26. 白状すれば、見たいものがあったから
そうこうしている間に、俺達は一軒の喫茶店の前へたどり着く。
店先にプランターの花々が並び、扉近くにはメニューの置かれたテーブルが見られる。
ここが目的地だったらしく、片瀬はメニューへ目も向けず、木製のドアを開けた。
「え、ちょっと待ってくれ」
ずんずん進んで行く彼女の背中を追い、窓際の対面テーブルの席へ座る。
片瀬はカウンターにいた老夫婦へ一つ、会釈をしただけで、向こうも何も言ってこない。
だが俺は初めてなので、出る声が小さくなってしまう。
「よく来るのか? ここ」
「うん。よく……ってほどではないかもだけど、割と」
「なんだそりゃ。どっちなのか、分からない……」
相変わらずの曖昧な表現だったが、俺はテーブル横に立ててあったメニューを手に取る。
片瀬がなぜか、じっとこっちを見つめているのが気になったが、俺はメニューのコーヒーの名前を読み上げた。
「ブレンドにキリマンジャロ、ブルーマウンテン、モカ……。どれがいいかな……って!?」
俺はメニューのとある記述に目を奪われ、思わず声を上げてしまう。
「ぶ、ブレンドが1200円!? えっ!?」
思わず俺はメニューを二度見し、桁が違っていないか確認した。
だが、ブレンドだけでなく他のコーヒーの価格も軒並み1000円以上で、夢でも幻でもない現実を突き付けられるだけだ。
俺のリアクションを見た片瀬は満足そうに、「くすっ」と微笑んだ後、話し出す。
「ビックリさせた分、味は保証するよ。サンドと合わせるといいから。……あ、何も言わずに連れて来たし、私のオゴりでいいよ」
「え、でも」
あのガチャの助言のおかげで財布に余裕はある。
だがそれを主張したところで、受け入れてくれそうもない雰囲気だったから、俺は素直に頷いた。
「……分かった。この場はオゴられよう」
「うん。オゴられよう」
片瀬が満足げに言い、俺は敢えて値段を見ずに注文を決める。
「じゃあ、BLTサンドをブルーマウンテンのコーヒーセットで」
BLTというのはベーコン、レタス、トマトのことで、安くはないのだろうが、もう気持ち的には行けるところまで行ってしまえ、という感じだ。
「あ、ブレンドじゃないんだ?」
「いつも片瀬が飲んでるから、おススメなのかなって」
「じゃあ、私はたまごサンドとブレンドかな」
そして彼女は手を振り、店員のおばあちゃんがお冷とおしぼりを置いて注文を確認し、去って行った。
俺は手を拭き、お冷を一口飲んで落ち着いた後、改めて問う。
「で、どこで知ったんだ? この店」
一戸車両を乗り継ぎ、あぜ道を歩いた先にあるのだから、誰かから教えてもらったのだろう。
そう思っていたのだが、片瀬は首を左右に振って答えた。
「ううん、一人で散歩してた時、見つけたんだ」
「散歩?」
「そう。放課後、フラフラしてること、多いからさ」
「そう言えば初めて会った時も、唐突にコンビニにいたもんな……」
「史也は?」
「ん?」
片瀬も一口、お冷を飲み、肘をテーブルに突いて問いを投げかけて来る。
「放課後、何してるの? 部活には入ってないようなものだし、ゲーム?」
「そこはいろいろ。小絵の推しを聞いてたり、征士へヤジを飛ばしに行ってたり」
「ふうん?」
「まあ、合間に街を歩いてるのは片瀬と同じだ。部活やってなくても、身体は動かしたい」
「すごい減るよね、スニーカーの踵。ローファーから履き替えるんだけど」
「それでも部活には入らないけどな?」
その言葉に片瀬は柔らかく目元を緩めて、「ものぐさだね」と小さく笑った。
「あ、でも、されたことあるよ、あれ」
「あれ? ……ああ、ナンパ?」
「補導」
「ブッ!?」
予想外の単語が飛び出したので、俺はお冷を思わず吹き出してしまう。
「ほ、補導って!? 何やったんだ!?」
「何もやってないよ。街を歩いてただけ。ただ……」
「ただ?」
その溜めに不穏なものを感じつつ、俺は先を促した。
「県境は越えてたかも」
「……放課後、隣の県の街を歩いてたのか?」
彼女の表情に苦みが混ざる。
「よくなかったよね、制服のままだったのが」
「大事なのはそこじゃないって! ……ち、ちなみに、それはいつ?」
「……中二? そういう気分だったから」
「絶対ダメなヤツじゃん……。そんなのがフラフラしてたら、補導されるって!」
「みんな、あんなに怒ることなかった」
「それは片瀬のためだからな……?」
俺は頭を抱えながら、「ウチの『裏ボス』っていったい……?」と心の中で呻くしかない。
そんな会話を交わしている間に、おばあちゃんがセットメニューを運んで来た。
俺と片瀬は軽く会釈し、テーブルに並んだコーヒーセットを眺める。
「く、口直ししよう……。じゃあ、まずはブルーマウンテンから……」
コーヒーカップを手に取り、俺はコーヒーを口へ運んだ。
まず口の中に広がったのは、わずかな苦みだ。
次に酸味がぴりっと舌を刺激したものの、それらは名残なく雪のように消え、最後にほのかな甘みが広がる。
思わず俺は、ため息を漏らしてしまった。
「めちゃくちゃ美味いな……。なら、サンドの方も……?」
やや語彙を失いつつあったが俺は次に、BLTサンドを口へ運ぶ。
今度は黒コショウの強めの辛さが舌を刺激し、それを受けてしまうと、またブルーマウンテンの甘みが恋しくなる。
そんな俺のリアクションを片瀬は何も言わず、嬉しそうに見つめているだけだ。
「……すまん、喋るの忘れてた。食べるのに夢中で」
片瀬はブレンドとたまごサンドをマイペースに食べながら、頬を緩めて見せた。
「ううん、連れて来たかい、あった。私もここのなら、何とか飲めるし。……それに、最近、疲れてるみたいだったから、史也」
「え?」
俺が声を上げると、片瀬はライトブルーのネイルを覗かせながら、カップを掴んで答えた。
「私がちゃんと休んで、って言うのは違うんだと思う。それでも、何もしないは無理だったから」
思わず、俺は返す言葉を無くしてしまう。
俺が戦う相手は片瀬だから、彼女が塩を送るような真似をするのはおかしなことなのだろう。
だが片瀬はそれを理解しても、ここへ来たかった、と言ったのだ。
「白状すれば見たいものもあったんだ」
「見たいもの?」
片瀬は目を伏せ、揺れるコーヒーの湖面を見ながら、ぽつりと呟く。
「うん、史也が弱ってるところ。もうダメだーって頭を抱えてるところ」
ふい、と窓の外へ視線を投げ、枠外に見えるプランターの花を見ながら彼女は続けた。
「弱さを見せてくれないのは、分かってる。でも、叶うならって。……それを目の前にした時、私がどうしたくなるかを知りたかった」
「でも、それは」
視線を落とした俺へ、片瀬は小さく笑って見せる。
「大丈夫、私の気持ちが先走ってるだけっていうのは、分かってるから。……週末に出る答えが待ちきれないんだよ、きっと」
正直、その台詞に救われた気分だったから、俺は今の気持ちを何とか口にした。
「……全力を尽くすよ。そのために準備もしてる。だから」
俺は努めて不敵な口調で、口元に笑みを浮かべる。
「当日は全力で来るといい。言い訳できないていどには負かせるつもりだ」
その言葉をどう受け取ったのか、彼女は一瞬目をぱちくりとさせた。
だが、その後、目を閉じ、静かな動作でコーヒーカップを傾けながら答える。
「……うん、待ってる。例え、その場所が一人ぼっちの一戸車両であっても」
そして片瀬は言葉を切り、カップを置いて、密やかな声で呟いた。
「看板のない無人駅であっても。花と人影のない喫茶店であっても。……待ってるから」
その響きを通じて彼女が普段、『見ている』世界の冷たさに触れた気がしたが、今は下唇を噛み、少しでも安心させられるよう、俺は顔を上げて言葉を投げかけた。
「じゃあ、また来ないか? ここに。ブルーマウンテン、美味しかったから。……他も飲んでみたい」
俺は窓に映った片瀬の口の動きで、その返答を知る。
そして、メニューの値段を思い出しながら、「ちゃんとお金、貯めておかないと」と心の中で、苦く笑った。
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