第7章 真夜中の論議

「それ、本気で言ってますか?」


 そう言うと、ドラゴンタトゥーの男は自身の鼻先に突き付けられた谷本の人差し指を右手で軽く払い落とした。犯人だと指摘した相手があまりにも動じなかったため、谷本は急激に自信を無くしていた。


「……え?」


 ドラゴンタトゥーの男は諭すように話し始めた。


「浴衣の中に死体を隠すって、もしかしたら一方向から見られるだけなら良いかもしれませんよ。確かに私の体は大きい方ですし、肩を組むようにすれば横から見られてもバレないくらいには隠せるかもしれません。


 でも、もしも正面から見られたらどうするんですか? 廊下を通るなら、正面からすれ違うことも当然あり得るでしょう。そのときに、もしも死体と肩を組んでいたらバレバレじゃないですか。その程度のことも想定せずに、死体の運搬なんてリスクの高いことをやるとはとても考えにくいと思いますけどね」


「でも、実際にはラウンジにしか人がいなかったんだから、バレなかったんじゃないのか?」


 谷本が最後の抵抗を示す。


「それは結果論というものです。結果としては、私が喫煙室から戻るときに廊下では誰ともすれ違いませんでした。でも、私が廊下を通る以前に、廊下で誰ともすれ違うことがないと判断することは不可能だったのですから、何かしらの対策をしていたと考えるのが普通でしょう。そういうことも考えられないほど私が間抜けだと思いますか?」


 ドラゴンタトゥーの男は、憎たらしいほど純粋な顔で谷本に訊いた。皮肉で言っているわけではないようだが、実に腹が立つ言葉だ。でも、この男がそれほど間抜けではないのはこれまでの会話から明らかだった。


「……いや」


 谷本は自分の考えが一撃で破壊されて、相当なショックを負っていた。ちょっと無理がある説だと自分でも思わなかったわけではない。でも、深夜に突撃して詰問すれば、上手く自白を引き出せるのではないかと安直に期待していた。ところが、実際には真正面から論理的に間違いを指摘されてしまい、谷本の試みは完全に空回りしてしまった。


 谷本は形勢を立て直すために、もう一度自分の考えの筋道を整理し直すことにした。何が間違っていたのだろう。


 問題になっているのは、被害者が屋上に行った方法である。白いパジャマの女性は、Dエリアのラウンジから屋上への階段があるJ-10に行くには、湾曲した廊下を通っていかなければいけない。そうすると、必ずGエリアのラウンジの横を通るはずだ。しかし、Gエリアの横はドラゴンタトゥーの男が往復したのみで、被害者の女性は通っていないという。


「先ほどの証言では嘘は吐いていませんでしたか?」


 谷本は左側のソファに座っている百キロの男の方に向き直って言った。


「証言?」


 百キロの男は目を丸くした。


「ラウンジの横をこの人が往復した以外誰も通らなかったっていう証言ですよ」


「あぁ、あれ尋問だったんですか。女の人を探しているだけだと思ってました。それに嘘は言ってませんよ」


 百キロの口調は妙に気が抜けている。人が一人死んでいて、その尋問をしたのだと谷本に言ったにも関わらず、そのことの重大性をあまり把握しているようではなかった。自分が嘘を言っていないのだと証明する気もないようだ。


 ドラゴンタトゥーの男が見かねてフォローする。


「私もその証言は嘘ではないと思いますね。嘘だとしたら、被害者が通らなかったとはわざわざ言わないと思います。被害者の女性が深刻そうな顔をして廊下を通って行った、と言った方が自殺としての信憑性がかなり高まりますから」


 もっともな理由だった。百キロの証言が嘘だとしても得をしている者は誰もいない。嘘だとしたら、その意味がないのだ。


 となると、百キロの証言は事実なのだから、該当の時刻に被害者がここの廊下を通らなかったということになる。別の方法で屋上に上がったのだろうか。


「部屋の窓を開けて屋上に上がることはできますかね? 私はできないと思うんですが」


 谷本は二人に訊いた。ドラゴンタトゥーの男が答えた。


「無理だと思います。窓はどれも嵌め殺しですから。窓を破れば外には出られますけど、この猛吹雪の中で屋上に登るのは難しそうですね。晴れていたって楽じゃないでしょうから」


 谷本も同じ考えだった。それなら、一度玄関まで行って外に出てから屋上に上がったというのはどうだろう。外からだったら屋上に登る手段はありそうだ。


 しかし、谷本はこの考えもすぐに却下した。11時半の時点で玄関はすでに戸締りがされている。内側から鍵をかけられているので、宿泊客には開けることができない。現に、谷本自身が外に出ることもできなかったではないか。


 それなら、鍵を持っている女将ならどうだろうか。女将が白いパジャマの女性がいる部屋までやってきて撲殺する。その死体を玄関まで運び、そこから外に出して、屋上まで持ち上げる。そして突き落とす。一応説明が付くではないか。


 谷本は、この考えをすぐに二人と共有した。しかし、百キロの男は呆れた顔をして言った。


「怪力おばあちゃんじゃないですか。少なくとも40㎏はある死体をフロントまで降ろして、猛吹雪の中を運び、さらに屋上にまで持ち上げたって言うんですか? しかも、その全部をあなたが最後に被害者の生きている姿を目撃してから彼女が墜落する瞬間を目撃するまでの20分間に。だめだめ。そんなのはナシです」


 百キロの言葉にドラゴンタトゥーの男も頷いていた。でも、それならどう考えろというのだろう。谷本は途方に暮れてしまった。


「ちょっと良いですか」


 ドラゴンタトゥーの男が両手の指を組み合わせながら言った。


「あなた、さっきから屋上、屋上と言っていますけど、なぜそんなに屋上にこだわるんですか?」


「だって、私の部屋から女性が墜落するのが見えたんですから。屋上から落下したということでしょう?」


 ドラゴンタトゥーの男は百キロの男と不思議そうに顔を見合わせた。谷本の心拍音が高まった。この二人は自分が知らない何かを知っている。


 それからタトゥーの男は首をひねると、谷本の目をまっすぐに見つめて言った。


「何か大きな勘違いをされていませんか?」


 勘違い? 谷本の胸の内に大きなざわめきが起こった。何かを根本的に間違えている。何か大きなことに気づいていないというのだろうか。騙されているのか? 谷本は、周囲の壁や天井、座っているソファが崩れ落ちて奈落の底に落ちてしまうのではないかと不安になった。


 タトゥーの男はもう一度座り直すと、医者が診断結果を患者に伝えるときのような表情で言った。


「あなたの部屋、つまりC-7号室の上にあるのは屋上だけじゃないですよ」


 谷本は脳の中身がかき混ぜられているような感覚に陥った。C-7号室の上が屋上だけではないだと? でも、ここはホテル百角館。百角形をした館。百個の辺がぐるりと一周している建物ではなかったのか?


 谷本の目を射るように見つめている男は告げた。


「このホテルの部屋はから。C-7号室の上には屋上だけでなく、D-7号室、E-7号室、F-7号室、G-7号室、H-7号室、I-7号室、J-7号室もありますよ」


 その瞬間、窓から突如として白い閃光が入り込んできた。稲妻だと気づく間もなく、耳をつんざくような轟音が約十階建ての高さに相当する「ホテル百角館」の建物を揺るがした。

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