後話



「ようこそ、おいでくださいました」


「……。」



 後日。

 例の神社に到着した俺が案内されたのは、先日の事務室ではなく神社の堂内であった。


 硬質なフローリングの代わりに、やわらかな井草の畳。

 長椅子の代わりにあるのは、だだっ広い部屋の中央に座布団が二つ。

 そして、コーヒーメイカーが吐く香りの代わりにここを支配するのは、ご立派な神台が揮発させる威圧感だ。


 さて、神主のオッサンは冷厳な堂中を気楽な様子で横切って進み、座布団にどさりと腰掛ける。俺も習って同様に座る。


 俺の片手には件のぬいぐるみ。

 置き場に決め損ねて、ひとまず俺は膝の上に座らせておくことにする。



「それが、例のぬいぐるみですか?」


「あ、ええ」


「お借りしても?」



 首肯の代わりにぬいぐるみを手渡す。

 するとオッサンは、受け取る前に両掌をぬいぐるみに見せて、手を合わせて首を垂れた。



「どうぞ、ご容赦いただけませば」



 そして、受取り検分する。


 いつ見ても俺からすれば変わらぬ、古くてボロいテディベア。

 それをオッサンは脆い宝石を取り扱うように確認して、俺に返した。



「ところで……」



 と彼は居住まいを急激に緩くして、



「前回は歩きでいらしてましたね。それが今回は『わ』ナンバーと言うのは、何か理由が?」


「ええ。今日のコトに関わる理由があります」



『わ』ナンバー。

 すなわちレンタカーだ。


 ……と言うのも、俺が選んだ守護霊の『移送先』は手持ちで持参するには少々きついモノであった。

 駐車場を尋ねるために適当に停めてオッサンのとこに来たら「敷地内ならどこでも」とのことで、結局アレは持たずにここまで来てしまった。



「結局何にしたんです?」


「それを言う前に、聞かせてください」


「はい」


「ここでのやり取りによっては、入れ物を変えようとも考えています」


「はぁ……?」



 最初の訪問から、もう一か月経っていた。

 が、実のところ入れ物を何にするかは二日で決まった。それ以降の時間は、注文した『ソレ』が届くまでの待ち時間である。


 ただし、その二日が短いとは俺は全く思わない。

 実に濃厚で、繊細で、汚らわしくも覚悟に満ちて、そして決意を必要とされた二日間であった。


 それら全ての苦悩の出所は、このオッサンのあの一言だ。



「まず、俺がインポになるというのは本当ですか?」


「質問に質問で返させて頂くようで恐縮ですが、先に私から一つ良いですか?」


「……?」



 面食らって俺は沈黙を返す。

 オッサンはその沈黙を肯定と捉えたらしく、続けた。



「こちらの返答によっては、今回の儀式を取りやめますか?」


「いえ、特にそんなつもりは……」


「ならば結構」



 と、露骨に安心するオッサン。

 コイツ! 場合によっては都合の良いことしか言わないつもりだったっぽいな!



「では答えますが、インポにはなりますね。相が濃いです」


「え、濃いんですか……?」


「いずれの軽自動車くらいのお布施は確定かと。インポ積立、検討してみては?」


「そんなNISAみてぇな……」


「質問が以上であれば、アプデ先の品のご用意を」



 いや、まだ質問はある。

 むしろここからが本番だと言っても構わない。



「……ここから俺は、心中を赤裸々に言うことになります。笑わないで聞いてください」


「内容によります」


「……。」



 ……気にしないでおこう。

 初対面の人間にコーヒーも出せない生臭が相手なんだもんな……。



「悩んだんです。俺は、確かに童貞です。セックスに理想を抱いてもいる」


「大して笑えもしなさそうじゃないですか。心配は無用でしたね」


「俺が本当は笑い飛ばしてほしいんだったらどうするつもりだったッ!」



 閑話休題。



「童貞の俺は、セックスに理想を抱いている。否定はしません。だからインポになるのかもしれない」


「……、」


「上手く行かないのかもしれない。それで女性不審になって、そういう問題を抱えてしまうのかも。……情けないセックスをするのか、獣欲をぶつけて相手を傷つけてしまうのかはわかりませんが」


「…………。」


「取らぬ狸の皮算用って言葉を知っているかという顔をしていますか?」


「滅相もない」


「そうですか、では続けますね。でもその顔は金輪際控えてください」



 ……さて、と俺は置いて。



「俺は、未知だからこそセックスを恐れています。それに上乗せでインポの相だ。失敗が確定したセックスに怯えながらも憧れは消えてくれない。消えてくれないんですよ」


「オーケーです。結論から仰ってください」


「あのぬいぐるみは俺のオナニーを何度も見ていますから、ダッチワイフを買ってきました」


「キッツwwwwwwwwwwwwww」


「笑うなと言ったッ!!」



 ――でも、とにかくそういうことだ。


 誰かと心を交わす行為、セックス。

 これに怯えている俺は、誰かに幻滅されることを恐れているということなのだ。


 なら、幻滅されない相手ならどうだ?

 既に俺のそういった部分を知っている相手なら、問題ないのではないか?



「だから、俺はダッチワイフに初めてを捧げます。でもその前に聞いておかないと」


「はいwww」


「……時間を差し上げます。落ち着いてください」




 ……ということで10分後。




「さて、聞いておかねばならぬことです」


「はい。どうぞ」



「あの守護霊は」


「……、」




「――女性ですか? あと俺のことどのくらい好きですか?」




 そう。これだ。

 守護霊に性別があるのかは分からないが、もしも性自認が男だったら俺はコイツをガチャガチャで取ってきたキーホルダーに封じ込めるつもりでいる。それに、守護霊というのが俺をどう思っているのかも重要だ。


 ああ、この俺に憑いていたのは悪運ではなく守護霊だった。

 すなわち、


 だからこその賭けである。

 ――もしも守護霊が全力で俺を救けてくれていたのなら、『彼女』は愛の説得によって俺に靡いてはくれまいか? と。



「情けないと思いますか? 神霊たる守護霊に失礼千万だと……」


「情けないは心の底から思いますが、失礼か否かは特に」


「では情けないと思うかは聞かないでおけばよかったですねェ……」



「神霊の御心を慮る行為は、推し測る愚でしかありません。私が勝手に決めることではないですね。それで、女性かどうかですが」


「……(ごくり)」




「女性です」


「っしゃァ!!!!!!!」




 グッバイ灰色の前世! ハローえちえちライフ!

 よろしくやろうな!



「いえ、待ってください」


「なんですか? 何にせよ不要ですので早く始めましょう!!」


「守護霊が憑かれた人物の近親というケースはよくあります。大丈夫そうですか?」


「何一つ大丈夫じゃねぇ!!!!」



 何言ってんだコイツ!

 近親は女性に含まれねぇよ馬鹿か!?



「近親で故人の女性は居ますか? このぬいぐるみは、おばあさまから貰ったと仰っていましたが」


「いえ、とりあえず母とばあちゃんは存命ですケド……。あの! ちなみに母はカオリでばあちゃんはミヨです! 名前聞いてみてもらえます!?」


「……ユイナだそうです」


「おっしゃァ令和の名前ツモったァ!!!」



 絶対昭和以前じゃねぇよな! ハローえちえちライフだ!!



「趣味は休日のお散歩、特技は料理、夢は目下模索中で、最近興味のあることはグランピングだけど、まだしたことはないみたいですね」


「ちょうどいいなァオイ! ちょうどよく可愛い! もっと頂戴!」


「好きな食べ物はポテトフライで、ギターを少しだけ弾けるみたいですね。最近の悩みは、雑談配信系SNSに手を出してみたいんだけど勇気が出ないことだそうです」


「実在する美少女か!? 絶対に性格が良いだろポテトフライが好きでギターがちょっと弾けるんだから! 雑談SNSに興味がある危ういところもいいね! 俺がいないとダメだなってなっちゃう!」


「胸が小さいようです」


「性癖の国士無双か!? 俺みたいなコッテリしたオタクを救うために神の国から遣わされし天使か!? 多分ユイナってより結奈なんだろうな! 目に浮かぶぜ黒髪ちょい内巻きで全体的に内気系なダッフルコート女子の後ろ姿が!」



 居ても立ってもいられなくなった俺は、滾るリビドーをガソリンに物理変換して脚部に充填し走る。それから、俺がダッチワイフを抱いて戻ってくるのに5秒はかからなかったと思う。



「さぁやってくれ!」


「はぁ、では……」



 テディベアとダッチワイフを共に床に横たえてやると、オッサンはそれぞれに恭しく礼をして祝詞を諳んじる。


 俺は、それを眺めつつも理解は出来ずに、代わりにこの先のコトで思考を満たしていた。


 ああ、ユイナ。

 ――いや結奈。俺は必ず君を幸せにするだろう。


 きっと満たされるだけの日々ではないだろうな。波乱に満ちた生涯になるだろう。

 だって君は神霊、守護霊で俺はヒトなんだ。それに君はダッチワイフで俺はヒトだ。身分違いに種族違いの恋。そう簡単にはいかないだろうね。


 でもね、聞いてくれ。

 俺は君を愛している。君が俺の人生の全てだ。



 ――堂内に光が満ちる。

 荘厳な何かが天より降りる。


 魂が露出するような光の青。

 風を浴びたような怖気、天空の大気の清涼。


 何も知らぬ俺ですら理解できるような、神の業。


 それはまるで、俺たちの行く末を示す明かりのように見えて――






「――。」






 そして、光が止んだ。

 命なき人形だったモノは、今や上体を起こして、当たり前のことのように周囲を改めている。


 もはや彼女はモノではなく、ヒトだ。

 俺は彼女のあらわな上体を覆い隠すように抱きしめて、


 まっすぐと、その瞳を見て――




「無理」


「…………え?」






「セックスは無理。マジで無理。アンタ性癖エグから」


「…………………………………。」






 あ、結奈ってよりユイナだな、と思いながら、

 かくして、俺はインポになったのだとさ。

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