10――自己紹介


 俺たちが今日から通うのは、東和高等学校という県内の公立では上から大体5番目ぐらいの高校だ。


 普通このぐらいの位置にいる学校は、少しでも偏差値を上げて上の学校を追い抜け追い越せと生徒たちの尻を叩くところが多いと思う。でもこの東和高校は『自律』を合言葉に生徒たちの自主性を尊重してくれていて、受験生には非常に人気がある学校だ。


 俺も家から近いということ以外にも、こういう自由な校風を持つ学校だということも受験した理由として大きなウェイトを占めている。しかしそんな学校でもさすがに入学式という式典では他の学校と同じく、校長先生の長い話やそれに輪をかけて長い来賓の人たちの祝辞を聞くという苦行を強いられるようだ。


 あまりに暇だったので顔を動かさないようにして、同じクラスの女子が横並びに座っている列へと視線を逸らせる。1年生は全部で6クラスあって、俺は1年5組になった。そしてまるで奇跡のような話なのだが、なんと花音と鈴も同じクラスになったのだ。もしかしたら鈴が引きこもりがちだった話があっちの学校の先生からの内申書に書かれていたり、もしくは伯父さんや親父たちが事前に相談していたのかもしれない。その真偽は横に置いておいて、俺としてもふたりと同じクラスなのは正直ありがたい。なにせそんなに人付き合いが上手いタイプではないから、ぼっちにならずに済むのは嬉しい。


 視線を向けてみたものの、残念ながら鈴も花音も見えなかったので視線を前に戻す。あくびをなんとか噛み殺しながら、同じような話を代わる代わる喋る偉い人の話を聞き流すことにした。


 退場する時に保護者の人たちが座る席の間を通ったが、高校の入学式にもなると不参加の保護者が多いのかもしれないと思っていたけど、想像以上の人数が保護者席からカメラやスマホをこちらに向けていた。ちなみにうちの両親は来ていない。俺も来なくていいと言っておいたし、元々仕事が忙しい人たちだからな。俺の入学式の分の休みを、美奈の卒業式や入学式への出席に使って欲しい。


 途中で花音のおじさんがめちゃくちゃ高そうな一眼レフのカメラのレンズをこちらに向けていたので、軽く笑って小さく会釈しておいた。今朝もおじさんへの不満を怒りながら言っていた花音だったけど、これだけかわいがられているんだからそりゃあ俺との同居なんて絶対に反対されるよな。いくら小さい頃から知っているとはいえ、同い年の男が住んでいる部屋に娘が一緒に住みたいとおねだりしてくるとか父親にとっては悪夢以外の何物でもないだろう。


 もちろん花音と疎遠になるつもりはないから、なんとかおじさんの機嫌を取りながら、これまで通りの付き合いをしていくしかないな。もしかしたら花音が暴走して門限を決められるかもしれないけど、その時は花音の行動の責任を取って守ってもらおう。

 一応俺も当事者のひとりなんだから、おじさんを宥めるぐらいはするつもりだ。逆効果になるかもしれないが、そうなったら最終兵器である花音のおばさんにお願いしよう。おじさんもおばさんには逆らえないからな、花音の家の最高権力者はおばさんなのだ。


 入学式の会場である講堂、というか広めの体育館を出て、そのまま5組の教室に戻る。初日だからか出席番号順に決められた席に座るようになっているので、黒板に書かれている席次を確認して自分の席へと座った。この学校の出席番号は男女別なので、俺と同じ名字である鈴が隣の列のひとつ斜め前にいた。さりげなくこちらを振り向いて小さく手を振る鈴に軽く手を挙げて答えると、逆側の隣列の前方から刺すような視線を感じた。


 言うまでもなく視線の主は花音である。ひとりだけ席が離れているからか、何やら恨みがましい表情で俺のことを見ていた。ちょっとの間だけなのに、あいつはジッとしていられないのかと苦笑が浮かぶ。『両手でまぁまぁ』となだめるようなジェスチャーをすると、今度は表情を一転させてにっこりと満足そうな笑顔を浮かべた。どうやらただ構ってほしかっただけらしい。


 そうこうしていると女性の先生が入ってきて、教卓の後ろに立った。スマホを見て暇を潰していた人や入学前からの友達なのか、他の生徒と話していた人たちが慌てて自分の席に座って先生に注目する。どうやらクラスメイトはみんな素直な人たちみたいだ。中学の時は変に不良ぶるヤツらが数人いたから、ホームルームとかも絶対他のクラスよりも時間が掛かって面倒だったんだよな。


 俺は陸上部だったから、運動部の威光みたいなのに守られていたので絡まれることもなかったから楽だったけど。文化部の男子たちとか大人しめの女子が、絡まれて迷惑を被っていたのを何度か庇った記憶がある。もちろん暴力なんて振るってないが、当時は現役選手だったから筋肉も結構あって引き締まっていたし、不良たちも面倒くさく思ったんだろう。


「さっきの入学式でも紹介されたけど、改めまして。このクラスの担任の蒔田 里香まきたりかです」


 まだ若い先生らしく、年齢は27歳だそうだ。去年別の高校からこの学校に赴任してきたそうで、公立高校だと同じ県内だけど転勤があることを初めて知った。何か問題が起こったりしなければそんなに頻繁に転勤させられることはなさそうだし、この先生とは卒業まで何かしら関わり合いになりそうだ。


 先生の自己紹介から、流れるように生徒の自己紹介へと移る。まるでテレビ番組のMCみたいだなぁと思いつつ、今年1年この教室で一緒に過ごすクラスメイトの自己紹介に耳を傾ける。男子はどちらかというと文化部系が多くて、俺みたいに元運動部は少なそうだ。球技大会や運動会はなかなか厳しい戦いになりそうだな。


「藤田二中からきました、栗原くりはら花音です」


 聞き慣れた声が突然耳に飛び込んできて、自然とそちらに視線が向かう。そこには席から立ち上がって、スラスラと話す花音が立っていた。俺の左隣に座っている女子が思わずと言った様子で、『きれい……』とため息混じりに呟くのが聞こえた。長年一緒にいる身としては、花音はキレイというよりかわいいタイプだと思っている。まぁよく知らない人がパッと見た感じだと、美人という評価になるのかもしれない。


 ただし喋らなければという但し書きが※印の後に入るのだが、これは本人には内緒だ。


 男子生徒が花音に見惚れるのはクラス替えの時の恒例行事なのに、今年に関しては彼らが花音に向ける視線に対して妙に苛立ちを感じてしまった。告白されたけど答えも出さず花音と鈴からの好意を甘受している俺が、彼らが向ける恋愛的な視線に嫉妬する権利などないのにな。自惚れている自分とそのみみっちさに恥ずかしくなってきた。


 花音の自己紹介が終わると引き続き女子数人が自己紹介をして、ついに俺の列へと順番が回ってきた。まぁ毎年喋るのは定型文なので焦りはしないけど、俺の背が高いから座っているみんなに見上げられるとなんだか申し訳ない気持ちになる。首を痛めてないか、ったりしてないかという心配も半分ぐらいあるが。


「はい、じゃあ次は……三村くん」


 先生に呼ばれたので椅子から立ち上がると、数少ない運動部出身のクラスメイトが『あいつ背が高いな』『即戦力になりそうだし勧誘するか』とボソボソと言い合っているのが聞こえてきた。だが断る、残念ながら高校では部活はしないつもりなのだ。バイトもしなきゃいけないし、時間的な余裕がないというのが正しいような気がする。


「えー、三村奏汰です。趣味は筋トレとランニングです。よろしくお願いします」


 部活の情報を削った以外は、いつも通りの自己紹介を言って頭を下げる。まばらな拍手の中で自分の席に座ると、鈴が座っている方向から視線を感じる。もうすぐ自分の番だから緊張しているのかアワアワと慌てていて、眉をハの字にしながら困っている様子の鈴が助けを求めるようにこちらを見ていた。とは言え俺にできることはないしな、口パクで『ガンバレ』と言うと少しは励ましになったのか嫌そうにコクリと鈴が頷く。


 噛み噛みだったけど、名前と遠い島の出身でこちらに引っ越してきたと話す鈴。意地悪なクラスメイトがいればあざといとか男子に媚を売っているなどとイジメられることもあるかもしれないが、うちのクラスにはどうやらそんなヤツはいなかったようだ。むしろ小動物みたいな様子の鈴に庇護欲を抱いた女子が数人いたようで、自己紹介が終わった鈴に早速小声で話しかけていた。


 初日が一番大事だからな。こちらの学校での鈴の第一歩は、どうやらうまく踏み出せたみたいで俺としてもホッと胸をなでおろしたのだった。

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