四章 葛藤・高峰

僕は、小さい時から僕の中にもう一人の僕がいた。


僕が悲しいときは、彼が僕のかわりになって敵と戦ってくれた。


でも彼は少々やりすぎなところがあって、僕がしばしば止めに入らなければならなかった。


それに、彼の執着心はものすごく強く、螢という女性を困らせていた。


彼はいつも僕のことをどう思っているのか全く分からなかった。


でも、これだけは分かった。


彼に体を取られちゃだめだ。




僕は生まれたときから、ずっと一緒にいる兄弟がいた。


一つの体を共有しているが、彼のほうが生き方をよく知っているので、ほとんどのことは彼に任せた。


でも、少々彼には臆病なところがあって、よくいじめられていた。


そんなとき、僕は彼の体を一瞬借りて、彼の敵と戦った。


彼の思考は手に取るようにわかるのだが、ただ一つ、わからないところがあるとするのならば


何故いじめていたやつへのやり返しを止めるの?








目が覚めた。


電車の中だ。


先程までのことを思い出して、背伸びをした。


あたりを見回すと、誰もいない。


大きな音を立てて隣の車両から誰かが来た。


ふと、今まで書いだことのないような、強い血の匂いが鼻を突いた。


それと同時に隣の車両の扉を破壊し、六本の腕を持った怪物が出てきた。


それぞれの腕には刀らしきものが握られている。


目があった。


まずい、逃げなければ、そう思ったけれど、足が動かない。


ああ、『彼』が出てくるのか。


視界がにじむ。


真っ暗になった。


目に光が入ってきた。


久しぶりに外に出るんだから、楽しんでやろう。


「来いよ、ウスノロ」


僕の声に反応して、怪物は襲いかかってきた。


速い。だが、攻撃自体は単純だ。大丈夫だ、避けれる。


左の一番上の腕からまず真上、それから左の真ん中の腕から右の脇腹に、同時に一番下の腕から足への攻撃。


後ろに飛んだらヤツの思うつぼだな。残った腕で真っ二つにされる。


前に出て、怪物の真ん中の左腕の肘を踏み台に、一番上の腕に飛びついた。


折れる。勝てる。そう確信した。


左の一番上の腕の一番弱いところを狙って、全体重をかけて折った。


ボキリという醜い音の後に怪物が悶えて跪いて、その手に握っていた刀を落とした。


急いで刀を拾い上げ、左の真ん中の腕を切り落とした。


またもや汚く叫んで、先程攻撃してこなかった腕を使って、首元と腹部に攻撃。


それと同時に左の一番下の腕で足元への攻撃。


近いな。避けられない。


下二つの攻撃を飛んでかわし、首元の刀を、持っていた刀で受けた。


その反動で、距離を取り、怪物の後ろへ回った。


怪物が立ち上がる前に、間髪入れずに足の腱への攻撃。


赤い体液が吹き出し、怪物は地面に倒れ込んだ。


とどめだ。止めるなよ。高峰。


背中に立って首を斬った。


またもや汚く、赤い液体が吹き出し、僕の顔を染めた。


勝利の余韻に浸りながら微笑んだ。


それから、怪物の持っていた中で一番綺麗な刀を持って、他の車両の探索を始めた。


他の車両には誰もおらず、肉片や骨が転がっていた。


しばらく歩いていると、車内に誰かの声が響き渡った。


「次は、阿鼻地獄。阿鼻地獄です。終点です。皆さん降りましょう」


阿鼻地獄。


一度だけ聞いたことがある。生前に大罪を犯した人間だけが入れるという地獄。


「いま出てきたら大変な目に合うぞ。高峰。僕に任せておくんだ」


そう呟いて、汽車が止まるのを待った。


汽車が止まり、扉が開くと同時に、罪人共の唸り声が聞こえてきた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「殺してくれ。頼む。殺してくれぇ。」


「あ、、あ。あああ、あああ。あ」


大きくため息をついた。


「全く、馬鹿馬鹿しい」


軽蔑するような目で罪人共を見ながら電車を降りた。


それと同時に電車は消滅した。


戻れなくなった。いや、それより大事なことがある。


「暑っ」


一体何度あるんだ。


上裸になって、上着を腰に巻いて、近くで罪人を殺し回っている巨大な鬼に聞いた。


「ここは阿鼻地獄なのか?」


「あ?何だお前。二千年経ってまだ人格を保っているのか?いや違うな。ここは阿鼻地獄だがどうやってここに迷い込んだ」


良かった、話は通じるようだ。


「白い服を着た女に招待されて連れてこられたんだ。途中で、怪物に襲われてここに来た。この刀、何なのか分かるか?」


鬼は刀を見るなり、目を見開いて近くの暇そうにしている鬼に声をかけて、殺しの交代をした。


「お前、一体どうやってあの御方を殺したんだ。人間ごときが殺せるような御方ではないぞ」


「なんてことなかったさ。ただ、多分あの汽車が狭かったからだろうな。十分に戦えてる様子じゃなかった」


そう言うと鬼は、ゆっくりと頷いて、


「こっちへ来い。獄卒様のところへ案内してやる」


「阿鼻地獄には獄卒しかいないんじゃないのか?」


「馬鹿め、それだけしか鬼がいなければ仕事が回らんだろう」


鬼が鼻で笑いながら言った。


「...それもそうだな」


少し移動すると鬼はどこからともなく大きな扉を出現させて、僕を先行させる形で中に入った。


扉を抜けた先には獄卒がいる。確か阿鼻地獄の獄卒は六十四個の目を持った鋭く長い牙や八つの牛の頭が生えているとされていたはずだ。


近づくだけで死ぬかもしれないな。


扉を抜けると、そこには玉座のような椅子に座りながら頬杖をつく一人の女性がいた。ただ、赤く長い角が生えていたため、すぐに人外ということはわかった。女性は僕と鬼を見るなり眠そうな声で、


「何じゃ」


とだけ言った。明らかに僕が阿鼻地獄の住人じゃないことはわかっている様子だ。


「獄卒様。こちらの人間は、伊邪那美様の客だと思われる人間です」


その言葉に、獄卒は大きく目を見開いて、近くにあった金棒を僕に投げ飛ばしてきた。


僕はとっさに刀で防ごうとすると、刀の前に赤い結界が張られ、金棒を粉々にした。


「はぁ、お主その刀は某の愛玩のものじゃろう。よくあいつに勝てたな。結界など張られんかったのか?」


「はい、素手で戦ったので。恐らくそのせいでしょう」


「な!あやつと素手で戦ったじゃと!?なんと命知らずな...ま、まぁ良い。愛玩を殺されたのじゃ」


金棒をまたもや取り出して、肩に載せて微笑んだ。


「死んで某の新しい愛玩になれ」


刀を構えた。まだまだ壊れる気配はない。大丈夫だ、戦える。


「さあ、鬼退治と行くか」


しばしの静寂が流れたあと、獄卒は大きく飛んで金棒を僕の頭上に振り下ろしてきた。


右方向に転がって回避し、刀を獄卒に向かって振り下ろした。


思っていたとおり、一筋縄には行かず、避けられた。


「お主、いまのを軽々と躱し、あわよくば某を切ろうとするとは。ハッハッハッハ面白い、某も全力でかかるとしよう」


もう一度、振りかぶりに来た。今度は速い。刀で受けながら、回避した。


床が大きく割れている。


「当たったらひとたまりもないな」


呟きに続いて、連続で金棒を振ってきた。動きが多少複雑になったが、まだ捌ける。


刀と金棒が当たりそうになる度、赤い結界が張られて、金棒を弾き飛ばした。


数十回打ち合ったあとに、獄卒が息を切らして言った。


「あぁぁっ、無理じゃ!某にはこの男は倒せん」


「...殺さないのですか?」


僕が聞くと、獄卒は少し怯えた声を出しながら


「あの女の客を殺せば某の首が飛ぶのじゃ。某もまだ生きたいからの。手加減じゃよ。手加減」


「そうですか」


僕と獄卒がしばらく黙って向かい合っていると、先程の鬼がおずおずと出てきた。


「あの、仕事に戻ってもよろしいですか?」


「あぁ、いいぞ。戻れ」


獄卒の言葉に、鬼は安堵の顔を見せて、足早に帰っていった。


「はぁ、それでどうやってここまで来たんじゃ」


そこで僕は今まであったことを事細かに話した。


「ううむ。なるほど」


と、言ってから獄卒がしばらく黙った。


それから獄卒は真剣な顔をして口を開いた。


「ならば、お主よりその大八州とやらのほうが強いのじゃな」


「え。今までの話聞いておいて、それだけしかないのですか?」


「ああそうじゃ。某は強いもの以外に興味がないからな」


ここまで執着心の強い獄卒がいるのか。仕方がない。『あのこと』を話そう


「実は、僕はこの体を借りているんです」


「なんじゃと?」


獄卒が訝しい目をした。


「どういうことじゃ。説明せい!」


僕は高峰の体に生まれたときからいるということや、彼の体を今もずっと借りているということ、そして最後に大八州の前では力が全く出なくなったというを話した。


「それなら、お主のほうが実際の力で言えば大八州より強いのじゃな」


「まぁ、そういうことですね」


獄卒はしばらく考えてから、何かをひらめいたようで、僕に近寄ってきた。


「お主と高峰とやらの体を分けてやれば良いのではないか!それなら強い人間を某のそばに置くことができる。なぁに、取って食いはしないさ。鬼の仲間にして某の仕事を手伝う。それだけじゃ」


そんな事ができるのか、そう聞こうと思ったときだった。


急に世界は二つに分かれて、片方の世界が真っ暗になったと思ったら、残っていたもう片方の世界に暗闇が塗り替えられた。


「これでいいじゃろう」


ゆっくりと右を向くと、そこには今まで存在は認識していたものの一度もあったことのない兄弟がいた。


「やぁ、初めまして」


「あ、どうも」


初めて会うからだろうか。彼の返事はぎこちなかった。


それもそのはずだ。彼は今全く同じ姿の人間と話しているのだから。


「これで完全に別れられたじゃろう。ほら、高峰とやら。いま黄泉の国へ送り返してやろう」


「ちょっと待ってください」


言いたいことがある。と言う前に、彼が口を開いた。


「今まで一緒に居れてまあまあ楽しかったよ。執着心の強い僕なんか、いないほうが良いだろう。元気でね」


密かに名付けていた名前を呼ぶまもなく、僕の視界は光に包まれた。


光が弱くなったとき、僕の目には見たこともない駅と、白い服を着た女、伊邪那美の目の前にいた。


しかし初めてあったときのような恐ろしい姿はしておらず、少し人間味が出ている。


「高峰、一体何があの汽車の中であった。汽車の上に立ってボーッとしていたから連れてきたが今の今まで立ったままだったんだぞ」


「阿鼻地獄に連れて行かれました。そこで、僕の中のもう一人の僕が、峯高みねたかが、獄卒に奪われました」


なにげに僕は初めて彼に勝手につけていた名を呼んだ。


「そうか。大変だったな。あとは任せなさい」


伊邪那美は少し怖い顔をして僕の横を通り過ぎていった。奪い返しに行くのだろうか。


まあ、どこに行けば良いのか全くわからないが、とりあえず、近くを歩いてみよう。


その時、知っている声が後ろから聞こえてきた。


「あ、高峰さん。もうここに来ていたんですね」


螢さんだった。今までか彼女が居ると峯高が勝手に出てきていたので、彼女と話すのは初めてだった。


ひと目見ただけでも分かる。僕が知っている螢さんと雰囲気が変わっている。


「誰だ。お前」


僕は自分が峯高になりきったつもりで聞いてみた。すると彼女は、少しキョトンとした顔をしたあとに、何かを思い出したように言った。


「実は私、先程まである夢を見ていたんです」


「夢...ですか?」


「はい、昔の親友を救う夢。私はそこで死んじゃったんですけど、時間が戻る訳はなく、もう一度目覚めたわけです。」


続けて彼女は、


「でも、不思議ですね。彼女は死んでいるとわかっているのに、何故か彼女を死なせてしまったという自責の念が消え去ってしまったんです。それで、今まであった嫌なことも全て忘れて。私はもう少しここに滞在してから現世へ帰ろうと思います。やりたいことが見つかったんです」


と言った。


「やりたいこと...ですか?」


僕の口をついて出た言葉に、彼女は一息ついてから言った。


「彼女のお墓参りです。今まで行こうともしなかったせめてもの償いをしようとしているのかもしれませんね。」


そう言えば、と彼女は言った。


「高峰さんも随分変わったように見えますが何かあったんですか?まるであなたの人格の半分が消えたみたいに大人しくなってますけど」


「いや、これは電車の中で...」


「ああ、あの怪物ですね。私は右腕を食べられましたが、気がつけばいつの間にか生えていました」


「右腕って生えてくるものなんですか...?」


僕の問いに彼女はフフッと笑って後ろを向いて歩き出した。急いで僕もその後を歩いた。


「世界って不思議ですよね」


暖かい春のような風が吹き、風に彼女の髪がなびいた。


駅から出ると、空には満天の星空が広がっているにも関わらず、昼間のように明るかっ。ただ、眩しいというほどではなく、ほんのりと柔らかい光が照りつけているというくらいだ。


町並みは江戸時代そのもので、大きい道から路地が伸びており、その端に建物が立っている。


僕は黄泉の国とはこういうところなのかと、少しの間心を奪われた。


遠くの空には大きな黄土色の輪っかがゆっくりと回っていた。


僕が大きくため息を付いたときであった。見知らぬ声が僕の耳に飛び込んできた。


「おーい、螢ちゃん。何勝手に外に出てはんの。危ないやろ?」


「だ、誰...?」


「この人は、私の面倒を見てくれている人で、荒川 須恵さんと言います」


彼女の紹介に、須恵という女性は軽くこちらに会釈をした。


「初めまして、おいらは須恵っちゅうもんです。よかったら、家でのんびりしていかへん?」


「え、でも...」


その時、僕の隣に来ていた螢さんが僕のことを小突いた。


「よろしくお願いいたします!」


「ふふ、ええ返事や。若いなぁ」


優しい人だなぁと思ったとき、不意に僕の半生の記憶が呼び起こされた。


いつも僕たちを怖がっていた父と母。


僕たちをいじめたせいで、二度と耳が聞こえなくなったいじめっ子。


僕たちを頑張って指導してくれた先生。


そして、彼の暴力を初めて止めてくれた、大八州君。


様々な人達が僕と彼を助けてくれた。


だが、僕も彼がいなくなったことで、死ぬ理由がなくなった。


このまま螢さんと一緒に帰るか。いや、でも帰ったところで変人扱いが続いて隔絶された人生を送ることになるのか。


どうせろくな人生を送れないし、このままここにいよう、そう思ったとき、須恵さんが、ものすごい剣幕で口を開いた。


「あんた、その顔、今ここにこんまま居てもええなあて思たやろ。あかんで、絶対帰りや。人生はほんの一度きりやねん。お願いやから絶対に帰りや。ここはそんなにええ場所やない。今からそれを見せたろ。付いてき」


須恵さんは怒ったまま僕の手を引いて歩き出した。十分ほど入り組んだ路地を歩いたところで須恵さんが止まった。そこには僕の目の前で怒っているものとは信じられないことが起こっていた。


「ひ、人ですか?」


段々と体が崩壊して言っており。あたり一面には血液が広がっている。その人は声にならない叫び声を上げ、地面で今にも死にそうな浅い息をしていた。


「どうや、これが生きた人間がここにおったらあかん理由や。分かったな」


そう言うと須恵さんはまた僕の手を取り、歩き出した。


路地の深い闇の中に、彼の体は消えていった。

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