人称の混在とは
はじめに人称が混在する小説を定義しなければならない。
世の中には一人称小説と三人称小説が存在する。
二人称小説というものもあるが、ここではその話はしない。
「二人称」で検索すれば二人称小説はカクヨムでもたくさん見つけることができる。
拙作『あなたもはまる二人称小説』を読んでくれるとなお嬉しい(笑)
https://kakuyomu.jp/works/16817330666402041852
話を戻そう。
一人称小説とは、「私」や「俺」といった一人称の視点人物が語り手となる小説だ。その人物の視点で、その人物が語る物語だ。
一方、三人称小説とは、その物語に登場しない語り手が読者に向かって語る小説だ。一視点(一元視点)とか客観視点とか神視点とか、視点によっていくつかに分けられる。
両者は通常混在しない。もちろん、章を変えれば、エピソード毎に一人称と三人称を切り替える小説はあるだろう。
しかし同じエピソード内で混在するのはタブーとされる。たいていの人は読んでみて不自然に感じるだろう。感じないひともいるのかな。
不自然かどうかをみるために例をあげてみよう。
1.三人称小説に一人称表現がある場合
暮れなずむ雑踏を山田はひとり歩いた。
俺はなんという馬鹿なことをしたのだろう。
もっとあいつのことを考えてやれば良かった。
ああ、俺はバカだ。本当にバカだ。
山田はあてもなく歩いた。
この一節は「山田」=「俺」として読んで欲しい。
人物を「山田」と表現しているので三人称小説だ。
二行目に「俺」が出てくる。二行目から四行目までは山田の内的独白だ。
三人称小説においては( )なしで登場人物の心の中を書き記すことができる。
一行目と五行目が地の文。
ということでこの表現だと何ら違和感はない――はずだ。
三人称小説の中に一人称の独白表現があっても問題はない。
2.一人称小説に三人称表現がある場合
暮れなずむ雑踏を俺はひとり歩いた。
俺はなんという馬鹿なことをしたのだろう。
もっとあいつのことを考えてやれば良かった。
ああ、俺はバカだ。本当にバカだ。
山田はあてもなく歩いた。
ここでもし「俺」=「山田」だとしたらとても違和感がある。
どこで違和感を感じるか。
一行目で、これは一人称小説だと思うだろう。
二行目から四行目は一人称の内的独白。
最後の五行目、三人称小説の表現になっている。
一人称小説でありながら、主人公の「俺」が「俺」になったり「山田」になったりしたら、アレっと思って何度も読み返すことになる。
一度「俺は」で書き始めたらその章は最後まで「俺」を通さなければならない。途中で「山田は」とは書けないのだ。
ということは、三人称小説の中に一人称表現が出るのは良いが、一人称小説の中に三人称表現が出るのはまずい、という結論になるのか?
実はそう単純でもない。
次の例を見てみよう。
3.三人称小説に一人称表現がある場合(その二)
暮れなずむ雑踏を山田はひとり歩いた。
俺はなんという馬鹿なことをしたのだろう。
もっとあいつのことを考えてやれば良かった。
ああ、俺はバカだ。本当にバカだ。
俺はあてもなく歩いた。
一行目に「山田は」とあるから三人称小説だ。
二行目から四行目は「俺は」になっているが、これは内的独白なので括弧なしで書ける。
最後の五行目。「俺はあてもなく歩いた。」
一人称小説になっている。
「歩く」とは動作だ。心の中のことではない。
「山田は……歩いた。」
「俺は……歩いた。」
人称が混在している。
三人称小説において、心の中のことを「俺は」と書けるが、動作まで「俺は」とは書けない。これが現在までの小説の常識なのだ。
その常識への挑戦。
次のエピソードから実際に人称を混在させた小説をあげる。
わざわざ一人称と三人称を混在させ、しかもできるだけ違和感のないように書いたものだ。
人称が気にならなければ作者の勝ち。気になってストーリーが頭に入らなければ作者の負け。
そんなつもりで書いたものを、敢えて人称に気をつけながら読んで欲しい。
では、次のエピソード『隣の地味系塩対応美少女が俺にだけ絡んでくる①』を見てみよう。
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