25. 初めて会った時、なんでガチャのアドバイスをしてくれたんだ?
一戸車両の電車に揺られながら、俺は車窓の外へ視線を投げる。
学校やスーパーのある市街地から少し離れ、視界に入るのは緑の田んぼや畑ばかりだ。
六月の暖かな日差しの中、農道をお年寄りが歩き、軽トラックが小道を走って行く。
対面の座席に座った片瀬も、そんな風景を眺めながら、身体の力を抜いているようだった。
「少し、眠いな……」
思わずそんなことを呟いてしまったが、片瀬は特に気にした様子もなく答えた。
「寝てもいいよ。着いたら起こすし」
「いや、せっかくだから起きてる。……この一戸車両に乗るのも久しぶりだから」
俺はそう答えながら、放課後の経緯を思う。
玄関で合流した俺は、片瀬に連れられてすぐ駅へ向かった。
骨張った支柱が目立つ木造の駅で、片瀬と共に地方鉄道へ乗り込み、今に至っている。
周囲を見渡し乗客数を確認しても、両手で数えられるていどで、思わず苦笑してしまった。
横長の椅子で舟を漕ぐお年寄りの女性、少年誌を読みふける中学生、カードゲームを楽しむ子供達。
過ごし方はそれぞれだが、なにせ人口密度が低いから文句を言う人間もいない。
「なんというか、自由だなあ。野放図だ」
「首都圏とかは、なかった?」
「こういうのに憧れてる人もいたなあ……って、片瀬に転校してたこと話したっけ?」
なぜか片瀬は、「あっ」という表情で視線を逸らし、答えた。
「ごめん、聞いたんだ。牧村君から」
「……? 別に謝る必要はないんじゃないか?」
雑談で話題に出てもおかしくないし、隠してもないから、彼女が申し訳なさそうな仕草を見せる理由が分からない。
「とは言っても、特に覚えてることもないけど。どっちにいても、ゲームしてたのは一緒だし」
「三つ子の魂……ってやつ?」
「そんな立派なものじゃないよ。好きなことをやってたというより、好き勝手やってたって言い方の方が正しいから」
俺の言い方に片瀬は、「くすっ」と小さく笑う。
「ほんとによくないやつだ?」
「まあ、その辺りは、好いた事はせぬが損ってことで」
「やっぱり、悪いヒトの理屈じゃん」
片瀬が涼しい顔でさらりとそんなことを言うと、電車が停まり、彼女は外を指差した。
俺達は自動で開いたドアを降り、駅名の示された看板だけが並ぶ木造の無人駅へ立つ。
古いプラスチック製のケースに切符を入れ、街路……というより、あぜ道へ出た。
左右には、腰まで背の伸びた農作物が見られ、鼻を突く水と草の青臭さを覚える。
「夏でもないのに、開けた場所へ出ると日差しが強く感じられるのは、俺だけかなあ……」
青空を見上げながらそう呟くと、並んで歩いていた片瀬も頷いて見せた。
「うん、不思議。まあ、六月でも対策は必要だと思うけど、日差し」
「最近、男の人でも日傘とか差してる人いるもんなあ。……そんなに違うのか?」
先導する片瀬にならって歩きながら、ふとそんな疑問を口にする。
「んー、分かんない。私、日傘は使わないから」
「肌白いのに?」
「台風とか来たら、雨降ってても外出ちゃうし」
「いや、それは止めとけって! 最悪、怪我だけじゃ済まないぞ!?」
片瀬は、「うぅん」と小さく唸った後、それでも食い下がってきた。
「だって、上がるじゃん。テンション」
「気持ちは分かるけど……」
思わず片瀬が夏場、制服で濡れネズミになりながら街路を走り、雨宿りしている姿を想像してしまい、いたたまれない気分になってしまう。
髪先からこぼれ落ちる雨水、胸元に張り付いたシャツ、露わになる身体のライン。
ダメだと思う。
夏の薄い制服でそれは、ダメだと思う。
「片瀬」
「?」
「台風が来たら家に、いよう」
「う、うん?」
力の入った俺の主張に片瀬は目を瞬かせ、今までどのくらいの人間が、このやるせない苦しみを抱いたのかと想像してしまった。
同時に、「なんで、こんな当たり前のことを力説してるんだ……?」という虚しさも抱きつつ、ふと思い出したことがあったので俺は口を開く。
「片瀬、前から気になってたことがあるんだけど」
「んー?」
少し前を歩く彼女は背中越しに顔を向けた。
「初めて会った時、なんでガチャのアドバイスをしてくれたんだ? はっきり言うのは気が引けるけど、片瀬って自分から知らない人に話しかけるタイプじゃないし」
「あー……」
俺の問いに片瀬は曖昧な声を漏らしたが、一度頭を掻いてから答える。
「『見え』ちゃった時は、できるだけ本人へ伝えるようにしてるから。得になるなら、その方がいいじゃん」
「それはそうだけど。怖くないのか?」
「怖いよ、もちろん。言わなかったことで、事故とかになってたら……って家で後悔するのは」
「……」
その返答に俺は思わず言葉を失ってしまう。
単純に、「知らない人へ話しかけるのは怖くないか?」と聞いただけだったのだが、彼女の答えは予想外のものだったからだ。
片瀬は淡々と続ける。
「だから、『見た』内容を伝えるのは、どちらかと言えば自分のためなんだと思う。不安になるのが、取り残されるのが怖いから声をかけて……」
そして一度言葉を切り、寂し気に微笑む。
「伝えたら、逃げる。……史也の時も、そうだったじゃん」
「確かに、ビックリしてる間にいなくなったから、幽霊かと思った」
「言う事を言ったら、その場を離れて忘れちゃった方が楽だし」
「だから学校で話しかけた時、すぐ思い出せなかったのか……」
その時の事を振り返り、ため息を漏らしてしまう。
やがて彼女は少し俯き、苦い口調で言った。
「そんなところ見られたら、気持ち悪いって言われるしね。……仕方ないよ」
その言葉を聞いた俺の脳裏に、初めて学校で会った日の記憶が蘇る。
確かあの日も片瀬は目を伏せ、わずかな憂いを滲ませて、
『気持ち悪いって思う方が、普通じゃない?』
と問いを投げかけていた。
俺は、ぐっと勇気を振り絞って尋ねる。
「片瀬は言われたことがあるのか? ……その、気持ち悪いって」
彼女は俯き、少し間を置いた後、頷いた。
「……うん、あるよ。でも、誰にも気持ち悪いって言われずに生きてる人なんているのかな?」
「それはそうだけど、いや、俺が聞きたいのはそうじゃなくて……!」
俺が知りたかったのは、それが原因で今も辛い思いをしているんじゃないのか? というものだったのだが、片瀬は上手く言葉をすり替えて明確に答えない。
もどかしさを感じた俺は頭を乱暴に掻いてしまうが、片瀬は苦笑して続ける。
「でも、今はいいんだ。だって、史也は言ってくれたじゃん」
「俺が? 何を?」
そう問うと彼女はわずかな安らぎを頬に滲ませ、柔らかく微笑んだ。
「『二度、助けられた。感謝してるし、気持ち悪いとは思わない』って。……嬉しかったな。そんなこと言われたの、初めてだったから」
「は、初めてって……。じゃあ、今まで誰かを助けても、一度もお礼を言われたことがなかったのか?」
言われてみれば、屋上で俺がそう告げた時、確かに片瀬は少しぼおっとしていた。
俺は今更ながらにその理由を理解し、やり切れない気分になってしまう。
「助けるなんて、大げさだよ。私は言いたいことを言っただけ」
「そ、それはそうかも知れないけど……」
そうと知っていたら、もうちょっと何か言えたかもしれないのに。
そんな気持ちが顔に出てしまったのか、片瀬は俺の表情を見て、「くすっ」と小さく笑う。
気恥ずかしくなってしまった俺は、そっぽを向くので精一杯で、何も言うことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます