十章 ✕✕✕・懐古

大昔の夢を見た。


何千年か、何万年かはわからないが、遠い遠い、昔の、あったはずの記憶。


私がずっと、忘れていた記憶。


「あなたは、神様が好き?」


母が膝に乗っている私に問いかけてきた。


「それって、××××のこと?」


「ええ、そうよ。あなたは××××や、彼女の夫の××××のことをどう思っているの?よく一緒に遊んでいるじゃない」


母は私が神様と一緒に遊んでいるのが心配になっているようだ。


そんな不安をよそに、私はにっこりと笑って答えた。


「うん!楽しいよ!××××様は私が知らないことを教えてくれて、××××様は、私に踊り方を教えてくれるの!」


「へえ、そうなの...」


その時私は初めて母が不安に思っていることに気づいた。


「なんでそんなに不安になっているの?私はお母さんの娘じゃないのに、そこまで不安になることはないでしょう?」


私が無意識下で発したその言葉は母をひどく傷つけたようで、とても落ち込んだような顔をして、こんなことを呟いた。


「あなたはお母さんがいなくなっても平気?」


「うん!だって××××様と、××××様がいるから。それに、いつかは絶対に一つになれるんだから。さみしくなんかないよ」


母は私にそれ以上何も言わずに、その夜家から出て行った。


夜更かしの得意だった私は母の後をついていった。興味本位でついていったのだが、今思うととても馬鹿なことをしたと思った。


母は、村の中央にあった大きな神社の前に、××××様と一緒にいた。××××様はいなかった。


「私は、××××の憎しみをこれ以上増大させるのはもう嫌だ。だから、××××××、君には契約通りあの子を差し出してもらう」


「しかし××××様!あの子は私の娘です。たとえ血のつながっていない子でも...」


「人間風情が神に口答えするな!」


「喧嘩はだめ!」


不意に私は彼女たちの前に飛び出していた。


「ああ、×××。ごめんね、これは喧嘩じゃないから。ただちょっと、君のお母さんが約束を守ってくれないんだよ」


「...」


母は黙ったままでうつむいていた。


幼さゆえの残酷さというものなのか、私は母にこう言ってしまった。


「お母さん!約束は守らないといけないのよ!そういったのはお母さんでしょ!」


「......ええ。そうね...そうだわ」


そういうと母は帰って行ってしまった。


「さあ、×××。おいで。約束を果たしに行こう」


××××様は私の手を取って神社の裏の洞窟に私を連れ込んだ。


洞窟の中は真っ暗だったが、××××様が手から炎を出す妖術を使って中を照らしてくれた。


「ほら、ここだよ」


そこには、人が一人は入れそうな箱と、中には等間隔で膨らんでしぼむ、私の胸の中にあるものと似たものが入っていた。


「さあ、×××。ここに入るんだ。中に入ったらこういうんだよ




われがそのせきむをうけつぎなんじのふんぬをわれがしょくそう




これをゆっくり三回唱えるんだ。分かったかい?」


私はゆっくりと頷いて、箱の中に恐る恐る入っていった。私が完全に入りきると、✕✕✕✕様は言った。


「じゃあ、✕✕✕。閉めるよ」


私は何も言わずにギュッと目を瞑った。


気の擦れる音が聞こえて、私の目の中には何も入ってこなくなった。


「われがなんじのせきむをうけつぎなんじのふんぬをわれがしょくそう」


一回目。背筋が少し冷たくなった。


「われがなんにのせきむをうけつぎなんじのふんぬをわれがしょくそう」


二回目。少し眠くなってきたような気がした。足元に何かが垂れてきてるのか、少しヒヤッとした。


「われがなんにのせきむをうけつぎなんじのふんぬをわれがしょくそう」


三回目。急に全身を異常なまでの憎しみが覆い尽くし、小さな箱の中で悶えた。


その瞬間から、箱が急に小さくなり始め、私の体を圧迫していった。


骨の折れる音が箱中に響く。


「いぃっ...う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ」


バキ、ベキと、心地の悪い音が箱中にこだまする。


痛い


バキッ


痛い


メキッ


痛い...


バキッ


痛...い


グシャッ


全身が圧縮されて体液が溢れ出したのにもかかわらず、私は生きていた。


もうこれ以上縮められないと思ったとき、箱の縮小が止まった。


(....終わった?)


もうどこに口があるのかもわからない。どこに足が、腕が、心があるのかもわからない。


ただ、二つの心臓の鼓動する音だけが聞こえた。


やがてその心臓たちは全く同じリズムで鼓動を刻み始めた。


それから、憎しみを忘れて、私は一度、深い眠りについた。








目を開ける。あれ?開ける?ここは、和室?私は、確か、さっきまでのは、夢...じゃないな。私の記憶だ。大昔に、私が忘れたままだった記憶なんだ。


その時、不意に若い男の声が私の耳に飛び込んできた。


「おや?起きたのかい?」


寝転んでいる体を起こして脳内を整理する。それから、声の主の方を向いた。


この人は、確か、一回あったことのある人で...


「伊邪那岐だよ。僕のこと覚えてるかい?」


いいや、この人は伊邪那岐ではない。あのときは記憶がなかったから、勘違いしただけだろう。


だって、彼はこんなに『哀しい目』をしていなかった。


彼はもっと、ある一つのものを追い求めて生きる、猛獣のような鋭く、そして情熱的な目をしていた。


「君の、名前は...?」


私がそう問いかけると、彼は少々驚いた顔を見せたあと、小さく思い出したのかと呟いて、優しく微笑んで言った。


「僕は火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)。カグツチとでも呼んでくれればいいよ」


カグツチ、誰だろう?彼は神に有るものを伊邪那美や伊邪那岐ほど強く持っていたが、私の生きていた頃には居ない神だった。


「あ、その子起きたのね。カグツチ!お茶と薬ここにおいておくから、私はお兄ちゃんのところに行ってるわね。また何かあったら呼びなさいよ」


風変わりな服装をした元気な女の子は、そう言ってお茶と薬のようなものを置いて出て行ってしまった。


「あの子は?」


カグツチにそう聞くと、彼は少し嬉しそうに話し出した。


「彼女はメイっていう子なんだ。僕の助手の妹で、黄泉の駅で唖然としているところを保護して連れ帰ってきたんだ。いやぁ、最初は女を連れ込んできたかと思って、もうそんな年になったのかと関したものなんだがね。まあ生まれた瞬間に首をはねられた僕が言うことじゃないんだけどね」


ははっと笑う彼をよそに、私は質問をいくつか連続して投げかけた。


「彼は、大八州希栄は!彼はどうなった?それに、伊邪那美はもう居ないのかい?あとなぜ私がここに存在できいるんだ。もう力は使い果たしたあとなのに!」


彼は大きくため息をついて、やれやれと言った様子で立ち上がり、部屋のふすまを開けた。


ふすまの向こう側には、黄泉の国の景観とは全く違い、桃色の花畑が広がっていた。


高さ的に、ここは二階の高さに相当するようだ。


しかし、何だろう、この気持ちは。なんと言うか、うまく表現できないけど、すごく吸い込まれそうなほど


幸 せ だ


彼はすぐにふすまを閉めた。それから私の方を向いて言った。


「これで少しは落ち着いたか」


彼の少し冷たい視線で私ははっと我に返った。


「...あ、ああ。もう大丈夫だ。質問に答えてくれ」


「アレのことは聞かないのかい?」


「聞いたら長くなるでしょう?」


「...ふふっ。そうだね」


カグツチはそう笑って私の前に座り込んで話し始めた。


「まず、彼のことだね。結論から言おう。彼の魂は生きている。肉体はまだあの橋の上で寝たままだがね。そして伊邪那美だ。あいつは、僕が隙をついて少し弱らせた。それから、君がその姿で居られるのは僕の妖力を食っているからだ。ちなみに、今の君はいつの君よりも弱い。まあ人間の魂を大量に吸収する機会でもあれば、君は君の力で活動できるだろう」


そう言うと彼は着物の胸元から取り出した煙草を吸い始めた。


初めて匂う煙草の匂いだった。甘くて、香のような上品な匂いがした。


「僕はしばらくここにいるから、君はこの家でも見て回ったらどうだ。きっと長居することになるからね」


私は頷いて部屋を出た。


部屋を出ると一本の廊下の壁にそれぞれ一つの扉があった。


一つは私が出てきた部屋だ。


もう一つの重そうな扉に手をかけて、開けた。


中からは脳が蕩けそうな甘い匂いと、二人の男女、さっき私達にお茶と薬を運んできてくれたメイと、おそらくだが、その兄がいた。二人はまるで恋人であるかのように身を寄せ合って本を呼んでいた。


私は二人に気づかれないようにこっそりと扉を閉めて、廊下の端にあった階段を降りた。


下の階には台所があり、割と生活感があった。長い間ここで暮らしているのだろう。


しかしその反対側には今まで見たこともないような神器が大量にあった。


それらの神器たちは私でも知っているほど有名なものから、全く無名なものまでが無造作に積まれていた。


神器は見ただけでその名がなんとなくわかるのだが、その中の一つにこのようなものがあった。


十拳剣(トツカノツルギ)


これからは妙な力を感じた。伊邪那岐に似た、力強い男のような力だ。


無意識に、手がそれに触れた。


それと同時に、有る記憶、いや私怨と言った方が言いか、そんなものが流れ込んできた。


そこそこ大きな憎しみだったが今まで受けたものに比べたらどうということはない。


よし、一度覗いてみるか。


「顕現...」


『そんなことせずともお主の意思には応えよう』


神器が...喋った?


「君は一体何者なんだい?」


『我は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)かつて伊邪那岐の禊によって生まれた須佐之男に敗れたものだ。貴様こそ誰だ。我と話せるものなどいないと思っていたのだが。』


「じゃあ単刀直入に聞こうか。なんでそんなところに封印されているんだい?」


『我の魂をのに放てば再び現界して民を殺すと考えたのだろう』


「へー、そうかい。じゃあ、ここから君を開放する代わりに、私に力を貸してほしい。今の私単体では伊邪那美と戦ったときの勝率は低いからね」


『...その言葉は真か?』


意外とあっさり受け入れるものなんだな。


「さっきから一体何を一人でブツブツと言っているんだ?」


カグツチが知らぬ間に私の後ろに来ていた。


「あ、いやぁ。その...」


多分彼には嘘は通用しない。私は諦めて大きくため息をついた。


「実は私、神器と話す、正確には神器の中にある魂と会話することができるんだ」


「それで、この十拳剣と話していたのか」


彼は私の隣を通り過ぎて、剣を握った。しかし持ち上がりはせず、壁に立てかけたまま動かなかった。


「何してるんだい...?動かさない...いや、動かせない?」


「そうだね。僕がどれだけ頑張ってもこの剣はびくともしない。しかし僕以外が持つといとも簡単に持ち上がるんだ。不思議じゃないかい?君にはなぜ僕だけがこの剣を持てないのかを教えてほしい。」


『その男は嫌いだ。我の性分に合わぬ』


「カグツチ。君はこの剣にひどく嫌われているらしい。何したんだい?」


彼は少し頭をかいて考えた様子を見せたが、これと言って特に思い当たるといった様子もなく


「無いね」


といった。しかしすぐにその後もしかしたらと付け加えて言った。


「僕が伊邪那岐と伊邪那美の子だから、少し須佐之男と通ずるところがあるのかな」


須佐之男と言えば、先ほどの剣の魂が話していた、伊邪那岐の禊とやらで生まれた神だったはずだ。


それで、このカグツチは今一体何と言ったんだ?伊邪那美と伊邪那岐の息子?


なんだそれは?聞いたことがない


でも、じゃあ、なんで私がここにいるんだ?


「私はお前の母親を殺そうとしているんだぞ。どうして私を助けるような真似をしたんだ。あのまま見殺しにすることだってできたはずだ」


私がそう言うと彼はフフッと笑って、そういえば言っていなかったねと言って、


「僕は生まれた瞬間に、伊邪那美に致命傷になるほどの火傷を負わせたんだ。それに激怒した伊邪那岐が生まれた瞬間の僕を斬り殺したんだ...これから少し長くなるけどいいかな?」


と、それからしばらく彼の過去、それから私を助けてくれたいきさつを語ってくれた。


簡潔にまとめるとこうだ。


死んでからすぐに黄泉の国に来たけれど、伊邪那美の嫌われていたため地獄に落とされた。しかし受け継いだ神としての力で地獄を脱出し、黄泉の国とは別の次元を作り出した。


そこで暮らしているうちに年を取っていくことがわかり最盛期であろう自分の魂の完全な複製体を作った。ちなみに寿命は人間のそれと変わらないということだ。


ふらっと外に出てみると私、コトリバコがいたそうで、これは使えると思い連れ帰ってみたということだ。しかしすぐ脱走されたので、あきらめて他の神器や人材を探すことにしたという。


しばらく一人で神器集めや対伊邪那美の軍を整えて過ごしていたところ、一人ではつまらなくなってきたため、伊邪那美に復讐するための道具として彼を選んだという。理由はよく働くからだそうだ。


またしばらく神器を集めながら過ごしていると、急に黄泉の国の伊邪那美の力が弱くなり、あわてて外を確認してみたところ、私と大八州希栄という男が伊邪那美を打ち取ったということがわかり、自陣営に取り込もうとしたが、射殺されていたため、急いで魂だけ回収し、久しぶりに会った私の力を使おうという魂胆だ。


話し終わった彼はこれでもかという風に目を輝かせて私にも作戦の一端を担ってほしそうな顔をしていた。私は大きくため息をついて言った。


「私には断る理由がないよ...しかし、具体的にはどうやってあの女を殺すんだい?神だから弱らせることはできても完全に消滅させることはできないぞ」


「それは百も承知だ。僕には彼女を殺す意思はない。ただ、彼女を居なくしたいんだ」


「それは、いったい殺すとどのように違うんだい?」


カグツチは指をパチンと弾いて言った。


「まあ普通はそうなるよね。でも、だ。さっき君が見たあの花畑。強い催眠作用があるんだ。まあ実際は強制的に快楽を脳に与え続けているだけなんだが、まあそんなことはどうでもいい。彼女をそこに押し込むんだ」


「...どうやって?」


「これに関してはまだ未確定なんだが、君と大八州の力を使う。もしかしたらお互い死ぬかもしれないけど、まあ彼ならやってくれるだろう」


「無理だな」


「いいやできる」


「彼は死に際に生きたいと願った...それでもか?」


「そうだ」


「...そうかい。それで、彼の魂は今どこにあるんだい?」


「それはね...」


彼は食器棚のようなところから瓶に詰められた魂を取り出した。


「彼はこれだ。今から少し肉体に詰めてくるから少し待っていてくれ」


さっき彼の魂は無事だと聞いたから、肉体はおそらくダメなんだろう。


しかし、いったい誰の肉体に彼の魂を入れるつもりなんだ。


まあ、考えたところで変わりはしないな。


「あ、そういえば」


私は急いでメイたちのいる部屋へと向かった。


扉を開けると、メイの兄が彼女を寝かしつけていた。


「コトリバコさん。何の用ですか?今やっと眠ったところなんです」


「単刀直入に聞こう。あの鬼どもはどうなっている」


彼は少しあたりを見渡してから机の上にあった水晶玉を取った。


「彼らは...殺されています」


「...だろうね」


まあ予想はしていた。生かしていたら厄介な奴らだ。まず始末するだろう。


「ありがとう。聞きたいことは以上だ」


私はそう言って二人の部屋を出て、すぐに一階に戻った。


大きくため息をついて、今使える技を片っ端から試してみた。


結果として使えたのは、千手螺旋剣のみだった。しかも、今までためていた人間の魂も、大八州の体から離れたことですべて落としてしまった。


「本来の一割にも満たないな。これじゃ、箱に戻るのも時間の問題か」


『おい、貴様。我を忘れてはいまいか』


「ああ、そういえば、君いたんだね。忘れてたよ」


『ひどい有様だが、先ほど我が貴様に力を貸すことを決定した。喜ぶといい』


「具体的に、どうやって?武器だけじゃどうにもならないよ」


意気消沈の私に八岐大蛇は一つ提案をした。


『われの今まで食らった魂を百ほど譲ろう。神代の人間のものだ。さぞ良き物だろうて』


そう言って、私に百の魂を吸収させた。すさまじい力だ。たった百でこうなるのか。


『これで、本来の力以上のものが使えるであろう』


少し同様の隠せない私に八岐大蛇は言った。


『さあ、契約通り我を開放せよ。この剣を叩きを割るだけでよい』


「...わかった。ありがとう」


そういって私は十拳剣を真っ二つに叩き割った。


それと同時にものすごい妖気が剣から飛び出した。


「君は、行ってしまうのかい?」


『そうだな、しばらくは他の世界を見て回ろうと思っている。では、達者でな。×××』


そう言って彼は虚空へと溶け入るように消えて行った。


「さて、私にもできることをしようか」


散らかっている神器を退かして、私の中からコトリバコを取り出した。


体液で円を描き、その中心に箱を置いた。


「この力なら、この国の一日くらいなら時間を戻すことができる」


逆に、黄泉の国の一日しか時間を戻すことが出来ない。それ以前に死んだ、いや、私が殺した彼らはもう戻ることはない。おそらく落とした魂は勝手に輪廻に帰っただろう。それが唯一の救いというものか。あの女にとられない分まだましだ。私は大きく深呼吸して言った。


「顕現・開闢」


私の掛け声とともに床に私が書いた円と同じ大きさの穴が開いた。


その時、丁度だ。『彼』が戻ってきた。まさかその見た目で来るとは思ってもみなかったが。


「本当にやるのかい?」


「ああ。これは僕の決めたことだ。もう逃げないし、弱音もはかない」


「そうかい。じゃあ、行こうか。希栄」


「そうだね。終わらせて、僕は生きるんだ」


後ろから、カグツチたちが見送りに来た。


「まったく、勝手な子たちだ」


「君は、来ないのかい?」


「ここにずっと閉じこもってるだけの僕が行ってもろくに戦えないさ。それに、僕が彼女に吸収されたらもっと厄介になるだろう?」


「ハハッ、確かにそうだ。じゃあ、行ってくるよ」


ふふっ、それじゃあ、行ってらっしゃい。


最初で最後の、最後の反攻作戦だ。


どうか君たちの紀行が、夜の世界に光をもたらさんことを。


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