29. Free now! Ready?

「さて、13時です。お二人共、準備はいいですか?」


 そして迎えた翌日、六月二十日、公園の東屋にて。

 昼の青空はからりとして湿気もなく、ゆるやかな風に公園の緑が揺れている。

 俺は一度、軽めに息を吐いた後、小絵の問いに答えた。


「ああ。いつでも」


 顔を上げ、対面に座っている片瀬を見れば、彼女は瞳を閉じ、深い呼吸を繰り返している。

 青紫のストライプスカートに白いティーシャツとデニムジャケットを着て、その右手は左胸ポケットに当てられていた。

 その静かな佇まいに言い知れない迫力を感じ取ったのか、征士が肩をすくめて苦笑する。


「最後は見届ける形になっちまったが……。まあ、滅多に見られない代物だし、楽しませてもらうぜ?」


 続いて、タブレット端末の設定をしていた小絵も頷いた。


「ネットへの配信はわたしがやりますので、ご心配なく。お二人はいつも通りでお願いします」


 俺は頷き、片瀬に話しかけた。


「……だ、そうだ。始めるか」


 彼女は、ゆっくりと瞳を開く。


「うん」


 そしてお互いにスマートフォンを取り出し、『ウィルフロ』を立ち上げる。

 通信を同期させ、俺は『刀使い』の少年、片瀬は『槍使い』の少女を選択し、対戦ステージは廃墟を包み込む深い森を指定した後、二人のキャラクターが表示された。

 野戦服に身を包み、左手に刀を持つ少年と、ワンピースに栗色の髪、右手に長槍を持つ少女が相対し、「Free now! Ready?」というメッセージが入る。

 少年の右手が一度柄に触れ、少女の穂先も合わせるように揺れた瞬間、「Go fight!」というシステム音声が響いた。

 『刀使い』は刀を抜き、その剣先が『槍使い』にヒットする。

 攻撃の発生を潰された『槍使い』は仰け反り、薙ぎ払いと切り上げ、そして空中コンボを喰らった後、地面へ叩きつけられる。


「え、展開はやっ!?」


 テーブルに置かれたパッドで観戦している小絵が目を剥き、それを尻目に、『刀使い』は倒れている『槍使い』へ、刀を振り降ろした。

 だが『槍使い』が即座に対空技でそれに応じ、『刀使い』は顔を打たれ、画面中央まで吹き飛んでしまう。

 仕切り直しとなり、距離を測り合う『刀使い』と『槍使い』をパッドで見ながら、征士が驚きを隠せない様子で呟く。


「いやいや……マジか。開幕からどんだけバッチバチなんだよ、コイツら……」

「す、すごい攻防でしたね……。先輩の立ち回りえげつない……」


 二人はそう言うが、俺の背筋には冷たい汗が流れ、一瞬の油断も見せられない現実におののくしかない。

 俺の残りライフは9割、片瀬のライフは7割弱だが、『ジャック・ボックス』と『パンドラの家』を経て分かってしまう。

 彼女はまだ『見えて』おらず、単純なポテンシャルだけで戦っている。

 片瀬が気圧され気味な内に、削れるだけライフを削っておかなければならないのだ。


「先輩、めちゃめちゃ攻めますね。……普段は回避と防御主体の戦術なのに」

「攻めてコンボを継続させれば、必殺技ゲージも回収できるけど、焦りすぎじゃねーか……?」


 小絵と征士の声が耳へ届くが、もし『見える』ようになれば、一気にライフを持って行かれる以上、攻め続ける他に選択肢はない。

 距離が半端に開いた時、『刀使い』は腰から小刀を抜き、上空へ向かって投げた。


「え」


 驚いた片瀬の声が響いた後、『刀使い』は地面を疾走する。

 弧を描いて落下する小刀と足元への時間差攻撃に『槍使い』は対応し切れず、防御があいまいとなる。

 その隙を突いてコンボを入れた後、俺は、ちらりとライフを確認する。

 こっちはまだ9割残っており、『槍使い』は5割弱。

 倒れた『槍使い』に再び上空への小刀投げを重ね、起き上がり際に今度は投げ技を放つ。


「先輩、畳みかけますね……!」

「時間差攻撃しかないと思わせての、投げか! エグい……!」


 残り、4割弱……!

 勢いを増した『刀使い』は三度、小刀投げを見舞う。

 だが。


「っく!」


 俺の口から呻きが漏れてしまう。

 『槍使い』はそれを完璧にガードし、その後のコンボも全てさばき切ったからだ。

 小絵と征士の唖然とした雰囲気が伝わってくる。

 まして彼女が、小刀投げに『見てから反応した』のではなく、『ただ反応しただけ』ということが理解できた俺はなおさらだ。

 片瀬の漏らす淡々とした吐息が、なぜか耳のすぐ近くで聞こえた気がして、ぞくりとする。

 俺は一度だけ口元へ右手を当て、呟く。


「来た……」


 一方の片瀬は、「くすっ」と笑うだけだ。

 ライフの差は歴然なのに、その微笑みは冷然として底が知れず、俺は再び背筋を汗が流れ落ちて行くのを止めることができなかった。

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