第14話 「鬼」の文字

 「では、鬼についてもう少しお話ししましょうか」

 その言葉と共に桃太郎線に乗車した。


「魂の文字には、鬼という字が入っているという指摘がありましたので、文字から鬼について考えてみましょう」


 カウンセラーにならなくてはいけないという決意と熱い想いもありながら、やはり歴史ミステリーのようなお話にはワクワクしてしまう。


「日本人が漢字に出会ったのは一世紀だという説がありますが、日本語を話す人々の中に、漢字の読み書きができる能力を持った人たちが増え始めたのは六世紀から七世紀になってからと言われています。つまり、「鬼」という漢字が元々あった日本の言葉である大和言葉に当てられたのは六世紀以降と考えられるのです」


「元々日本に「おに」はいたけど、「鬼」は六世紀から始まったということですね」


 そういうことか・・・。茜ちゃんは上手に解説してくれる。


「はい。元々、大和言葉という音だけの言葉があり、そこに中国から入って来た漢字が充てられて意味が確定限定されたり、分断されたりしました。元々、大和言葉では感覚的で曖昧なものがたくさんあったと思います。例えば、植物の「花」と顔にある「鼻」は「はな」という同じ音ですよね。これは元々、匂い感じさせる何かを表現する言葉だったのではないでしょうか」


「曖昧な感覚的なものを表現していた日本古来の言葉・・・。あ、「雨」と「飴」も同じ音ですね。小さい頃にすごく不思議だった思い出があります。「あめ」も共通した何かを感じさせる言葉だったのですかね?」


「どちらも粒を感じさせるね!」


「なるほど!確かにどちらも粒ですね。幼少期からの謎が解けました。漢字もよくよく考えたら海外からの輸入物ですものね。日本人の本来の感覚的なものを理解するには言葉の音にも注目したいですね。今まで、あまり考えたことがなかったけど、言葉って思考そのものだから、それぞれの国のアイデンティティーそのものと言ってもいいですよね」


「そうですね。自らを形作っているものは何かを考えることは、自らの芯を作ることにも繋がりますからね。もちろん、今では、漢字も日本人の思考を形成するための大事な要素の一つになってはいますが、日本人的な感覚を思い出すために音に注目したり、何故この漢字が充てられたのだろうか?と考えるのは、昔の日本人との対話とも言えるので、面白いと思います」


 言葉には感覚が反映されていると考えると、共感の糸口を掴むことにも役に立ちそうだ。ましてや、これから会う吉備津彦命は昔の人でもあるのだから、同じ言葉のようでも違う感覚で使っていることはたくさんありそうだ・・・。


「同じ言葉を使っているようでも、全然、話しが通じないとか、感覚が合わないなんてことは同じ時代に生きている相手でもよくある言葉だよね。その感覚のズレや、逆に共通項を会話の中で見つけて共感に結び付けていくのがカウンセラーの仕事なんだけどね」


 ブツブツ呟いていると、茜ちゃんが言った。茜ちゃんもカウンセリングをしながら色々な経験をしているのだと思う。化物がクライアントなのだから、クライアントのバックグランドも人間よりも幅広いのではないだろうか?そう思って質問をした。


「茜ちゃんのクライアントの生きて来た背景は人間よりも幅が広そうだから、共感のポイントを見つけるのが大変そうだよね・・・」


「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない・・・。化物は人間より長く生きているから色々な経験をしているのは間違いないんだけど、人間ほど複雑じゃないというか、現代の人間より自身の感覚に正直な感じはするよ。あと、現実の目の前の事で悩んでたりするのは人間と同じだと思う。だから、何で悩んでいるのかをクライアントの話しを聴きながら探っていくのも、心を開いて、信用してもらえるように努めるのも、目の前の悩みの根っこについて一緒に考えていくのも人間のクライアントと同じではあるよね」


「そうですね。だから、相手が長く、いえ、永く生きているからといって、話しを聴く姿勢や態度を変える必要はありません。我々、水亀カウンセリングルームが大事にしているのは・・・」


「魂の共感!」


 先生のフリに、茜ちゃんと僕の二人が声を揃えて気持ちよく応えた。先生も満足そうに笑ってくれた。三人の心が一緒になった感じがして嬉しい。


「そうですね。では、魂にお話しが戻ったところで、「鬼」の話しを続けましょう。まず、漢字の「鬼」の字ですが、これは死人を意味する毛髪がわずかに残った状態の白骨を意味する象形文字です



「象形文字・・・絵みたいな文字ですね」


「はい。また、大和言葉では、「かみ」と「おに」は似たようなものだったのではないかと思います。そこを分断というか、線引きをするきっかけは漢字だったと思います」


「神と鬼が同じ・・・」


 漢字が当たり前で、ましてや、西欧の神の概念が入り込んでいる現代を生きている僕にとっては、頭で分かったような気になっていても、多分、理解はできていない気がする。


「これは、余談になりますが、神社にいる神様の性格はどんなイメージですか?」


「性格ですか・・・。心が広い、優しい、温かいイメージですかね」


「私も、神社でちゃんと祀られている神様は寛大で、温かく見守ってくれるイメージ」


「二人共同じく、温和で優しいイメージですね。それも間違ってはいないのですが、神にはいくつかの側面があります。まず、和魂にぎみたま。これが二人が言う、優しい、温和、寛大なイメージの側面です。それとは逆に、荒魂あらみたま。勇猛さを表すという言い方もあるのかもしれませんが、これは怒りを表し、荒々しく、粗野で人に祟りを及ぼすような側面を言います。つまり、神は真逆の二つの性格を有していると言えます。更に言うと、幸魂さきみたま、奇魂くしみたまという側面もありますが、これは置いておきましょう。お話ししたかったのは、神の性格にはいくつもの側面があるということです」


「つまり、大和言葉で「かみ」や「おに」と呼ばれていた神様のようなものの和魂にぎみたまを「神」、荒魂あらみたまを「鬼」として分けたということですか?」


 茜ちゃんが先生に質問をした。今回の案件で、改めて思うのだが、茜ちゃんって察しがいいというか、頭がいいなあと思う。猫又ってみんなこんなに賢いのだろうか?そもそも猫って賢いのだろうか?確かに、誰にも依存しない態度には世間の荒波を独りで生きていく気高さと賢さを感じる。今回の案件が無事に終わったら「猫」について探究してみたいと思った。


「そのように考えてもいい神もいます。しかし、日本は八百万の神の国です。色々な神の形があることも覚えておいて下さい」


「つまり、色々な鬼の形もある・・・」


「そういうことです。色々な鬼の形については、吉備津彦さんからもお話しがあると思います。では、そろそろ吉備津彦神社がある備前一宮駅なので、桃太郎に関係がありそうな鬼の話しをしますね」


 アメノミナカヌシの先生にも荒魂があるのだろうか?和魂の側面しか見たことが無いし、考えたことがなかった。もし、あるのだとしたら恐ろしさすら感じる。それが、畏敬を感じさせる神や鬼の力なのかもしれない・・・。

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