Another side5 片瀬さん。海で水着になるのは犯罪ですか?

「やっほ、小絵ちゃん。いくつか動画、見たんだけど」


 それから数日が過ぎ、放課後の図書室で本を読んでいた小絵ちゃんに私は声をかけた。

 すると小絵ちゃんは目を白黒させた後、慌てて私の背中に手を当て、廊下へ押し出す。


「……えっと?」


 首を傾げた私のリアクションに小絵ちゃんは大きく、「はぁ~」とため息を吐いて見せた。


「見てくれるのは嬉しいんですが、状況をですね……?」

「え、感想、聞きたいと思ったんだけど」

「聞きたいですけど、みんなにバレそうな場所でやるのは避けて下さい!」

「……? でも、みんな本の話してる。動画の感想はダメ?」


 私が問いを投げると小絵ちゃんは項垂れ、肩を落とすだけだ。


「えーと、片瀬さん。海で水着になるのは犯罪ですか?」

「ううん」

「なら、海で下着になるのはどうでしょう?」

「え、それはダメだよ。恥ずかしいし、見られたくない」

「そうです。似て非なるものなんです。まして、見た感想となれば、とても繊細な話題なので!」


 奇妙な例えだったが、デリケートな内容であることは理解できたから、私は頷く。

 なんだろう、同じ部屋着でも家の中で見られるのと、それをコンビニで見られるのは感覚が違うから、恥ずかしいという話なのかもしれない。


「……えっと、図書室を出てしまいましたし、校庭へ移動しましょうか」

「うん」


 そうして私達は階段を降り、渡り廊下を経て、校庭へ出た。

 陽光が降り注ぐ校庭の草花は青々と茂って、私は汗ばむ肌すら心地よく感じてしまう。

 それは小絵ちゃんも同じだったらしく、私の隣を歩きながら、ぽつりと呟いた。


「あー、読書って楽しいですけど、昼間やるものじゃないですよねー……。光合成しながら、ベンチで寝たい……」


 やがて、史也と三人で訪れていたテーブルのベンチへたどり着き、向かい合って座った。

 そして小絵ちゃんは周囲に人影がないことを確認した後、声を潜めて私に問う。


「で、どの動画を見て、何が良かったんですか?」


 その率直な問いかけに、思わず私は笑ってしまったけど、少し間をおいて答えた。


「『ウィルフロ』の解説動画。システム周りの話」

「あー、先輩と対戦しながらガチャガチャ喋ったやつですか」

「うん、十分くらいあった。『ウィルフロ』対策は、あれで大丈夫?」


 私の質問に小絵ちゃんは腕を組み、「うむむ」と唸ってしまう。


「万全……とは言い難いですね。ホントに初心者さん向けの基礎だったので」

「でも、分かりやすかったよ。……ああいうのって台本っていうか、原稿とかあるの?」


 小絵ちゃんはテーブルに肘を付き、そこへ顎を乗せて答えた。


「わたしは原稿を作る派ですけど、大変でしたねー、あれは。『ウィルフロ』ってこじれたシステムがあまりない格ゲーですけど、何もないわけでもありませんし」

「なんか、聞いた。フレームとか、めくりとか」

「その辺りをきちんと設定されてるのが特徴ですね。スマホでもできるよう、簡略化もされてますが、『トリリ』らしい細かい仕事だと思います」

「史也、大変って言ってた。一つ一つ検証するの」


 私の指摘に小絵ちゃんが重々しいため息を吐いて見せる。


「そうだと思います。先輩の『刀使い』は無敵フレームをどう使うかが、肝のキャラクターですから、それを怠るわけにもいきませんし……」


 聞き慣れない単語に私が首を傾げて見せると、小絵ちゃんは少し考えてから話し始めた。


「例えばですが、発生3、持続2、硬直5で合計10フレーム扱いの攻撃があったとします」

「う、うん」

「ですが、ゲージを消費して出す必殺技の中には、発生の3フレームが無敵判定になっているものがあるんです」

「……その間は攻撃が当たらないってこと?」

「はい。当たり判定がない状態ですね。仮に片瀬さんの、『槍使い』がものすごく強い攻撃を重ねていても、受け流されます」


 そこまで説明を聞き、私の頭にあった疑問が一つ、解ける。


「対戦動画見てて、当たらないの、なんで? って思ってたけど、それが原因だったんだ」

「『刀使い』はバックステップと超必殺の『居合抜き』に無敵判定がありますから。……で、ここまで言えば、お分かりかと思いますが」


 そこまで言って、小絵ちゃんは渋い表情になった。


「先輩はその無敵判定をバンバン使ってきます。なので、ホントに警戒した方がいいですよ? そのために、『槍使い』のフレーム検証をしてるんでしょうし」


 小絵ちゃんの口調は強かったから、私は不思議になって問い返す。


「えっと、便利過ぎない、それ?」

「いえ、そんなことはないですよ? 使える場面が少ないですし、『あ、来そう』と思ったら、無敵判定が消えてから攻撃すればいいだけです」


 私の脳裏に以前、史也から聞いた台詞が蘇った。


「『ゲームに完璧はない』?」


 私の返答に小絵ちゃんは、にっと笑う。


「はい! 一般的に格闘ゲームがジャンケンに例えられている通りですね!」

「ジャンケン?」

「お互いの立ち位置に応じて、手を打っているだけということです。グーを出せば、パーに負ける。パーを出せば、チョキに負ける。チョキを出せば、グーに負ける。その繰り返しで、完璧な方法論は存在しないんです」

「なるほど。文字通り、殴り合いのゲームなんだ?」

「ええ。制限時間内で手を出し、リスクを負って、勝ちに行く。それだけですよ!」


 だから史也は今、色んな検証をして、その手段を調べているんだと私は理解する。

 対象が『槍使い』だけとは言え、牧村君が、「普段、グッタリ」と評した理由にも納得だ。

 人間が何かに反応するためには最低でも0.1秒必要で、1フレームは60分の1秒の、0.016秒。

 6フレームでようやく0.096秒となり、史也はその反応速度の限界の世界で戦っているということになるから、無理もない。

 私はそこまで思い至った後、空を見上げながら息を吐く。


「確かに、これは私も準備が必要だ。……してくるよね、なんか」

「相手が先輩ですから……。今までを振り返れば、考えるまでもないことですが」


 二人で、「はぁ」とため息を漏らし、微妙な間が生まれる。

 その後、私は思い切って、ずっと気になっていた問いを投げかけた。


「ねえ、小絵ちゃん」

「なんでしょう?」

「小絵ちゃんって、どんな風に史也と出会ったの?」


 彼女の目が、すうっと細くなり、ややトーンの落ちた口調で問い返してくる。


「……それを聞いてどうするんですか? 『ウィルフロ』と関わりはないと思いますが」

「それは……」


 私は少し俯き、右手で左肘を撫でてしまう。

 これまでの経緯から生まれた、今の感情を言葉にするのは難しい。

 でも誤魔化すことはしたくないから、私は顔を上げて答えた。


「史也が一生懸命、向き合おうとしてくれてるから。私はちゃんと、答えたいんだ」


 小絵ちゃんは厳しい視線で真っ直ぐにこちらを見たまま、何も言わない。

 私は思う。

 きっと、今見せている警戒の表情が小絵ちゃんの本心だ。

 もちろん、今まで見せてくれた態度が嘘だったとは言わない。

 ただ、感情の深いところ、普段は見せない部分を今の彼女は、向けてくれている気がする。

 だから私は嘘を言ってはいけないし、例え怒らせたとしても、ありのままの気持ちを答えなければならない。


「史也の前で取り繕いたくないし、着飾りたくない。こっちを見てくれるなら、笑いたい時も、泣きたい時も、そのままの自分でいたいから」

「……その上で、勝ちたいと?」

「うん。私は余計なものを全部洗い落として、最後に残った気持ちを伝えたい。そのために、できることはやっておきたいから、小絵ちゃんのところへ来たんだ」


 私の答えを聞いた小絵ちゃんは、ちょっと間を置いた後、少し苦い表情で息を吐いた。


「……分かりました。いい加減な気持ちで先輩の傍にいて、危害を加えるのなら、手段の一つや二つ考えていましたが、その必要はないみたいですね」

「え、そんなこと考えてたの?」

「はい。……セージさんと形は違えど、わたしも先輩に借りがある身ですので」

「借り?」


 それはいつのものだろう? と私は思う。

 史也がこっちへ戻って来たのは中二の春。

 そして牧村君と知り合う前のはずだから、転校直後だろうか……?

 小絵ちゃんは、どこからか一冊の文庫本を取り出し、テーブルへ置いて、話し出す。


「わたしが中学一年生の頃、入学したしたてで、完全に孤立していた時の……笑い話です」


 そう前置いて、小絵ちゃんはその出来事について語り始める。

 彼女の視線は輝く空ではなく、風に揺れる緑の葉でもなく、土と草の間、にごりのある水たまりへ向けられていた。

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