02――とりあえずの方針

 風呂から上がってきた鈴にドライヤーを手渡して、自分も風呂へと入った。子供の頃は一緒に風呂にも入った仲だが、高校生になるぐらい成長した今となっては意識してしまう。


 手早く頭と体を洗って、湯に浸かって温もるのも程々にして風呂を終えた。バスタオルでさっさと体を拭いて、洗濯カゴの中に放り込む。Tシャツとジャージのズボンを履いて脱衣所から出ると、椅子に座っていた鈴がこちらを振り返った。そしてテーブルの上に並べられているビン類を、俺の視線から隠すように手をパタパタとさせる。


 その動作の意味がわからずに首を傾げると、鈴が小さく頬を膨らませた。視線をなるべく動かさないように再び鈴の後ろを見ると、どうやら化粧水などが並べられているようだった。


 うちの妹も風呂上がりによく顔に塗ったりしているから、見られても恥ずかしいことじゃないと思うのだが。そんな気持ちが表情に出ていたのか、鈴の膨らんだ頬がさらに一回り大きくなった。


「お、男の子にお手入れしてるところを見られるの、恥ずかしいでしょ」


「……そういうものなのか?」


「そ、そうなの! 女の子は白鳥みたいなものなんだから」


 『水の中ではバタバタと必死に足を動かしているけど、水面より上はそんなところは欠片も見せずに優雅に泳いでいる』ということを言いたいんだろうか?


 なんにしても十分美少女の範疇に入る鈴でも、日々の手入れを欠かさないというのは感心だと思う。それと同時に女の子の外見に対する情熱を甘く見てはいけない、変に口出ししたり逆らったりするのはやめておこうと心に決めた。


「ごめんな、気をつける」


「う、ううん! むしろ押しかけてきたのに、偉そうに言ってゴメン……」


 俺が素直に謝ると、冷静になったのかしょんぼりした様子で鈴がペコペコと頭を下げてきた。別に怒っていないので、その謝罪をそのまま受け取る。


「寝る場所なんだけどさ、俺の部屋のベッドを使ってくれ。ベッドもカバーも新品だから、変な臭いはしないと思う」


「べ、別にかなたの匂いなら気にしないけど……じゃなくて! わ、悪いよ。私がベッドを占領しちゃったら、かなたはどこで寝るの?」


「一緒の部屋だと鈴もゆっくりできないだろうから、隣の部屋で寝るよ。幸い柔軟の時に使う用のマットもあるし、予備の毛布もあるから」


 隣の部屋の床も拭き掃除しておいてよかったと思う。鈴が風呂に入っている間に自分の寝床の準備はしておいたし、歯を磨いて目覚まし代わりのスマホを手に持てばいつでも寝られる状態だ。


「じゃあ、お言葉に甘えて。か、かなたのベッド、使わせてもらうね」


「ああ、遠慮せずに使ってくれ」


 まだ鈴と話しいたいがこの季節はまだ夜になると寒いくらいで、風呂上がりだと風邪をひいてしまうかもしれないので『おやすみ』と挨拶して会話を切り上げた。


 鈴もここまで来るのに疲れているだろうし、俺も今日は朝からずっと引っ越し作業で体はクタクタだ。例えベッドでなくても、寝転んで目を閉じた途端に眠りに落ちそうだ。


 歯を磨いてさっさと空き部屋に入ると、まだ室内灯も付けていないので本当に真っ暗だった。その雰囲気に余計に寒さを感じて、マットを手探りで探し出して寝転び毛布を頭から被った。


 すぐに襲ってきた眠気にアラームをセットする間だけ抗った後、すぐに意識が眠りの世界へと旅立っていった。


 次に目を開けると、既に外は明るくなっていた。まるで数分しか経っていないような時間の感覚を気持ち悪く思ってしまったが、それだけ眠りが深かったのだろう。


 スマホを見るとまだセットしたアラームの時間よりも早かったが、すっかり目が覚めてしまったためもう起きようと体を起こした。マットと毛布を畳んで部屋の隅に置いて、部屋を出る。


 物音ひとつしない室内から察するに、まだ鈴は起きていないらしい。念の為部屋のドアの前で耳をすませてみると、かすかにスースーと寝息が聞こえてきた。


 そう言えば鈴の朝食がないな。昨日買ってきたパンをふたりで1個ずつ分ければとりあえずの空腹は紛れそうだが、俺には量が足りずにすぐに腹がすいてしまいそうだ。


 アウター代わりにしているパーカーを羽織って、なるべく音を立てないように靴を履いてドアを閉めた。ゆっくりと鍵を差し込んで施錠するが、今の俺って傍から見れば不審者っぽいよな。周りに誰もいなかったが、なるべく堂々としているように見える感じで廊下を歩いてエレベーターに乗り込んだ。


 まだ通勤時間ではないのか、まばらな人数が最寄り駅の方に歩いていくのを見ながらコンビニに急ぐ。徒歩10分もかからない距離というのは本当にありがたく、あっという間に到着したので店内に入った。


 カウンターには熊のような体の大きい中年男性が立っていて、俺の姿を見るとにこやかな笑顔を浮かべて軽く右手を挙げて挨拶してきた。


「おう、おはよう奏汰。昨日の夜にも買い物に来たらしいな、夜食に食っちまったのか?」


「おはようございます、鉄さん。いや、昨日の夜に友達が泊まりに来て、朝食が足りなくなったんですよ」


 見知った顔なので、俺は軽く会釈しながら質問に答えた。例の二年参りの手伝いの時にこの人とは知り合って、もう年単位で付き合いがある。倉田鉄二くらたてつじさん、このコンビニの夜勤をレギュラーで勤めている30代半ばのフリーターだ。


「しかし意外だな、奏汰は引っ越し当日に友達を呼ぶようなタイプだと思ってなかったわ」


 レジの中のお金をコインカウンターに移しながら、鉄さんは言った。その手付きは非常に滑らかで、知らない人が見ても彼がこのバイトを長く続けていることがわかっただろう。


 それはさておき、鉄さんのその言葉に俺はギクリとした。彼が言うように俺はそんなに社交的なタイプではなく、花音以外の友達は数人しかいない。そんな俺が友達を呼んで部屋で初めてのひとり暮らしを祝うとか絶対やらないからだ。


「まぁもうすぐ高校生だもんな、ひとり暮らしなんか始めたらそりゃあ友達呼んで騒ぎたくもなるだろうよ」


「あはは、そうですね……」


 俺がうまく言葉を返せないでいると鉄さんは何やら納得したようにそんな風に言ってくれたので、それに乗って苦笑しながら曖昧に言葉を返した。


 そのままおにぎりや弁当が売られているケースの前に行くと、納品後なのか色々な種類があったのでオーソドックスに鮭とおかかのおにぎりをひとつずつカゴに入れる。


 おそらく昼間は暑いくらいに気温は上がるだろうが、朝は今みたいに肌寒い感じが続くだろう。味噌汁も買っていこうか、とチルドのものをカゴに入れた。最後にお茶のペットボトルを2本入れて、レジへ移動した。


「袋はどうする?」


「ああ、大きいの1枚お願いします。家のゴミ箱に被せるのに使いたいので」


 法律が変わってレジ袋が有料になってからは基本的にマイバックを常備しているのだが、今日は引っ越ししたばかりということで必要もあり購入することにした。


 お金を払い、今後顔を合わせることが増えるので鉄さんに改めて挨拶をしてから店を出た。そろそろ鈴も起きているかもしれないし、早めに家に着いた方がいいだろう。軽く駆け足で帰り道を急ぎ、自分の部屋のドアの前に立つ。小学校の時は外部のサッカークラブ、中学校は陸上部に入っていたがしばらく受験で運動を控えていたから少し体が鈍っているように感じた。


 高校では部活に入る予定もないし、朝の日課にランニングでもやろうかと考えながら鍵を開けて中に入ると、パジャマの上にカーディガンを羽織った鈴が所在なさげにダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた。


「ど、どこに行ってたの? 朝起きたらかなたがいなくて、ひとりだけだったからびっくりしちゃった」


 俺の姿を見た途端にガタッと椅子から立ち上がって駆けってきて言い訳みたいにそんなことを言う鈴に、俺は手に持ったレジ袋を鈴に見えるように持ち上げた。


「鈴の朝飯を買ってきた、なにせ冷蔵庫が空っぽだからな」


 持ち上げた袋をそのまま受け取るように鈴の方に差し出すと、鈴が『ありがとう』と言ってまるで大事なものを扱うみたいな手付きで受け取った。中身はお茶とおにぎりと味噌汁なんだが。


 せっかくなのでそのまま鈴と一緒に朝食を食べ、身支度を整えたら今日は朝から俺の実家へ向こうことになっている。とりあえず俺に黙って鈴をこちらに呼び寄せ、同い年の男の住む家に勝手に住まわせることを決めたのだ。例えいたずら好きだとか冗談だとか言い張ったとしても、許されることではない。


「お、お待たせ、かなた」


 鈴の準備が終わるまでのんびりとスマホをいじりながら待っていたのだが、少し恥ずかしそうな声色で鈴が俺に声を掛けてきた。クリーム色のカーディガンに白地に紺のボーダー柄のTシャツ、濃いねずみ色のロングスカートとなかなか春らしい格好をしている。


「なんか俺が隣に並んで歩くのが場違いなぐらい、似合ってるな」


 俺が思わずそう言うと、鈴は頬を赤らめつつも嬉しそうに微笑んだ。いや、本当に申し訳なくなるな。俺なんてTシャツにジーンズ、グレーのパーカーといういつもの格好なのに。


「あの、さっき電話があって。引っ越し屋さんの到着、昼過ぎぐらいになりそうって言ってた」


「そっか。じゃあ早めに親父たちに話つけに行って、荷物の運び先の変更をお願いしないとな」


「う、うん……そうだね」


 俺の言葉に何故か鈴はしょんぼりとした表情を浮かべて、曖昧に返事をした。なんだろうな、なんか引っかかることでもあるのだろうか。


 釈然としなくて首を傾げながらも、準備が出来たので戸締まりを済ませて玄関から外に出た。昔からの癖なのだが、鈴は俺の来ているシャツや上着の裾をちょこんと指でつまんで歩く。


 おそらく外に出ることへの不安の表れなのだろう、ましてや生まれ育った島ですら学校以外の外出を控えていたのだからなおさらだ。


 俺は鈴にその癖を指摘せず、そのまま歩いてエレベーターに乗り込んだ、さて、しっかり親父たちと話し合わないとな。

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