Another side6 1000ページ越えの海外ハードSFを

「片瀬さん、一般的な文庫本の文字数ってどのくらいか知ってますか?」

「え?」


 小絵ちゃんが文庫本へ視線を落としながら放った問いを受け、私は言葉に詰まる。

 そもそも普段、本を読まないからピンと来るものがない。


「あくまで一般論ですが、十万文字から十五万文字ていどですね」

「数字にするとけっこう、あるね」

「はい。だからこそ最後の一行まで読んで、作者の意図を理解するのは大変なんですが」

「……ええと、それが?」


 発言の意図を読めなかった私に、小絵ちゃんは視線を向けて続ける。


「今のは前知識で、本題はここからです。先輩と知り合った時期は、さっき話しましたね?」

「うん、中一の春」

「はい。わたしは元々内向的で、他人と話さない性格だったんです。それだけなら大した問題ではないんですが、マズかったのは、嫌いなことを嫌いだとばかり言っていたことですね」

「……内向的?」


 私は小絵ちゃんの今までの言動を思い出してしまい、彼女は苦笑する。


「イチゴが好きなら、ショートケーキのクリームについて、タルトのチョコレートについて話せばよかった。なのに、ピーマンは苦いから嫌い、トマトはグニャグニャしてるから嫌い、そんなことばかり言っていたんです。……自分でも、イヤな子供だったと思います」


 小絵ちゃんの言葉尻に皮肉が込められ、私の表情と口調は硬くなってしまう。


「じゃあ、孤立してたのは、それが原因?」

「はい。だから、人が離れて行ったんです。で、ずーっとイライラして。……先輩と図書室で会ったのは、そんな時です」

「図書室?」

「委員をやっていて、『おススメの一冊!』みたいなのを紙に書いて貼ってたんですよ」

「……あー、史也がそれ、借りていった?」


 私の予想に小絵ちゃんは、また苦笑して見せる。

 けどそれはさっきと違い、わずかな暖かさが滲むものだった。

 小絵ちゃんは大仰に両腕を開き、呆れたような口調になる。


「突然、『このおススメの本ってどこにある?』って話しかけてきて! もー、恥ずかしいったらないですよ、本人に聞きます、フツー!?」

「うーん、知らなかったんだから、しょうがないんじゃ?」

「それはそうなんですけど、ひねくれ根性全開で、1000ページ以上の海外のハードSFとか、ホンキでありえないじゃないですか!」


 自分で言ってダメージを負ったのか、小絵ちゃんは頭を抱え、テーブルへ突っ伏してしまう。

 でも、だからこそ。


「史也は、興味を持ったんじゃない? 堂々と、そんなのをおススメに出しちゃう子と作品に」

「……六十万文字越えですよ?」

「んー……」


 さっきの文庫本の文字数を踏まえ、私の言葉尻が怪しくなる。

 単純に一冊、十万文字としたら、最低でも六冊だ。

 それを全校生徒の前へ出したのだから、小絵ちゃんのやさぐれ具合は簡単に想像できる。

 彼女は、ちょっと行儀悪く顎をテーブルへ立て、じとっとした視線で、当時を振り返った。


「どうせ、読んでこないと思いました。冷やかしだろうって。……なのに」

「なのに?」


 私の視界から顔を逸らし、唇を尖らせて小絵ちゃんは答える。


「三日で読んできて。クマ作った目で肩掴まれて、『めちゃくちゃ面白かった! この新谷小絵ってのは、どいつだ!?』って。……なんかもう、どうしてやろうかと思いました」

「あー……。なんか分かるかも。正面切って言われたら、却って困るよね」


 私は答えながら、イートインでの出来事を思い出してしまう。

 突然、『いつか、必ず』なんて告げられて、どう返せばよかったと言うのか。

 大事にされていると分かったことがただ嬉しくて、強く甘い炭酸のような刺激を言葉にできなかった。

 小絵ちゃんは、がばっと上半身を起こし、眉根を寄せ、熱っぽさを秘めた口調で続けた。


「そうなんです! 持とうね? 自覚、みたいな! ……まあ結局、そこからいろいろ話すようになって、それで」

「……それで?」


 少し言いづらそうだったので私が促すと、小絵ちゃんは淡い安らぎの混ざった声音で呟いた。


「楽しいを伝えるのは、嬉しいことなんだって気付きました。嫌いなことじゃなく、好きなことを話したいって。それで合わないのなら、それはそれでいいんだって」


 その竹を割ったような理屈に私は小さく、「くすっ」と笑ってしまう。


「じゃあ、推しを喋るようになったのは、そこから?」

「はい。意外と、喜んでもらえることも多くて。……動画とかは、ほとんど見向きもされないのが現状ですが、たった一人、いつも最後まで見てくれる人がいましたから」

「そっか……。六十万文字越えの、信頼だね?」


 からかうような口調だったせいか、小絵ちゃんはまた唇を尖らせ、少し頬を染めて答えた。


「筋金入りのもの好きですよ。そうさせた原因も、あるんだと思いますが」

「原因……」


 私はその言葉を呟きながら、想いを巡らせる。

 史也は小絵ちゃんに対しても、牧村君に対しても、そんな姿勢で接してきたのだろう。

 そして時は巡り、今度は私が彼等と出会った。

 胸に迫る感情は言葉にできないけど、今度こそ、この関係を最後まで繋ぎ止めたいと私は願ってしまう。

 小絵ちゃんは土と水の境目へ投げていた視線をこちらへ向け、落ち着いた口調で告げた。


「今も、わたしの原点にあるのは、『楽しいを伝えたい』です。いじけていた時、それを教えようとした人はたくさんいたんだと思います。……でもわたしが気付くまで待っていてくれたのは、先輩だけでした。だから……」

「うん、だから小絵ちゃんにとって史也は唯一の、『先輩』なんだ?」

「……っ! 気付いてたんですか?」


 驚く小絵ちゃんに、私は自分の指先を絡めて見せながら頷く。


「私のことは、『片瀬さん』、付き合いの長い牧村君ですら、『セージさん』。……でも、『先輩』って呼ぶのは、史也だけだったから」

「……ぼんやりしているようで、察しがいいんですね?」


 小絵ちゃんの声音には刺があったけど、私は自分の経験を顧みて苦笑してしまう。


「そうなれたのは最近だよ。……ずっと気持ち悪いものなんだと思ってたけど、『感謝してる』って言われたから」

「……? ええと?」


 小絵ちゃんは怪訝そうな表情を浮かべたけど、やがて苦々しいため息をこぼす。


「ま、いいです。そういうこと、言いそうな人に心当たりはあるんで」

「突然、無茶な球投げて来るから、困るよね。……でさ、小絵ちゃん」

「なんでしょう?」


 私は口調を改め、一つ一つ言葉を選びながらゆっくりと切り出した。


「私が史也と行動し始めたのは最近だから、すぐに信用できないっていうのは分かるつもり」


 小絵ちゃんは何も答えず、ただ静かに耳を傾ける。


「でも今は、ずっと宙ぶらりんだった気持ちの正体を、確かめるチャンスが来たんだと思ってる。だから、最後まで頑張りたい。……それが私の本当だよ」

「最後の1フレーム……0.016秒まで向き合うと?」


 小絵ちゃんの言葉には強い圧力がある。

 けど私はそれに負けないよう、お腹に力を込めて答えた。


「もう、後悔したくないから。……多分、二度は耐えられない」


 七年前の別れから今までを、この先もと言われたら、きっと私の心は不安で潰れてしまう。

 その結論を聞き遂げた小絵ちゃんは、密やかな声で呟く。


「……ま、片瀬さんは真剣に考えてくれてるみたいだし、いいか」


 そして次の瞬間、小絵ちゃんが私に見せたのは、悪戯っぽさを秘めた清々しい笑顔だ。


「そこまで言うなら、わたしからは何も。真剣勝負に横から口を挟むのも、野暮ですしね?」


 その表情は、いつもの人懐っこいものに戻っており、ようやく私は胸を撫で下ろした。


「あ、それと週末の勝負はどうします? 今、お話してみて俄然、リアルタイム配信してみたくなったんですが」

「んー……」


 私は目を閉じて少し、考える。

 以前の私だったら、きっと断っていた。

 でもこうしていろいろ話した今は、それも悪くないかと思えたから、小さく笑って頷く。


「うん、いいよ。小絵ちゃんの好きにして」

「ありがとうございます! 当日はいい勝負を期待していますよ。……水帆さん?」


 そして最後に小絵ちゃんは口端に白い歯を覗かせながら、笑って見せたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る