二章 追想・メイ

はぁ。と、ため息をついてみた。


何も変わらない。


足元にあるぬいぐるみを蹴飛ばしてみた。


何も変わらない。


また大きくため息をついて近くにあったベッドに寝っ転がった。


枕元に手を伸ばすと、何か、紙のようなものに手が触れた。


つかんでみると、クシャっという音が聞こえた。


紙に書かれた文字を見た。


この前の試験の紙だった。点数は、百点中、九十七点。


学校内では二位だった。


最近は、お裁縫を覚えた。手を所々ケガしてしまったが、お手伝いさんよりも上手にできるようになった。


だから、そのお手伝いさんは家から出て行った。


この前は、お作法を完璧に覚えた。お作法担当のお手伝いさんよりも上手になったから、そのお手伝いさんも家から出て行った。


これだけいろんなことをやってのけたが、双子の兄だけにはかなわなかった。


何をするにしても兄はずっと一番。


そんな兄にほんの少し嫉妬しつつも、内心、少し安心していた。


それはあの親たちのせいだった。


よくできた兄にはとんでもない量の愛を注ぎ、あらゆることをさせた。


大人でもできないことが少しでもできなければ、すぐにしかりつけ、殴った。


両親は、異常なまでの完璧主義者だったのである。


逆に、完璧じゃない二番の私は、何の注目もされずに、ただただ、えさを与えられた犬のような存在だった。


そんなある日、兄は、近くの川に飛び込んで、死んでしまった。


泳ぎができた兄がおぼれて死んだのは、殺人ではなく、自分の意志だということを表していた。


兄が死んでから、両親は嘆き悲しみ、一週間ほど自室から出なかった。


しかし、ある日突然父が


「新しい子を連れてこよう」


と言って、出かける準備をしだした。


また新たな犠牲者が出ないように自分がいるということを伝えた。


しかし、父は


「繰り上がって完璧になったつもりになるな。お前は我が家の失敗作なんだからな!」


といって私を相手にもしなかった。


そうして連れられてきた子は、とても悲しい眼をしていた。


彼女は両親が死に、生きる当てをなくしていたが、頭がよく、器用だったのでここに連れてこられてしまったのだ。


最初はかわいそうだと思って優しくしていたが、だんだんと彼女に両親の圧がかかってくると、私は、あることに気づいてしまった。






彼女をだめにしてしまったらいいんだ。






そうすれば、きっと彼女は救われ、私だけが愛されるだけで済む。


だから、私はその日から、彼女をだめにするため、いじめた。


彼女が皿を運んでいるところをつまずかせたり、父の大切にしている皿を割って、彼女のせいにしてみたり、彼女を傷つけてみたりした。


すると、だんだんと両親はこちらを向き始めて、私を兄のように扱った。


苦しくて、苦しくて、もうどうにかなってしまいそうで、怖かった。


ただ、それ以上に怖かったのは、彼女を傷つけておいて何も感じなかった自分だった。


そんなある日、とうとう私も失敗してしまって、殴られた。


その時、私は初めて兄の背負っていたものの重さに気がついて、彼を尊敬までした。


「死にたい」


初めてつぶやいた言葉は思ったよりも軽く、心の重さは減らなかった。


部屋のベッドに寝転がって泣いていると、ついに『あの人』が現れた。


そのひとは、小さくて、私と同じ、もしかしたら、私より小さいのかもしれなかった。


恐怖は感じなかった。一目見ただけで神に近しい存在ということが分かったからだ。


そして、『あの人』は私に小さな切符を二枚渡してくれて、


「死にたいんでしょう?ならここまでおいで」


と私の耳元でささやいた。彼女の分まで渡した理由を尋ねると、


「あの子は君をひどく恨んでいるの。いったい何をしたらあんなことになるの?」


と言ってきた。言いたくなかったので答えずに、頭だけ下げて、彼女の部屋まで走った。


彼女に切符を一枚渡して、私たちは、脱走した。


それから幾晩かを超えて、やっと指定された駅までたどりついた。


他にここに来る人がいるのかはわからないが駅に到着したのは私たちが最初のようで、まだだれも来ていなかった。


しばらく物陰で、座っていると、彼らがやってきた。そう、螢さんと、大八州だ。


私は知らないうちに彼らに話に行ったようで、気づいた時には、汽車に乗る人たちはほとんどそろっていた。


そのあと少し暴力沙汰にもなったが、死人は出なかったので問題なしだ。


それからしばらくしてみんなが汽車に乗り込んだ。


汽車の中では、『あの人』の指示でみんな一人ずつ自己紹介をして、『あの人』の指示とは別に、みんなそれぞれが仲よくしようとした。少なくとも、私の眼からはそう見えた。ただ一人、大八州を除いては。


あいつは、どこか他の人を自分と同じ種の、人間じゃないものを見るような目だった。


軽蔑の目とはまた違い、何もその物体に感情を注いでいない目だった。


自己紹介が終わった途端、駅までの道で一睡もしていないことがたたったのか睡魔がやってきて、私を深い深い眠りへといざなった。






夢を見た。






長い長い夢だった。






今までの事をすべて忘れ、目を開いたときには、眼の前に兄がいた。


私はとっさに、お兄ちゃんと呼びたかったが、口が動かない。


彼は、ゆっくりと私に近寄ってきて、私の耳元で、囁くようにこういった。


「どうして来ちゃったんだよ」


その時の私はなぜだめなのかがさっぱり分からなかったが、兄は続けてこう言った。


「でも、よくやった。これであの子は救われる」


私は、あの子というのはレイのことかと聞きたかったが、まだ口は動かなかった。


それから段々と視界が暗くなり、兄の姿が見えなくなったとき、ようやく口が動いた。


「行かないで!お兄ちゃん!」


そのこえはふかいやみのなかにすいこまれて言っただけで、兄には届かなかった。


しかし、私の声は『あの人』には届いたようで、暗闇から這い出るようにしてやってきた。


「お兄ちゃんに会いたいかい?」


あの人は口を一切動かさずに私の頭の中に直接語りかけてきた。


大きく首を縦に振ると『あの人』はニンマリと不気味な笑顔を浮かべて、


『わかったよ』


とだけ言って、消えてしまった。


そこで夢は終わった。






目が覚めると、先程の車両の中にいたのだが、人数が減っている。


車内にいたのは、私と螢さんだけだった。


彼女はまだ眠っていたが、肩をとんとんと叩くと、少し声を上げてから目を開けた。


それから十数秒、周りを見回し、私を見てゆっくりと口を開けた。


「あ、メイちゃんだったよね?あの、ここ、なんでこんなに人が少なくなってるの?」


「私にもわからないわ。でも、起きたらあなたと二人きりでここにいたのよ」


「そう、なんだ」


しばらくの沈黙の後に、突然車内の照明が落ちて、真っ暗になった。


螢さんと私は立ち上がり、あたりを警戒したが、すぐに照明は戻った。


明るさに目が慣れてくると、車両は先程とは打って変わって、血まみれになっており、どこもかしこも獣が争ったような惨状だった。


しかしよくみると、すべての傷が一つの鋭利な刃物で傷つけられたような同じ傷だけだった。


不気味に思いながらも一歩前へ足を踏み出すと、背後から螢さんのものではない他のなにかの音がした。


恐る恐る振り返ってみると、そこには頭が三つあり、腕が六本ありそれぞれの手に同じ鋭利な武器を持った怪物がいた。


阿修羅だ。直感でそう感じた。


「これは危ないものだ、今すぐ逃げなさい」


汽車の中のどこかでで誰かがそう呟いたとき、私は我に返り、放心状態の螢の手を思い切り掴んで逃げ出した。


阿修羅と思われる怪物は私達が逃げるなり、ニヤッと不敵な笑みを浮かべて、奇声を発して猛スピードで追いかけてきた。


螢さんはいつの間にか自分を取り戻していたようで、螢さんが私の手を引いて逃げていた。


しかし怪物のほうが数倍足が速く、すぐに追いつかれた。


近くで見るとゆうに七尺は超える背丈で、目は赤く光っていた。血に持っている武器を構えられたとき、もうだめだと思って、私は強く目を瞑った。


その時のことだ。私の手を引いていた螢の手が離れたのであった。


急いで目を開けると螢はそこにはおらず、かわりに怪物の前に立っていた。


「行きなさい」


蛍さんは静かに呟いた。覚悟を決めた声と目つきだった。


私は、何もできずにくるりと後ろを振り向いて走り出した。


何もできなかった自分が憎かった。私に唯一親切にして、私を叱ってくれた螢さんをこうも簡単に見放してしまった自分が憎くて仕方なかった。もしも私が別の人だったらこのメイという私を殺していただろう。


走っている途中に、後ろからグチャッという音が聞こえたが、もう振り向きたくもなかった。


このまま、悪役のままでいさせてほしい。


そう思って、無理やり頬を上げて笑いながら走っていた。笑いながら走ってやった。


涙は、安心の涙。悲しさや、悔しさなんかじゃない。


自分にそう思い込ませながら電車の中を走った。


後ろで何かがドサッと落ちたような音がしたが振り返らなかった。


しばらく走って、なにかにつまづいて勢いよく転んだ。


立ち上がって足元を見ると、そこには人間のものと思われる大きな骨があった。


部位的には右腕の骨だった。骨はきれいに斬られていて、まだ少し生臭さが残り肉片が周囲に散乱していた。


螢さんのものだ。直感的にそう思って、全身を恐怖が駆け巡った。


しかし、それよりも恐ろしかったのは、なぜ一直線に走ってきたのにまた同じところに戻ってきてしまっているのかということだった。


ということは、私の前にも後ろにもいまあの化け物はいるということだ。そしてあいつが走ると私の数倍早く走れる。


逃げ切るにはあいつと同じ速度でちょうど反対側を走らないといけない。


「無理だ」


不意に弱音が出た。


それと同時に体から力が抜けて、その場に座り込んだ。


逃げなきゃいけないのに、走らなきゃいけないのに、螢さんが犠牲にまでなってくれたのに、


「どうして走れないのよ!」


涙をこぼしながら、立ち上がったが、ほとんど歩くこともままならなかった。


大きめの肉片に足が引っかかって近くの長椅子に倒れた。


長椅子の表面はベトベトしていて、血の匂いがした。


そんなことよりも、倒れたとき、長椅子が大きくへこんだ部分が気になった。


ボロボロの椅子の表面をめくりあげてみると、中には人が二人は入れそうな空間があった。


ここならやり過ごせるかもしれないと思って、急いで中に入って息を殺し、あいつが通り過ぎるのを待った。


やがて、あいつが荒いいきをしながら走り去っていった。


良かった。


胸のうちに秘めた声が漏れそうになったが、それをなんとか飲み込んだときだった。


車内の照明が全て落ち、真っ暗になった。


三十秒ほどして照明が戻ったとき、車内は元あった姿に戻っていた。


周囲を警戒しながらゆっくりと椅子から這い出ると、先程までいたはずの怪物はいなくなっていた。


怪物から逃げられたという安堵と同時に、螢さんを見捨てたことへの


その時、汽車の扉が勢いよく開き『あの人』が入ってきた。


「大丈夫かい!?」


と、今までにないくらいに慌てた様子で言った。


私は思わず、あの怪物はあなたが差し向けたものなんじゃないのかと聞いてしまった。


すると『あの人』は首を横に振って、


「いや、あれは私の知っているやつじゃない。多分、私の管理不足で来たやつだね。まあ、あなただけでも無事で良かったよ」


と、微笑みながら言った。


私にはそれが螢さんが死んでもよかったかのように聞こえてしまった。もちろん本人にそんな気がなかったとしても。


「あ、また誰か来たみたいだよ」


『あの人』は沈んだ顔をしている私の気を逸らすために言った。


渋々その方向に顔を向けてみると、汽車の扉が開かれ、中から大勢の人がぞろぞろと出てきた。


その中をいくら探しても螢さんはいなかった。


「あれは、死人の列車だよ。あの中に君が探している人がいないのなら、まだどこかで生きている可能性がある。諦めちゃだめだよ。私は一旦ほかを当たるよ」


「はい...」


私がそう言って下を向きながら『あの人』の隣を通り過ぎたとき、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。


「結局来ちゃったか。メイ」


驚いて顔をあげると、そこにはもう死んだはずの、もう帰ってこないはずの、今は大好きな兄がいた。


「お兄...ちゃん?」


久しぶりにそう言って兄に歩み寄った。涙で眼の前が霞む。


「まあ、なんと言うか、おつかれ」


兄の手が私の背中に回され、強く抱きしめられた。


「...しんどかったよう」


初めて呟いた言葉は思ったよりも重く、心は一気に軽くなった。

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