第3話「勇者が来る」
魔王との長きに渡る戦いに勝利したセレナク王国は安寧の夜更けを迎えていた。
その王国の権威の象徴たる巨大な宮殿の一室に少女はいた。
「それで、おかしな事態というのは?」
ウエストまで下ろした黒髪に白い肌、全てを見通すような切れ長の目、誰が見ても只者じゃないと思わせる凄みを持った美人。その瞳の虹彩は彼女の膨大な魔力によってほのかに赤い光を帯びていた。
広々とした貴賓室の一角に佇むそんな彼女の姿を、光り輝く水晶玉だけが照らしている。
「まずはこれを見て」
水晶玉の中から語りかける声。光り輝くのみだった水晶玉が、広々とした大自然を上空から映しだした。
「……!」
その光景に、少女は目を疑った。
「始まりの街近辺の山岳地帯の様子よ」
山肌は抉れに抉れており、地面には隕石が落ちてきたかのような大穴が無数に空いていた。
「あなたも知ってると思うけど、この辺の魔獣はレベルが低いの。とてもこんなことができるとは思えない」
自然現象などではない、明らかに強大な何かの仕業。その異常さを、少女も一目で感じ取っていた。
「私もそっちの世界に戻って調査に加わってって。それまでの間なんだけど、確か行くんだよね? 始まりの街」
少女はコクリと頷く。
「軽くでいいから調査をお願いできる?」
「……分かったわ」
「負担をかけちゃってごめんね。傷だってまだ完治してないんだし、あくまで調査だけね」
水晶玉からの声は心身ともに彼女を気遣っていたが、少女にはあまり響いていない様子だった。
「報告はこれで終わり?」
「あ、それとね。一大事ってほどじゃないんだけど、前に北の集落の人々が集団幻覚を見たって話をしたでしょ?」
少女は頷く。
「そのことなんだけど……う~ん。真面目に聞いてね」
「ええ、もちろん」
水晶玉の声は気まずそうに言う。
「詳しく話を聞くとね、みんな一様に『クリオネを見た』って言うの」
今までの張り詰めたような空気が、天使の思いもよらぬ発言で一瞬緩む。少女も思わずその形の良い口をぽかんと空けた。
「クリオネって、あのクリオネ?」
「そう、あの」
「……この世界にもいるの?」
「いや、そんな生き物はいないみたい。不思議よね、どうしてこの世界の人々がそんなことを言い出したんだろ」
少女は終始わけがわからなかった。この世界に存在しない生き物の名前がどうして出てくるのだろうと思案すると、やはり実際に存在して、自分はクリオネであると証言しないことにはありえない事だ。
「(クリオネってどんなのだったかしら……? 確か半透明の、赤い心臓が透けて見える……)」
少女は一瞬、親と連れ添って行った水族館の、足元も見えない暗い通路の壁にはめ込まれた水槽に思いを馳せた。
「まあこっちは今のところ大した問題になってないから忘れてもらっても大丈夫」
忘れられるわけがない、と少女は思った。
「とりあえずそっちの世界で三日後には合流できるから、細かいことはおいおいね。それじゃ、おやすみ」
「え、ええ。おやすみなさい」
強烈な疑問を残したまま水晶玉からは光が消え、部屋は暗闇に包まれた。
「でですね、その上でまず大事なのは、目的を持つことなんですよ」
「ほぉー」
「魔王を倒すという転移者としての目的は無くなってしまいましたが、これをチャンスと考えるんです」
「うんうん」
「誰かから与えられた目標じゃなくって、自分が本当に成し遂げたいと思うことを見つける。あなたたち人間にとってこれほど意義のあることはそうありませんよ?」
「それマジ?」
「真面目に聞いてます?」
突然現れた天使の少女、ムエルに家から引っ張り出された俺は、市場へと向かう道中天使様からのありがたいお言葉攻めを受けていた。
「目標が何たらって話だろ」
正直いくら天使からの助言といえど、前の世界でも耳にタコができるほど聞かされた話を真面目に聞けって言われてもなぁ……
「まあいいでしょう。それでですね、私が天使学校で優等生だった頃なんかは……」
天使学校で優等生だった頃のエピソード、これで何個目かな。
ふと遠くを見やると街の中心部が見えてきた。
周囲の魔物が軒並み弱く、冒険者の卵が集うこの街は「始まりの街」と呼ばれている。
引退した冒険者の隠居先としても人気があるこの街は、夢の始まりと同時に終わりを感じさせる。
ちなみに俺は極度の引きこもりというわけではなく、夜限定だが街に出て
夜になるとどこか寂しさを感じる落ち着いた雰囲気が街を包み、俺はそれを気に入っていた。
それに物価が安く、たまの運搬クエストの報酬金と、転移時にもらった教会からの援助を取り崩す分である程度生活できるのもありがたい。
そういえばこの時間は教会が開いてるんだっけ。
あの人に出くわさなきゃいいけど……
「私人間界の市場って初めてきましたけど、いろんなものが売ってるんですねえ」
ある程度食材を買い込んだ俺たちは、近くの広間で腰を下ろしていた。
「……うぷ」
楽しそうなムエルと反対に、俺は完全に人混みに酔っていた。
「この街の人々は元気ですね〜。それとも何かのお祭りの日だったんでしょうか」
ムエルの言う通り、今日は街の様子がおかしい。まず人が多いし、人々の顔つきもやけに明るい。広場の中央では楽団が景気のいい音楽を奏でており、皆肩を弾ませながら市場を行き来している。
「おや? あの一行は何でしょうか?」
ムエルの視線の方向に目をやると、大通りの奥の方に馬に乗った騎士団の姿が見えた。
「……あ〜。そゆことね……」
そこでようやく、俺はここ数日そこら中に張り出されていた掲示のことを思い出す。
そうだ、魔王を討伐した勇者が祝勝のために帰郷するって掲示にあったじゃないか。やけに騒がしいと思ったが、まさか今日だったのか……。
騎士団の行列はこちらへとまっすぐ迫ってきていた。まずいな、このままだと鉢合わせる。
立ち上がって引き返そうとした俺を、ムエルが引き止めた。
「ちょちょっと、どこ行くんですか。まだお買い物は終わってないですよ?」
「勇者が来る」
「勇者……? あー、だからこんなに賑やかだったんですね」
腑に落ちた表情の天使。
「というわけで、俺は帰る」
「なるほど……いや全然わかんないんですけど!? いやいやいや、せっかくだし見ていきましょうよ〜」
「俺がここにいるってバレたら気まずいだろ」
「ま、まあ転移者は転移者の存在に気づきやすいっていうのは聞いてますけど、バレたら何か不都合があるんですか?」
異世界で暮らしていると、同郷の人間特有の魔力の流れというのに敏感になる。一種の帰巣本能のようなものだろうか。
「魔王を討伐した勇者がこんな始まりの街に3年以上もいる転移者を見たらどう思う」
天使は一瞬、こいつは何を言っているんだ、という表情をする。
「答えは簡単、『この人は今まで何をしていたんだろう?』だ」
ムエルは呆れたように口をあんぐりと空けた。
「……なるほど、普段からそんなこと考えて生きてるんですねあなたは」
「どうだ参ったか」
「あなたには参りましたよ、本当に……わかりました。相手に気づかれなかったらいいんですよね?」
そう言うとムエルはベンチにもたれかかり、目を閉じる。
「まあそうだけど、多分無理だぞ。俺の霞みたいな魔力量でも十分バレるし……のわっ!!??」
突然何かが頭の中に入ってくる感覚。
思わずベンチから飛びのいた俺に周囲の視線が集まる。
『おおー、これは目線が高くていいですねえ』
頭の中で響く声には聞き覚えがあった。
「……ムエルなのか?」
『お、察しがいいですね。正解です』
「え、えぇー……」
隣を見ると、ベンチにもたれかかって微動だにしないムエルの姿。
『うわ、よだれ出てる』
俺の腕が勝手に動いて、動かない少女の口元を拭った。
「正直怖いんだけど、実は天使のふりしたエグめの魔族だったりする?」
『誰が魔族ですか。まあ、確かにこれ天使っぽくないのであまり使わないんですけど』
俺がムエルの隠された能力にドン引きしているその時だった。
「あの、山田くんですよね? どうされたんですか、さきほどから一人で喋ってるようでしたが……?」
突然、俺を「前の世界での名前」で呼ぶ声がした。
恐る恐る振り向くと……修道服に身を包んだ背の高い女性が、こちらを不思議そうに見つめているのだった。
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やっと方向性が決まってきたので頑張ります
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