05――花音の来訪


「くっそ、あんまり眠れなかった……」


 眠い目を擦りながらベッドの上で体を起こす。昨日1日鈴にベッドを貸しただけなのにシャンプーなのかボディソープなのか、それとも鈴の元々の体臭なのかは知らないがフワッといい匂いがしてガラにもなくドキドキしてしまった。これが連日続くなら寝不足になることは間違いないので、ベッドと枕には早く俺の男臭さを吸収してほしい。


 そんなことを考えながらベッドから下りて、朝飯を食べるために部屋を出る。まだ花音がくるまでだいぶ時間があるが、早めに準備して待っていた方がいいだろう。ダイニングテーブルへと視線を向けると、昨日の朝と同じようにマグカップを両手に持って鈴が何かをチビチビと飲んでいた。


「あ、おはよう。は、早いね」


「ああ、おはよう。鈴こそ早起きだな」


 お互いに挨拶を交わして、鈴の対面の椅子に腰掛ける。すると鈴は苦笑を浮かべながら、俺の顔を見つめた。


「き、今日はかなたの幼なじみが来るんでしょう? き、緊張しちゃって」


「……まぁそうだよな。俺にとっては長い付き合いで性格もよくわかってるヤツだけど、鈴にとったら初対面の相手だしな」


 もしかしたら俺は自分にとっての『良いこと』を鈴に押し付けていたのかもしれない。俺だって友達の友達にいきなり会えって言われても、気乗りしないもんな。鈴だってそう感じている可能性はある。うちの親が決めたこととはいえ、この部屋に住むことで引け目を感じて嫌なことでも無理や我慢させてしまっているのかもしれない。


「鈴、今日俺の幼なじみに会うっていうのも俺が勝手に決めちゃったけど。もし会いたくないなら、遠慮なく言ってくれていいからな」


「……ううん、かなたが私のこと気遣ってくれてるのはわかってるから。やっと島から出られたことだし、私もちゃんと前に進まないと」


 過干渉な島の人がいなくなったのに、俺がそうなってしまったら元の黙阿弥だ。トラウマに苦しんでいる姿を毎年夏の間だけだがずっと見てきた俺としては、鈴が気持ちを楽にして日常生活を送っていけるように気を配っていこう。


 とりあえず朝から重い話をするのも何だし、ここらで話を打ち切って朝飯を食べることにした。明日からは学校だけど、朝飯どうするかな。弁当が必要になったら冷凍食品の余りとかで適当に済ますのもありだけど、パンとサラダとコーヒーあたりで済ますっていうのもいいかもしれない。とりあえず明日学校に行って学食のメニューとか聞いて、昼飯を弁当にするかどうかを決めてから考えたほうがいいような気がする。


「2日連続、菓子パンでごめんな」


「う、ううん。買ってきてもらってるのに、文句なんていわないよ。学校が始まったら、朝は交代で作ってもいいんだから」


 鈴も色々と考えてくれているのか、俺の謝罪にそんな風に答えた。俺が島に遊びに行った時には料理をしている姿を特には見たことはなかったのだが、親元を離れる前に伯母さんに料理を仕込まれたのかもしれないな。


 他愛もない雑談をしながら朝食を食べて、お茶を飲んでからそれぞれ身支度を整えた。9時頃とは言ったものの、花音の性格から考えて30分ぐらい前にやってきてもおかしくはない。基本的にせっかちというか、時間前行動が本能に組み込まれているようなヤツだからな。


 いつものパーカーにTシャツに、ジーンズといういつも通りの格好でスマホをいじっていると、顔を洗って色々と女の子特有の準備をしていた鈴が部屋から出てくる。薄いピンク色のカーディガンに白のブラウス、不規則な大きめなチェックの柄がついているプリーツスカート。男の俺から見るとずいぶんと気合の入ったおしゃれな格好だと思うが、女子からするとこのくらいの服装が普段着みたいな着こなしになるのだろうか。


 もしそうなら鈴と一緒にどこかに出かけるということになったら、明らかに隣に立つ俺が貧相に見えてしまうだろう。バイト代が出たらちょっとずつ服を買い足すべきかもしれないな。


 ブブッとスマホのバイブが鳴ったので画面を見ると、メッセージが届いていた。開封すると案の定花音からで『もう部屋まで行っても大丈夫?』と書いてあったが、現在の時刻から考えるとおそらくマンションの下に来てるんだろうな。俺は『OK』と短く返事をすると、俺の対面の椅子に座って居心地悪そうにしている鈴に声をかける。


「鈴、今メッセージが来て花音がもうマンションの下に来てるって。すでにエレベーターに乗って上がってきてるだろうから、心の準備だけしておいて」


 俺の言葉にビクン、と大きく体を震わせる鈴。2~3回深呼吸をした後、覚悟を決めたのか両手をぎゅっと握りしめた。そしておもむろに立ち上がり、俺の隣の席に座り直す。なんで俺の隣に? いや、いいんだけどさ。女の子同士並んで座ればいいのではと思っていた俺として、突然の鈴の行動にちょっと驚く。


「こっちに座るの?」


「……ダメ?」


 なんとなく問いかけると上目遣いでそう聞かれて、慌てて首を横に振った。その瞬間にピンポーンと呼び鈴が鳴って、花音が到着したことを知らせた。


 はい、と返事をしながらカギを開けてドアノブをひねると、ちょっとだけ活動的な感じの服装をした花音が立っていた。つば付きの帽子を被ってオーバーサイズのグレーのパーカーに白いTシャツ、黒の細身パンツとさっきの鈴とはまた違った感じだが意思を持っておしゃれをしているのは伝わってくる。


「おはよう、言われた通りに早めに来たけどちゃんと起きれてたわね」


「誘ったのは俺なんだから普通は寝坊しないだろ、どうぞ中へ入ってくれ」


「えへへ、おじゃましまー……」


 俺が中に招き入れると、妙に楽しそうに笑顔を浮かべながら後ろに続いた花音の言葉が不自然に途切れた。どうかしたのかと振り向くと、玄関から上がってダイニングテーブルが見える場所に棒立ちして、席についている鈴を目をまん丸にして凝視していた。


 俺と鈴の間を花音の視線が何往復かして、最後にもう一度鈴をじっと凝視しながらプルプルと体を震わせながら口を開いた。


「……誰っ!?」


「うるさいって、まだギリギリ朝の時間帯なんだから隣の人に迷惑だろ」


 突然大きな声を出されて、隣にいた俺は耳を押さえながら花音をそう嗜めた。でも納得できない花音は、声のボリュームだけ落として俺に詰め寄ってくる。


「なんで朝なのに、奏汰の部屋に、こんなかわいい女の子がいるのよ!」


 語気を強めて一節ずつ強調するように言う花音をまぁまぁと宥めつつ、椅子に座るように促した。興奮している花音はなかなか言う通りにはしてくれなかったが、ちゃんと説明するからと言うと渋々鈴の対面の席に腰掛ける。


 ひとまず落ち着いてくれたかと安堵のため息をひとつついて、俺も鈴の隣の席に座った。するとすぐに『ちょっと』と花音から物言いがついた。


「……なんだ?」


「なんだじゃないわよ、なんで奏汰がその子の隣に座るのよ。アンタの席はこっちでしょ、私の隣!」


「いや、別にそんなの決まってないだろ。なんでそんなヘンなことで怒ってるんだよ?」


 今日の花音はちょっとおかしい、なんかカリカリしているように見える。確かに一緒に出かけたりした時に電車や映画の席は隣に座るが食事の席はお互いの対面なんだから、別に絶対隣に座らないといけないという決まりはない。というか、そんなの今思い返してみるまで全然意識していなかったんだが。


 俺が花音に尋ねると、彼女は『……もういい』と不貞腐れたようにぷい、と顔を横に向けた。まぁこれ以上ゴネないのならいいや、鈴を紹介して話を進めよう。


「花音、この子は俺の従兄妹で三村 みむら りん、俺たちと同い年で明日から同じ学校に通うことになっている」


「み、三村鈴です。よ、よろしくお願いします」


 鈴は俺の紹介が終わったのを確認してから、もう一度名乗ってからペコリと頭を下げた。すると横を向いていた花音が、ぐるんと顔をこちらに向けて低い声で呟いた。


「……従兄妹?」


「あ、ああ。話したことあるだろ、俺が夏休みに遊びに行ってる島に住んでるって」


「……気が合って仲が良いって言ってた?」


「そうだな。まぁ、他にも理由があってだな……」


 俺が説明しようとしたら、何やら呆然とした表情で鈴のことを凝視する花音。するとビシッと鈴のことを指差してから、スゥーッと息を吸ってから叫んだ。


「お、男の子だと思ってたのにぃ!!」


 何が悲しいのかじんわりと目の端に涙を浮かべながら言った花音に、俺は『だから近所迷惑だって言ってるだろ』とため息をつきつつ呆れてしまった。引っ越したばかりなのに、早速ご近所トラブルとか起こったらどうするんだ。

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