終章 『排出率0.5パーセントのガチャを100パーセント引く彼女に勝つ方法』

32. 一回限りの最後の勝負

 そして夜は明け、朝が来た。

 俺は高鳴る胸の鼓動を自覚しつつ早朝、六時半の公園を歩いていた。

 月曜のためか周囲に人影はなく、その静寂が俺の緊迫感を高めていく。

 今年は空梅雨で湿気も少なく、肺を満たす外気は涼しくて清々しい。

 衣替えを経て、半そでの心地よさを実感しながら、俺はその場所へたどり着く。

 いつもの公園の、普段なら誰も近寄らない片隅。

 寂れたテーブルとイスの設置された場所に、制服姿の片瀬は一人、座っていた。


「……おはよう」


 緊張交じりの挨拶を口にして対面へ座ったが、彼女は何も答えない。

 瞳を閉じ、右手で左胸のポケットへ手を当てていたが、やがてそこから古びたトランプのケースを取り出した。

 片瀬はそれを開き、カードを切って、ぽつりと言った。


「……最後の勝負だよ。一回限り」


 その言葉が来ることを覚悟していた俺は一つ、頷く。


「ブラックジャックだな?」

「……うん」


 彼女は淡々とした手つきで、俺と自分へ二枚ずつカードを配った。

 七年越しの勝負に指先の強ばりを自覚しつつ、手札を確認する。

 ダイヤの「7」とクラブの「9」で、合計は「16」。

 その値は奇しくも、『あの時』と同じで、今度は身体が緊張で震えてしまう。

 これはリベンジの機会を与えられたということ、なのだろうか……?


「って、余計なこと考えるな。目の前のことに集中……!」


 俺は頬を手で叩き、雑念を追い払って、手札へ視線を戻す。

 このまま勝負するには厳しい形だが、かといって「21」を目指し、もう一枚引くとなると、バーストの可能性もかなり高い。

 どうするかを考えながら、俺は何気なく片瀬の表情を窺う。

 その顔色はいつもと変わらず淡々としつつも、不思議な静けさを宿しており、真意を読み取ることができない。

 佇まいにはどこか凄みすらあり、背筋に冷たい汗が流れ落ちて、俺は思わず呟いてしまう。


「一対一の勝負で未来が、『見える』っていうのは、やっぱり絶対的だな。どうする……?」


 手堅く、「16」のまま仕上げるのも一つの手ではある。

 その一方で、三枚目を要求してリスクを背負い、より高い勝率を狙うのもアリだろう。

 つまり、どちらにもメリットとデメリットがあり、正解がない状況。

 どんなカードが来るかも運次第だ。


「ふぅ……」


 俺はそこまで考えた後、一度カードをテーブルへ置く。

 そして目を閉じ、冷えた空気を吸い込みながら、最後の自問をした。

 三つの勝負を経て、今の俺は彼女のことをどう思っている?

 ここまで食い下がってこられたのはどうしてだった?

 『いつか、必ず』を探し続けてきたのは……この瞬間のためじゃなかったのか?

 そこまで思い至った時、再びあの約束と、後ろ髪を揺らす背中が脳裏に蘇った。


『だから、私を見つけて、史也。あの日のように』


 俺は、ぐっと歯を食いしばり、もう一度カードを手に取って片瀬の顔を見据えた。


「ここで妥協したら、一生後悔するよな……! よし!」


 そして決心を固めた俺はカードの山から三枚目を引き、手元で確認する。

 カードはスペードの「3」で、合計は「19」。

 競った判断をしたのだから、「20」くらいになって欲しかったが、だからと言ってここで勝負を投げるわけにはいかない。


「オーケー、スタンドだ!」


 俺は強い決意を込めて、宣言する。

 片瀬はずっと、誰にも言えない孤独と寂しさを抱えて生きて来た。

 そんな彼女のために俺が示せるのはためらいじゃなく、本気で向き合うという揺るぎない覚悟だけだから。

 その一方で、三枚目を引いていた片瀬も表情を変えないまま、こちらへ視線を向けていた。


「じゃあ」


 抑えようとしても震えてしまう俺の声に、彼女は頷く。


「最後の、勝負だ……!」


 そして俺達はカードを開き合う。

 「19」と……「18」。


「えっ?」


 予想していなかった結果に、俺の目が丸くなる。

 だがテーブル上のカードは確かに、スペードの「9」、ハートの「8」、そしてクラブの「1」だ。

 「1」は「11」扱いにもできるがそれだとバーストになるし、これは未来が、『見える』片瀬が判断ミスをした……ということなのだろうか?

 そんなことを考え、混乱する俺に片瀬は少し目を伏せながら、自身のカードへ人差し指を当てた。


「史也は一つ、誤解してるよ」

「誤解?」

「うん、確かに未来は、『見えて』た。けど今回に限って、それは私のものだけだったんだ」

「片瀬の未来だけ? じゃ、じゃあ、俺の手札は分かってなくて、それがこの結果を招いたってことなのか?」


 片瀬は、「そう」と小さく呟いた後、声のトーンを落とし、神妙な声音になる。


「覚えてる? 『パンドラ』が終わった後、一つ心に決めてる願いがあるって言ったこと。……もし、あのコとまた戦える日が来たら絶対、『21』を出して勝つ。それだけは、七年前から一度も変わってないんだ」

「え?」


 予想外の言葉に俺の声が上擦ってしまうが、片瀬は訴えるような口調で続けた。


「だって、ずっと待ってたんだよ? ただ勝つだけなんて、そんなのじゃ満足できない。完璧に勝って、ちゃんと顔を見たい。……話したい。そう願ってしまったら、『21』の出る未来しか、『見え』なくなって当然じゃん」

「そ、それは……」


 余裕のない切実な言葉に、また俺は動揺する。

 だがその瞬間、俺はあることに気付き、カードの山へ視線を向けてしまった。


「ま、待った! じゃ、じゃあ、四枚目は……」


 その問いに片瀬は目を伏せて答えるだけだ。

 一方の俺は恐る恐る手を伸ばし、彼女が引くはずだったカードを確認した。


「……ダイヤの、『3』だ」


 合計すると、「21」。


「……ッ! マジか……!?」


 かなり細い道ではあったが、確かに彼女は求める勝利を目前まで引き寄せていたのだ。

 完璧な勝ちを願い、他の選択肢は全て捨て、欲する未来のためにカードを引いた。

 片瀬にとってそれ以外の結末は、それこそ無意味なものだったんだろう。


「そうだよ。望んでない未来が、『見えた』って何の価値もない。それで勝っても全然嬉しくない。……欲しいものはこだわって手に入れたかった」

「っ!」


 その強い欲求に思わず息を飲む。

 それはあと一歩という時、いつも背中を向け、一人佇んでいた彼女が初めて見せた本音……わがままだ。

 俺はその声にちゃんと向き合えたのかと、つい右手を口元へ当てそうになってしまう。

 そんな俺の意図を読み取ったのか片瀬は、「くすっ」と小さく笑って目を伏せた。


「大丈夫。伝わってるよ、史也の気持ち。勝敗を分けたのはカードの強さじゃなくて、想いの強さだって」

「そ、そうか? 一生懸命やったつもりではあるけど……」


 曖昧な返答をしつつ、改めてカードを見れば初期の手札は俺が、「16」で片瀬は、「17」だ。

 苦い表情を浮かべてしまった俺の手元を、片瀬が覗き込む。


「あー、最初に勝負してたら史也の負けだったんだ」

「ってか、俺の四枚目はクラブのキングだから、『29』でバーストだしな……」


 つまり、俺の勝ち筋は三枚目を引いた瞬間にしかなく、かなり危険な状況での勝利だったということだ。


「自分で言うのは気が引けるけど、ほんとに紙一重だったんだな……」


 改めて緊張を滲ませた俺の言葉に、片瀬は頷く。


「そうだね。……でも、だからこそ私にとって価値があるんだよ」

「価値?」

「だってそれは史也もカードを引くことを……向き合うことを選んでくれた証拠だから。七年間、記憶がなくても頑張り続けて、最後まで諦めなかった史也の覚悟が勝ったんだよ」

「覚悟……」


 俺は呟きながら、ようやく本当の答えにたどり着く。

 ずっと追い求めて来た、排出率0.5パーセントのガチャを100パーセント引く彼女に勝つ方法は、こんなにシンプルなものだったのだ。

 そして。


「……? どうしたの?」


 不意に自分の左胸に右手を当てた俺へ、片瀬が不思議そうな視線を向けて来る。

 俺はその顔を見ながら、改めて胸の高鳴りを感じ、苦笑してしまう。


「いや、答えはいつもここにあったんだなって。今まで気付けなかった自分が情けなくて……」


 思わず胸が苦い感情でいっぱいになってしまったが、片瀬の表情は清々しい。


「ううん、気にしないで。三枚目のカードを引いた時の史也、すごくいい顔してたから。真剣でさ。そういう人が最後に勝つ。きっとそれが当たり前の、『日常』で、史也がその場所へ私の手を引いてくれた」


 片瀬はテーブルのカードを回収し、そんなことを口にする。

 そしてそれをプラスチックのケースへ仕舞い、青空を仰いで、「ああ、これで」とこぼした。


「本当に私の負け……だ」

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