第6章 ドラゴンタトゥーの男
谷本は、ドラゴンタトゥーの男を探しにGエリアのラウンジを飛び出し、反時計回りに廊下を歩き出した。肝心の男がどの部屋に滞在しているのかはわかっていないが、Gエリアより奥に位置するH、I、Jエリアのどこかの客室にはいるはずだ。
それぞれのエリアの5号室はトイレ、H-10とI-10がシャワー室、J-10が屋上への階段、H-1が先ほどの百キロの男の部屋であるから、残りは23部屋。
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H-1: 百キロの男の部屋
H-5: トイレ
H-10: シャワー室
I-5: トイレ
I-10: シャワー室
J-5: トイレ
J-10: 屋上への階段
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谷本は迷うことなく、すべての客室の扉をノックしていくことに決めた。時刻は深夜1時過ぎ。迷惑なのはめっぽう承知しているが、こっちは人が死んでるんだ。関係があろうとなかろうと、宿泊客は全員一晩の睡眠時間くらい捧げてくれたって良いだろう。
谷本はH-2号室から扉を激しく叩いていった。ドンドン、ドンドンと、木の板を叩く音は廊下中に響き渡った。部屋の中で誰かが眠っていれば必ず目覚るほどの音量だった。
H-3、H-4、H-6と順に谷本は扉を叩いていく。それだけではなく、口でも「開けねぇとぶち破るぞ」と叫び出す始末。あまりの騒がしさにラウンジにいたはずの百キロの男も廊下に出てきて様子を見に来たが、何かに憑りつかれたかのように扉を叩き続ける谷本を見て、逃げるように戻っていってしまった。
H-7号室に扉に拳を打ち付けようとしたちょうどその瞬間、木の板は内側に引っ込んだ。現れたのは、寝起きで眠そうな目を擦っている長身の男性だった。浴衣はほとんどはだけていて、下半身の黒いブリーフが丸見えになっている。その体格は谷本が脱衣所で見たものと同じだった。髪はぼさぼさで酷い顔をしているが間違いない。この男こそが、ドラゴンタトゥーの男だった。
谷本は、ノックの勢いで気づかなかったふりをして男の顔を殴ろうかと一瞬考えたが、理性の力で何とか拳を下げると、目の前の男に向けて乱暴に言葉をぶつけた。
「おめぇ、あの女の人を殺したのか!?」
カタギではない人間に対しては、こちらも相応の威厳を見せつけてやるしかない。それが谷本の作戦だった。
だが、ドラゴンタトゥーの男は、目を擦るのを止めると、相変わらず寝ぼけた声で言った。
「なんですって?」
「おめぇがあの白いパジャマの女性を殺したのかと聞いているんだ」
谷本は精一杯胸を張り、体を大きく見せて怒鳴りつける。それでも身長では敵わない。ドラゴンタトゥーの男はさすがに目を覚ましたようで、立派な腹筋を浴衣の中に仕舞ってから落ち着いて返答した。
「今何時かわかってますか? あんまり大きな声を出さないでいただきたいんですけど」
「だから、おめぇが!!!」
谷本は顔を真っ赤にして、右手の人差し指を振り回した。ドラゴンタトゥーの男は溜め息を吐いて言った。
「お酒を飲まれているんですね。お部屋まで連れて行きますから、一緒に戻りましょう」
すると、右手でがっしりと谷本の肩を掴んだ。谷本はその手を振り払おうとしたが、ドラゴンタトゥーの男の握力は想像以上に強かった。谷本が肩を動かそうとしても、クランプで挟まれたように動かすことができない。ドラゴンタトゥーの男は、静かに谷本の動きをけん制していた。
谷本は体力で勝負するのは無理だと諦めた。部屋から出てきた男に肩を掴まれたまま、谷本は誘導されるとおりに廊下を時計回りに戻っていった。
五部屋分ほど進んだところで谷本は言った。
「わかったから。降参するよ。でも、ちょっとだけ話ができないか。真面目な話だ。そこのラウンジでさ」
ドラゴンタトゥーの男は怪訝そうな顔をした。
「別に酔ってるわけじゃないから。ほら、もう顔は赤くないだろう。だから話だけさせてくれ。俺が暴れたって君には敵わないことはお互いにわかったからさ」
確かに谷本の顔はすっかり元の色に戻っていた。ドラゴンタトゥーの男は、再度溜め息を吐くと、渋々谷本をGエリアのラウンジに連れて行った。
ソファにはまだ肥満の男性が座っていたが、ラウンジに入ってきた二人の異様な雰囲気を見ると、すぐに立ち上がった。百キロは、そのまま自分の部屋に戻りそうな様子だったが、谷本が「あんたにもいてほしいから」と言って引き留めた。
三人はテーブルの周りのソファに座った。谷本が窓側の一人用の椅子に座り、その右手側のソファにドラゴンタトゥーの男、左手側のソファに肥満の男性が座った。肥満の男性は、ソファから落ちそうなほど廊下寄りの場所に腰掛けている。
谷本が正面を向いて口火を切った。
「今から約1時間半前に女性がこのホテルから転落死した。俺は、直前にその女性に会って、落ちていく瞬間も窓から目撃した。女将さんが外に出て女性が死亡していることを確認したが、警察はこの吹雪のせいでしばらく来られないらしい。だから、俺がそれまでに女性の死の真相を解き明かすことにした。警察が捜査したって自殺として片付けられるに決まっているからな」
「違うんですか?」
谷本は百キロを一睨みしてから答えた。
「それはありえない。ラウンジで話しているときに新幹線で帰る話もしていた。それから30分もしないうちに自殺するなんて考えられないだろう」
「でも、人間ってわからないですからねぇ」
百キロの言葉に谷本は手が出そうになったが、右にいるドラゴンタトゥーの男の存在を思い出して気持ちを静めた。
「確かにそうかもしれない。それが事実なら仕方ない。諦めるしかないだろう。でも、本当に自殺したのなら警察がすぐに断定するだろうから、俺が考える必要はない。俺が考えるべきは、殺人の可能性だけなんだ。警察は殺人の可能性なんか一ミリも考慮しないかもしれない。だからこそ俺は考える。その結果、もし殺人であることを立証できたならそれで良し。真犯人を警察に突き出す。反対に、殺人だと立証できなかったら自殺ということになるが、これは警察が調べているから良し。そういうわけだ」
百キロの男はポカンとした顔をした。谷本の考えがいまいち理解できていないらしい。一方、ドラゴンタトゥーの男は頷きながら聞いていた。谷本は、百キロに話しても見込みがないと早々に諦め、右側のソファに向き直って話を続けた。
「それで、俺は考え始めた。女性が自殺したにしろ殺されたにしろ、墜落するためには屋上に行かなければならない。屋上には一番奥のJ-10から上がれるが、そこに行くためにはこのGエリアのラウンジの横を通らなければならない。だから、さっきこの男に今夜女性が通らなかったかと聞いてみた。すると、俺がパジャマの女性と別れた11時30分から落下したのを目撃した11時50分までの間、女性は一人も通っていないと答えた。
これは明らかにおかしい。他に屋上に行く方法はないんだから。でも、女性は一人も通らなかったが、男性が一人往復していたと聞いて俺は閃いた」
谷本はドラゴンタトゥーの男の目を鋭く見つめた。
「女は屋上に行く前に殺されていたんだ。DエリアのラウンジからこのGエリアのラウンジの間のどこかで。後で転落死に見せかけなければいけないことを踏まえると、おそらく撲殺されたのだろう。
そして、犯人は死体を屋上まで運んだんだ。でも、普通に引きずって運んだらラウンジにいた人物に見つかってしまう。だから隠したんだ。浴衣の中にね」
そう言うと、谷本は自分の浴衣をはたいて見せた。
「これはホテルに備え付けの浴衣だから、誰でも着れるようにかなりゆったりしたサイズになっている。それこそ百貫デブでも着られるように。犯人はこれを利用しようと考えたんだ。
犯人は、殺害した遺体を自分の浴衣の中に隠したんだ。右横から見られたときにちょうど自分の体で隠れるように、自分の左側にぴったりとくっつけるように死体を立たせて、肩を組むようにして運んだというわけだ。こうすれば、廊下を歩いていても、ラウンジに座っている人物からは死体を運んでいることがばれることがない。
ただ、女性の死体と言えどそこまで軽くはない。小さくもない。自分の体で隠しながら運ぶには、それなりの力と体の大きさが必要だ。その点、あんたは十分な体力と立派な肉体を持っている。条件にぴったり合うんだよな。しかも決定的なことに、廊下を往復するのを目撃されている。だから、言わせてもらおうじゃないか。
お前が犯人だ!」
谷本は目力をそれまで以上に強め、右手の人差し指をドラゴンタトゥーの男の鼻先に突きつけた。
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