奥ツ城・地

XX


「肝試しに行こうぜ」

 言い出しっぺは、落合くんだ。

 プールからの帰り道のことだった。落合くんは、肩まで伸びた襟足をタオルで拭っていた。

「肝試し?」

 ぼくと田中くんは声を揃えて聞き返す。田中くんは、炭酸飲料をひと口あおると、あからさまに嫌そうな顔をつくって見せた。

「ボクがホラー苦手なの、知ってるでしょお」

 Tシャツからハミ出るほどの巨大な腹の肉を震わせ、田中くんは身をよじる。水玉模様だった服の柄は、楕円形に伸びきっていた。

「や、知ってるけど……」

「じゃあなんで誘うのさあ」

 もっともな意見だった。落合くんは腕を組み、少しだけ悩んだ後に、声のトーンを幾分か落として、僕たちに顔を近づける。


「オクツキを見つけたんだよ」


長い沈黙が続く。田中くんはハッと息を呑み、そのまま硬直している。ぼくの方も、なんと言ったらいいのかわからず、黙り込んでしまった。そういえば、落合くんは以前からオクツキを探していたと聞いたような気もする。

 このあたりで「オクツキ」といえば、特別な墓所をあらわす言葉だった。オクツキを暴いてはならない。名前を口にするだけでも、両親にきつく咎められるほどの忌地として知られていた。本来の「奥津城」という言葉についての特別授業が組まれるほど、こちらのオクツキは独自の意味合いを持つものだったが、そちらの方はやはり「忌地である」以上の説明を受けることはなかった。大人たちがかたくなに口を閉ざすものだから、ぼくたちの間では勝手に、見たら死ぬだとか、幽霊が出るだとか、話をするだけで呪われるだとか、そんな風にどんどんと話が膨らんでいった。オクツキと言われて最初に連想するのは、やはりこちらの方だった。

 ぼくたちの顔が蒼白になったのを確認すると、落合くんはさらに続ける。

「場所は一白界山の頂上。な、頼むよ! 一緒に行こうぜ!」

「や、やめとこうよ」

「もしかして見ちゃったのお」

「さすがに一人はムリだった。けどさ、気になるじゃん」

 つまり、落合くんは好奇心を満たしたいが一人では憚られる。そこで、ぼくたちに白羽の矢が立ったというわけだった。ホラーが苦手な田中くんと、人一倍小心者のぼくが快諾するとでも思ったのだろうか。

「見つかったら怒られるよ」

「行かないでよ、そんなところお。死んだらどうするのさあ」

 ぼくたちは言葉を尽くして、落合くんを思いとどまらせようと努力したが、そんなぼくたちの態度は、ますます彼を意固地にさせてしまった。どうにかして気を逸らそうと、テレビゲームの話題を振ってみたりもしたが、まったく効果はない。

「いいよ、じゃあ。オレ一人で行くから。死んだらお前らのせいだからな」

 そう言ってそっぽを向かれると、やはり可哀想に思えてしまい、それは田中くんとて同じ気持ちのようだった。親や先生に言いつけて止めさせるという方法もないではなかったが、それはすなわち、友情の決裂を意味するところだった。ぼくたちはしばらくの間、二人で顔を見合わせて困り果てていたが、結局いつも根負けするのは僕らの方なのだ。不承不承、同行を承諾すると、ぼくたちの沈痛な面持ちなど意にも介さず、途端に上機嫌になるのも落合くんなのだった。

 そうと決まれば話は早い。その場ではいったん解散し、トレッキングや探検の用意をしてから、また夜に集合する段取りとなった。


 一白界山の麓で、ぼくたちは再会した。ぼくは基本的なトレッキングの装備に懐中電灯や携帯食料を持参。落合くんは自宅の倉庫からくすねてきたというトンカチやバールなどの道具を次々とリュックから取り出してみせる。見ているだけで重そうだった。田中くんは水筒にお弁当、大量のお菓子、そして防犯ブザーを持ってきた。彼らしいといえば、彼らしいチョイスだった。

 ぬかるんだ山道をひたすら歩く。ただでさえ水捌けの悪い山に、整備の行き届いていない足場。比較的軽装のぼくは平気だったが、七合目にして、二人の息はすでに上がっているようだった。

「ちょっと休憩する?」

 ぼくは振り返り、二人に声をかける。同時に頷いたのが、少し可笑しかった。

「落合くんはどうしてオク……そんな場所に行きたいのさあ」

 丸太に腰掛け、お弁当箱を次々と空にしながら、田中くんが尋ねる。これだけ食べたのなら、荷物も軽くなっていることだろう。

 落合くんは腕を組むと、何事か思案する。何度か口を開いては、なんともまとまらず、なにやら言いあぐねている様子だった。ぼくたちは、落合くんが落ち着くのを待ってから、再度同じ質問を投げかけた。彼は、やや間を置いてから、おずおずと話しはじめる。

「……オレにさ、いるだろ。妹」

「サキちゃん? 来月で六歳になるんだっけ」

 ぼくの問いかけにうなずくと、落合くんはせわしなく貧乏ゆすりをはじめる。

「サキが、いなくなったんだ。それも、しばらく前に」

「え……?」

 咳き込んだ田中くんの喉から、ウインナーの欠片がぼくの頬に向かって飛んできたが、そんなことはどうでもよかった。

「それからずっと探してた。そしたら、サキを見たって人と会ったんだ。サキは、オクツキに入ったんだって言われて……」

「それでここに来たの?」

「この山で見たらしい」

「どんな人なのさあ」

「スーツを着た男だった」

「そういうのは先に言ってよ」

「……悪かったよ」

 こうして、オクツキの探検は、サキちゃん探しへと目的が変わった。

 ぼくたちは、山頂へむかう。オクツキまで(おそらく)もうすぐだった。


 山頂には、小綺麗なログハウスが一棟だけ建てられていた。家の電気は全て消えていて、人の気配もゼロ。しかし、これを差し置いて怪しむべきものは他に無かった。

 幸い、バルコニー側の掃き出し窓に設置されたカーテンには、ちょうど中を覗けそうな隙間がある。

「何かあった?」

 ぼくは、懐中電灯を持った落合くんの後ろから、部屋の中を覗き込む。はっきりとは分からないが、誰かが床で眠っているように見えた。

「なあ、あれ」

「……うん」

「サキだと思うか?」

「ここからじゃわからないかも」

 落合くんとぼくは互いに目配せをした。やはり、中に入って確かめるしか、術(すべ)はない。

「ぼくたち、中に入ってみようと思う。田中くんはどうする?」

バルコニーの隅で目を瞑っていた田中くんは、信じられないという顔で僕たちを見る。彼は暗闇が大の苦手だった。

「い、い、い、いくに決まってるさあ! こんなところでひとりにしないでよお」

「ホントに大丈夫なのかよ」

「ぼくにつかまってもいいよ」

「うん。はやくサキちゃん見つけて帰ろうよお」

 田中くんは、ぼくの両肩に手を乗せると再び、かたく目を瞑るのだった。

「ンヌァアン!」

 落合くんが力任せにバールを打ち付けると、窓ガラスはバリバリと大きな音を出しながら、粉々に割れてしまった。今の音で誰かに気付かれやしないかと不安になるほどだった。

 部屋の中に這入ると、吹き抜け窓から差し込む月明かりが、薄らとリビングを照らしていた。床には枝のようなものが散乱し、その上には分厚い埃が堆積している。きっと、よっぽどの期間、放置されていたのだろう。


 パキッ。パキッ。


 枝を踏み割って部屋を探し回る。

「サキ!」

「サキちゃん」

「サキちゃーん」

 返事はなかった。

 リビングには、ロフトに登るための梯子、奥の部屋に続く木製の扉のほか、奥には対面式のダイニングキッチンがあった。

「サキ? いるのか?」

 落合くんが梯子に手をかけたその時、上から何かが落ちてきた。

「ゲギャ」

 もろに当たってしまった落合くんは、何かと共に、床に転げ落ちる。

「落合くん!」

 思わず駆け寄ろうとするぼくを留めたのは、田中くんの太い両手だった。

「そっちに行っちゃだめだよお」

 彼は、泣いていた。

 落合くんは、少しの間ピクピクと痙攣を繰り返すと、やがて動かなくなってしまった。彼の首は真後ろに捻じ返り、何も映さない瞳は、こちらをじっと見つめていた。


 上から落ちてきたものは、ミイラ化した人間の死体だった。背丈からして、成人男性だろうということがわかった。

 舌の奥が痺れ、酸っぱいものがこみ上げてくる。ぼくも田中くんも、その場でしゃがみ込むと、胃の内容が空っぽになるまで嘔吐を続ける。這いつくばって床に落ちていた木の枝は、指や、肋骨や、背骨や、大腿骨などの形をしていた。

 六帖間は、子ども部屋になっていた。勉強机に座っている小さな子どものミイラ、ベッドに横たわった姿勢で白骨化した小さな子どもの死体、おもちゃ箱にバラバラの状態で押し込まれた頭蓋骨。子ども部屋の遺体はすべて、ほぼ同じ背丈をしていた。

「か、帰ろう……こんなところ」

 ぼくは、腰を抜かしそうになるのを必死に耐えていた。ぼくがしっかりしなければ、田中くんはきっと耐えられない。肩に乗せられた田中くんの両腕をぐっと掴む。

 その拍子に、田中くんの両腕だけがひょいと持ち上がる。後ろを振り返ると、そこにはもう、誰もいなかった。


 ぼくは友だちの両腕を持ち上げたまま、立ち尽くしていた。

 どれほどの時間が経過したのかもわからなかった。ぼくはただ、静寂の中にいた。


「ただいま」

 玄関の鍵シリンダーが回る音と、ささやくような女性の声によって、現実に引き戻される。リビングに、かすかな明かりが灯った。

 誰かが助けに来てくれたのだろうか。


「だだだだだれれれれかかかいいいるるるるるるのののの?」


 家の中のあらゆる場所から反響する数十人分の輪唱は、次第に音量を増幅していく。頭がぐあんぐあんと鳴る。耳からぬるい液体が流れ出てくる。


 ぶちっ。


 ここでぼくの記憶は終わった。

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