも、面白いことの一つだよね。人生の味わいでしょ。止めないよ」
「全然面白くないんですけど」
「来週、文化祭の講堂使用の締切だったね」
「なんですか突然」
「舞台で傷ついたなら、舞台で塗り替えればいいじゃん。あのときはバカだって、どうせ時が経てば笑うしかないんなら、ひねくれて自分を嗤うより、朗らかに笑えるようにさ」
「でも、ヲタ芸やるって言ったら止められちゃうし」
「そんなの、ゲリラでするに決まってるでしょ」
中平は呆れた顔をした。
「は?」
「緊張するのは当たり前。台本を作ってあげるよ。西河がキレるくらいで済む。停学には、絶対ならない。まだイエローカード、残ってるよね」
夜、世田谷公園に集まったとき、川地は中平の計画を二人に話した。
「え、それやっていいの?」
沢本は困った顔をした。
「面白いじゃねえか」
小林は笑いそうになるのを堪えているみたいだった。
「ふれあいステージの失敗を塗り替えたい」
本当はもうやめたい、でもこのままではずっと後悔してしまうから、とは言わなかった。
「よし、じゃあYOASOBI、完璧にするか」
小林が首を回した。
部室で中平は言った。
「踊り終えたとき、もうこれでもうやり切ったと思ったなら、文芸部でした、と言って逃げちまえ。もしまだやれると思ったら、理事長を呼ぶんだ。そして宣言しろ。自分を追い込めるところまで追い込むんだ。コソコソするのが一番いかん。自分から逃げられない場所に立ってみるんだ」
当日どうなるか、わからない。
川地は練習を始めた。
リュックの中に、中平に託された『チャート式青春』があった。正直、荷が重すぎる。中平があんな真面目な顔をしていたのを初めて見た。
「これを預けておく。もし、もう一度やると決めたら、これから起こることを記録してみない? 汚い字でも気にしないで、文章だって下手くそでいい。なんのために? きみたちの栄光を、まだ見ぬ後輩へ伝えるために。そして、これを書き繋いできた先輩たちのために。やっぱり無理だと思ったら、バインダーごと捨ててくれて構わない」
とにかく、いまは練習するしかない。
川地はペンライトをつけた。
もう退屈なんてできなかった。
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