一章 追憶・レイ

ガタン、ゴトンと揺れる車内には、大八州君と螢さん、宮嶋さんに、峰高とメイと私、レイがいた。

その人たちを見ていると、みんな表は笑っていても、その奥底ではとても暗い顔をしていて、誰一人として、まともな人間の言う、まともな人間なんていなかった。

ここでふと、大昔のことを思いだした。

私が、メイの一家にひきとられた、いや、買い取られたときの話を。何年も前だがそのことはしっかりと覚えている。


あれは、正月の過ぎた、一月十八日のことだった。


「キミコ、ご飯の手伝いをして頂戴」

そうだ、キミコ。私の本当の名前。それから、この明るい声の主は、私の母だったウメさんだ。当時の私の家は貧しく、服の一枚も満足に買えないような家庭だった。

そんな家の父はまともな人間ではなく、働いて得た金は、全て酒と博打に使うどうしようもないクズだった。

酒がなくなれば怒鳴り散らし、一升瓶を振り回すので、母もいつも私に危害が及ばないように、酒の補充は欠かさなかった。

そんなある日のことだ。

母は、父に殺されてしまった。

瓶を母の頭で割ってから、その破片で胸を一突き。

幸い、周囲の人がすぐに駆けつけてくれたから私の命だけは助かった。村のみんなが動揺したり、泣いている中、私は、

何も感じることができなかった。

そこまでは色々な感情があったのに、私の中にあった糸がちぎられたせいで、もう何も感じることができなくなってしまった。その感覚は、今もずっと残っている。

そんなときに、一台の大きくて立派な馬車がうちの近くにやってきた。

これがメイの一家だ。彼女たちは、馬車を降りると、母の殺害現場に近づいて、メイの父が、こう言い放った。

「この中で一番頭の良い、6歳児を買い取る」

その言葉を聞いた一同はどよめいて、彼に罵声を浴びせたが、それをものともせず、ただ突っ立っていた。

そんな中、父がこう言った。

「うちの娘を買え」

皆唖然とし、固まっていた。

私は、こうしてたった一日で故郷と母を失ったのだ。

「おいくらで買い取りましょうか」

「一万だ」

メイの父はニヤッと笑い、私の父に一万円を支払った。

父は金を受け取るなり、私をメイの父のもとへ押し出した。

私は彼の使用人に促されるままに、馬車へと乗り込んだ。

涙は出なかったが、深い深い谷底へ落ちたかのような嫌な閉塞感が感じられた。 おそらくそこからなのだろう、この閉塞感から逃げるために『死にたい』と感じ始めたのは。

メイの家に到着すると、まず、体を洗われ、愛用していたぼろぎぬを脱がされ人形のような服を着せられた。

それから、私のキミコという名前を消して、メイの名にちなんで、レイと名付けられた。

初めてメイにあったときは、お嬢様のようにりりしい立ち振る舞いをしており、好感を抱いたのだが、時がたつにつれ、彼女は私を妬み、、だんだんと私を部外者扱いし始めた。

そして、ついにはメイ専属の奴隷のようになってしまったのだ。

何故私がメイの奴隷にされるほど妬まれていたかというと、私のほうがメイよりも優秀だったからだ。

普段の生活も、最初はメイのほうがきちんとできていたのだが、物覚えの良い私は、すぐにメイと同レベルに達し、追い抜いてしまった。

そしてメイの恨みが爆発する原因になってしまったのが、学校の試験だった。

メイも頭がいいほうではあるが、私がメイを抜かして校内で主席を取ってしまったのだ。

その結果、彼女とその両親は、家の名の名誉のために、私を部外者だからと言って、学校へは行かせずに家に閉じ込めるようになった。

その一週間後に、私の父が死んだという知らせがあった。死因は毒殺であった。原因は彼の周囲の人々が、彼の行動に怒りを覚えたからだ。

いつかこうなるとはわかってはいたものの、思ったよりも早かったので、驚いた。

別にいなくなってもよい人間だったので、たいして何も感じなかった。

ただ、新しい家族と思っていた人たちから奴隷扱いされるのは苦しかった。

少しでも掃除に不備があれば殴られ、メイの機嫌が悪い時には殴られ、やはり一番苦しかったのは、メイが彼の父の大切にしていた皿を割ってしまったことを私に擦り付けた時だった。

メイの父は私の言い分を聞こうともせず、皿の破片で、切りつけようとした。

逃げる私の背中に、ドスッと何かが刺さった。

皿の破片だった。彼の父がやったのではなく、メイがやったのである。

背中の破片は、なかなか抜けず、なんとか自分で抜いても傷跡が大きく残ってしまった。

いっそ死んでしまったら楽になれるのではないかと思い、窓のふちに立った、その時であった。

『あの人』が現れたのである。

あの人は人間の見た目をしながら、人間にはない何かを持っていた。

そして、私の自殺を止めて、ゆっくりと私の話を聞いてくれた。それから二枚の切符を渡してくれた。

その切符には、死者の集う国、黄泉の国の文字が印刷されていた。

あの人はメイの分もと二枚切符を渡してくれたのだが、私にはその時意味がよくわからなかった。

それから、何もわかっていない私のことを気遣ったのか、あの人は二つの予言をした。

まず一つ目の予言は、私は近いうちに運命の人とやらに出会うということ、もう一つはメイが死にたいと言い出すということだ。

一つ目は私があの人のことを信じることの要因になりそうなほど即効性があるとは考えにくいが、問題は二つ目だ。

あの陽気でどうしょうもなく腐ったメイが死にたいと言い出すとは考えられなかった。

それからすぐに、視界が暗くなりしばらくしてもう一度明るくなったとき、私は夢を見ていたということに気づいた。

頭が痛い。

寝すぎたのかと思い、布団から出ると、メイがやってきた。

手には切符を二枚持っていた。切符にはしっかりと黄泉の国の文字が刻印されていた。

ぞっとした。これが正夢というものなのかと驚かされた。

しかし、次にメイの口から出た言葉にもっと驚かされた。

「私と一緒に死んでくれない?」

予言が当たった。やはり夢ではなかったのか。

私はなぜ死にたくなったかの理由を聞いた。するとメイは

「おまえが、おまえののせいだ」

とだけ言って切符を私の胸に押し付けた。

それから、私達は家から脱走した。罪悪感はなく、むしろ清々しい気分だった。あの忌々しい連中から解放されると考えるとたまらない。

それから別れの挨拶も込めて、地元まで戻って、駅の近くの山まで送ってもらった。

幸い追っては誰も来ていなかったが、捜索願が出されており、いつ捕まるか不安だったが、なんとか山の麓までたどり着き、駅を発見した。しかしすぐには近寄らず、メイと一緒に他の人がいないかを見張っていた。

すると、後ろからあの人が現れ、こういった。

「そろそろ、オトモダチが来るよ」

その言葉の意味はすぐにはわからなかったが、聞こうと思って後ろを振り向くと、あの人は跡形もなく消えてしまっていた。

しばらくしてから、メイが、

「ねぇ、レイ。今から私のことはメイと呼びなさい。さんとか様はつけなくていいから」

と、忠告してきた。いつもはお嬢様と読んでいるからだろう。

きっと怪しまれないようにそう言ったのだ。

そうして、まず最初に大八州君と、螢さんがやってきた。

メイが警戒していたため動けなかったが、彼女が少し動いたとき私にぶつかって前に転げ出てしまった。

「ちょっと、レイ、押さないでよ!転んじゃうでしょう!」

あ、私のせいにした。まぁ、いいか。今から死ぬんだし。

私は適当にその場を誤魔化して、メイに切符があるかを確認させた。

昔、母が言っていたのだが、人を上手に使うということはこういうことなのだろう。

「あなた達、一体誰なんですか?急に出てきて、意味のわからないことばかり言って、それに、それにここはあなた達のような子供が来てはいい場所ではないんですよ。さぁ、早くお家へ帰りなさい!」

ぼーっとしていると、メイがなにかやってしまったようで、螢さんがとんでもない剣幕で怒っていて、驚いた。

そうやって流されるままに過ごしていると、気づけば峰高が、

大八州君に飛びかかっていた。


お願い、避けて。


自分でも意識しないまま、その言葉が口からこぼれ落ちた。

きつく目をつむって、数秒間祈った。

そして目を開くと、大八州君が、峰高を地面に打倒していた。

大八州君が、彼を倒した驚きより、私は底なしの恐怖に囚われていた。


大八州君が、笑ってる。


悪魔のように、死神のように、音も立てず、かかしのように、ただその場にたたずんで、笑っていた。

叫びたい気持ちを必死に抑えて、大きく深呼吸をした。

冷や汗が止まらない。

震えが止まらない。

何だこの恐怖は。今まで感じたことがない。

ただただ、真っ暗な恐怖。

でも、少し心地良いと感じてしまったのは、気のせいなのだろう。

落ち着いてから、ぐったりしている峰高の隣にいって、生きているかの確認をした。顔の前に手をやると、息が手にかかった。あとから来たメイと螢が、峰高の安否を聞いてきたが、大丈夫だったというと、特に気にもしない様子で彼女たちは峰高の隣に座ってじっとしていた。

そういえば、峰高の顔、どこか大八州君に似ている。

たまたまだろうか。その時は特に気にしなかった。

ふと、大八州君に目をやると、あの人と会話していた。

じーっと見ていると、最後の一人、つまり、宮嶋さんである。

全員揃ったところで汽車に乗り込んだ。

汽車に乗り込むと、まず強制的に、着替えさせられた。

みんなの服は、各々の性格を表したような、個性的なものになっていた。

しかし私の服は人形がきるようなものだった。

「またここでも人形になるんだな」

誰にも気づかれないように、呟いて、涙をこらえた。

大きくため息をついて、落ち着けた。自己紹介はほとんど聞いていなかった。もう知っているし、何よりつまらなかったからだ。じっとしているといつの間にか、汽車が発射しようとしていた。

その時、信じられないかもしれないが、時間が止まったのだ。

動いているのは、私とあの人だけだった。

あの人はゆっくりと、私に近づいてきた。

それから、私を指さして、こういった。

「君に今から試練を与えよう」

「、、、、、なんですか?その、試練って」

「うん。飲み込みが早くて嬉しいよ」

そう言って、指をぱちんと弾くと、空間が歪んで、ねじれて、真っ黒な部屋に移された。

部屋の中には私とあの人の椅子がおいてあり、そこに座ると、あの人も椅子に座った。

なんの試練が与えられるのかと聞いてみると、彼女は笑みを浮かべながら、短くこういった。

「君に、大八州君の心の治療の試練を任せる」

一瞬戸惑ったが、きっと彼にも彼の事情があって、心を病んでしまっているのだろうと勝手に自分で決めつけた。

「はい、わかりました」

そう返事すると、彼女は笑ってもう一度指を弾いた。

「よろしくね、未来の花嫁さん」

彼女はそう言ってどこかに消えてしまった。

暗い空間から元には戻らずに、私だけが取り残された。

それからだんだん眠くなって、私は深い深い眠りについてしまった。

目が覚めると、汽車は出発していて、車内では、大八州君以外みんな眠っていた。

「ねえ、大八州君」

勇気を出して話しかけてみた。すると、大八州君は驚いたような顔をして、何だ、起きていたのか、といった。

それから、しばらく世間話をしたあと、大八州君が、こういった。

「みんな、電車が発車してもう四時間たつのに、誰も起きないんだ。」

「え、そうなんですか?ずっと、私もだけど、四時間も寝てたんですか?」

「ああ、そうだ。ところでお前、なにか見なかったか?例えば、伊邪、お前たちが言うあの人とかさ」

大八州君の的確な考えに、心臓が飛び出るような気がした。

「いや、何もなかった、ですよ」

嘘をついてその場をごまかし、笑ってみせた。私の笑顔は完璧だから、絶対にバレない。

ほら、大八州くんも、こうやって、何も反応せずにただ、真っ直ぐ、私を、見ている。

なんで?ばれたの?どうして?今まで一回もばれたことなんてなかったのに。

大八州君はゆっくりと腕を上げて、私を指さして、こう言った。

「うそつき」

その瞬間私は、何かに突き動かされたように、隣の車両に乗り込んだ。

怖い。怖い怖い怖い。何だ、あの人。まず、人なの?あんな目をしているのが人間なの?あんな、あんな真っ暗な目をしたのが人間なの?

ああ、考えちゃだめだ。いつまでも下を向いていたら、だめになっちゃう。そうだ、ちゃんと前を向こう。

そう決意して前を向いた。

「どうして逃げる?」

「っ...!」

動けない。だめだ、足から力が抜ける。もうだめだ。もう、だめなんだ。

「おい!レイ!しっかりろ!それは俺なんかじゃない」

どこからともなく飛び込んできた本物の大八州君の声のおかげで、少し動けるようになった。あたりを見渡すと、先程まで、私を追いかけていた大八州君だったものがいた。それは、うねうねと動いたあと、黒いモヤになって消えてしまった。

私が放心していると、大八州君が私の所まで来た。ちゃんと人間の目をしている。

それから手を引いて私を座席に座らせてくれた。

周りには大八州君ただ一人が佇んでいた。

「あの、みんなは、どこに行ったんですか?」

そう尋ねると大八州君は、大きくため息を付き、首を傾げて、

「わからない。起きたらお前が叫んでいるのを見た。それ以外は何も知らない。まぁ、多分あいつがやったんだろうな。」

「あいつって?」

「あの女だ。お前たちがあの人って呼んでたやつのことだ」

私は内心少し安心していた。あんなに私に親切にするのだから、絶対になにか裏がある。ずっとそう思っていたが、それは的中していたのだ。

それから、大八州君はこの汽車のことについて教えてくれた。あまりにもこの汽車の内情に詳しかったので、その訳を聞いてみると、大八州君は何かを思い出したように私に質問した。

「お前、夢を見ただろう」

本物の大八州君にも同じことを言われるのか、そう思った。今度はちゃんと答えようと思ったがその必要はなかったとすぐに思い知らされた。

「あいつはみんな夢を見ていると言ったんだ。それで、夢の中で、それぞれに試練が与えられる。俺はみんなにこの汽車のことを伝えなければならないっていう試練?が与えられたんだ。それで、お前は?」

まずい、本人の前であなたの心を治すなんて言えない。なんとかごまかさないと。

「わ、私は、夢の内容のことを口外してはいけないんです。そ、そういう、決まりで...その、ごめ...」

「そうか、悪かったな。わざわざお前が謝らなくていい、って行っても無駄か。癖だろ、すぐに謝ってしまうっていう」

どうして知っているんだ。私の、唯一のメイたちを黙らせる方法なのに。何度も地面に頭を擦り付けたら許してもらえる。いつだって。自分に非がなくたって。理不尽でも。

「お前のようなすぐに謝れば許してもらえると思いこんでいるやつは今まで山程見てきた。そいつらがどうなったか」

大八州君は、私に謝るなと言っているのだろうか。

私はそんな大八州くんの優しさ(?)を素直に受け取り、座席から立ち上がった。

「ねぇ、大八州君。みんなを探しに行かない?」

「わかった」

そうして、私達は、他の人達の捜索に乗り出した。

私から提案しておいてなんだが、ずっと大八州君が前を歩いてくれている。

そう思っていたとき、車内の照明が一気に落ちて、パリンという割れる音が響き渡ったあと、真っ暗になった。驚いて大八州君の、背中に飛びついた。

「今、何が割れた」

照明が落ちたことに全く動じず一人でどんどん探索を始める大八州君の後を必死に追いかけて、二、三分経ったとき、照明が戻り、車内が明るくなった。目がなれてくると、そこには衝撃の景色が広がっていた。

先程までとは打って変わって、車内は血のような真っ赤な液体がありとあらゆるところにこびり付き、座席もほとんどが損傷して座れたものではなかった。

私はその光景に声も出なかったが、大八州君はなんともなかったこのように、こびりついている液体が何かを確認し始めた。

「血だな」

「え、誰の?こんなにいっぱい血が出たら誰でも死んじゃいますよ」

「人間だったら。の話だな。それは」

「え?それって...」

その時、地底のそこから何かがこみ上げてくるような低い大きな音がした。

「隣からだな」

大八州君は、そう言うと、私を抱えて、ボロボロの座席をめくりあげてその中の空洞に飛び込んだ。

「なんで、こんなことするの?」

「すぐに分かる。あと喋るな」

とても嫌な予感がしたので、言うとおりに黙っていると、隣の車両から、扉を弾き飛ばして、『なにか』が入ってきた。そいつは異様な空気をまとっていて、到底人間とは思えない形で、腕が四本、足は二本で、頭がない。四本の腕はそれぞれ異なった武器を持っていて、どんな武器かはしっかりとは見えなかったが、すべて血まみれになっていることだけは分かった。

あれは、敵だ。本能的にそう感じた。大八州君の方を見ると、大八州君もそいつが敵だということを分かっている様子で、二人でそいつが私達の前を通り過ぎていく様子を観察した。

私達は完全にそいつが通り過ぎて、同じ車両から出ていったのを確認してから座席から出た。

「なんだったんでしょうね、あれは」

「まぁ、関わらないほうがいいっていうのはわかるな」

「そう...ですね」

それから大八州君はまた、先程の音の原因を探し始めた。

大八州君はしばらく色々なところを漁ってから

「これだな」

と言って、小さなガラスづくりの瓶を見つけた。

中には鍵が入っていて取り出せないほど大きなものだった。

「どうやってこんなものを...」

私がそうつぶやくと、大八州君はガラス瓶を大きく振りかざしてから地面に叩きつけた。

ガラス瓶は割れずに、ただただ地面に転がってゆくだけだった。

「割れないか。じゃあ、あいつに割らせるか」

大八島くんはそう呟いて、そそくさと隣の車両に進んでいった。

急いで後をつけて隣の車両に行くと、また照明が落ちて真っ暗になった。

私はまた大八島くんの背中に飛びついた。ほのかな暖かさが感じられ、母のことを思い出した。

少し目をつぶって、昔のことを思い出してみた。

私は、何をしていた?何を感じ、何を聞いた?

洗濯物を畳んだ。母に撫でられた。母の声を聞いた。

今はもう、何も戻ってこない。

こうやって悲しくなるくらいなら最初から思い出さなかったほうが良かったのかもしれない。

そんな事を考えていると、また照明が戻り一気に明るくなった。

目が、眩む。

「おい、レイ。いつまでそうしているつもりだ。」

大八州君の声に我に返った私は、急いで大八島くんの背中から飛び退いた。

「ご、ごめんなさい。ちょっとボーッとしちゃってて」

「そうか、じゃあ...」

と言って大八州君は私の体をひょいと持ち上げておぶって歩き出した。

こころなしか少し嬉しかった。すこし甘えてみようと思って、大八州君におぶさったまま、抱きついてみた。大八州君は少し反応したが、あまり気にせずにまた歩き出した。

少し周りを見渡してみると、先程後にまみれた空間から今度は、発車した駅とは違う駅に来ていた。

照明が消えてもう一回つくと、また新しい空間になっているという仕組みのようだ。

じゃあ、さっきの空間は一体何だったんだろう。

その時、扉が勢いよく開いて、あの人の声で、放送が流れた。

「黄泉の国。黄泉の国です。お忘れ物の内容ご注意ください」

その放送の後に汽車の扉が開いて、私達は数時間ぶりに外に出た。

駅の構内は、完全に外が見えないようになっており、空気が重かった。

深呼吸してみると、どこか懐かしさを感じさせる匂いがした。

「キミコ!」

聞き覚えのある、懐かしく、私が一番大好きな声。

振り向くと、そこには、母であるウメが立っていた。

私が口を半開きにして佇んでいると、彼女は真っすぐ私の方へ一心不乱に走ってきて、抱きついた。

「あ、お、お母さん」

久しぶりに発した言葉に、次から次へと涙が出てくる。とどまることを知らない、急流のように。

私も母をギュッと抱き返した。母は冷たかった。もう帰らぬ人となってしまっているというのが、改めて感じられた。

「ごめんね。キミコ」

母は、そう呟いて、静かに泣いていた。

「お母さん。なんで泣いてるの?」

私の純粋な問いに母は声を震わせて答えた。

「こんなに幼い女の子に、こんな思いをさせてしまったのが、悔しくて、悲しくて、私が、私がもう少し強かったらね。ごめんね。ごめんね。ごめんね...」

その時私はようやく理解した。そして、こんな考えを持っていても死のうと実行した自分が、憎たらしくて、どうしようもなかった。

しばらく泣いて、お互いに慰めあった後、母が、大八州君に向かって、

「ありがとうございます。娘をここまで安全に怪我一つなく連れてきていただいて。あの、こんな事を言うのもなんですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

私と大八州君が不思議に思っていると、母がこう付け加えた。

「いえ、少しあなたと似ている人がいたので、聞いただけです。嫌なら答えないで結構です」

すると、大八州君はほとんどなんのためらいもなく、こういった。

「僕は大八州 希栄です。あなたの言っている人は、大八州(おおやしま) 龍矢(たつや)という人のことではありませんか?」

その言葉がどうやら当たっていたようで母は、ひどく驚きながら、

「はい、そうです。もしかして、あなたがあの人の息子さんなんですか?」

と聞いた。私にはさっぱりわからなかったが、大八州君は分かっている様子で、少し頷いた。

それから、母は立ち上がって、大八州君に近寄ってから、彼に一枚の手紙を渡した。

大八州君は手紙を開いて中を見るなり、フッとため息なのか笑ったのかわからないような息を吐いて、手紙をカバンにしまおうとしたその時であった。

大八州君のカバンの中から、小さな子犬が一匹飛び出してきた。

子犬は、私に向かって吠えて、飛びついてきた。どうやら威嚇ではなく、なついているようだ。

なにかに懐かれるのは初めてだったので、嬉しかった。

大八州君は、犬が私になついているのを見てから、こういった。

「しばらく、その犬はお前に預けるよ。またいつか返してくれ」

「え、いいんですか?ありがとうございます!」

大八州君は、鼻で笑い、犬ではなく私の頭を撫でて、どこかへ言ってしまった。

大八州君の手は母のものと同じほど、いや、それ以上に暖かかった。

しばらく大八州君の背中を見送った後に、

「さあ、いきましょう」

と言って、母は私の手を引いた。

駅から出ると、江戸時代のような町並みが広がっていた。

舗装されていない道、木で作られた家、誰一人として洋服なんて来ていない。

洋服を着ている私は、この黄泉の国でただ一人、半生半死の人間であることを象徴しているようだった。

私は寂しくなり、強く母の手を握った。母もそれに気づいて私を彼女の近くにもっと寄せてくれた。

死んでも人間は人間。そう思い知らされた。だが、嬉しかった。なぜならいつまで経っても母のままだということも、感じられたからである。

それからしばらく歩いた後、母の今住んでいるであろう家にたどり着いた。家の中に入ると、空気が軽く、現実に戻ったかのような感じがして安心し、一気に睡魔が襲ってきた。

そして、その場に座り込んだ。

そんな私を母は、抱きかかえて、揺さぶってくれた。目の前が真っ暗になっていく。でも、今は何も怖くない。そう思いながら私は目を閉じた。


ああ、大好きだよ。お母さん。またあえて良かった。これからもずっと一緒にいたいな。


言えたのかわからないずっと言いたかったその言葉を最後に、私の意識は母の冷たい腕の中で途切れた。

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