24. 片瀬水帆の校内カースト
「史也、相殺ってなに?」
「はえ?」
午前の授業を終え、屋上でカツサンドを食べていた俺へ、片瀬が不意に問いかけて来る。
最近、疲れが溜まっているせいか身体が重く、解放感のある場所へ足を向けていたのだが、意外な質問に驚いてしまった。
「どうしたんだ、急に?」
屋上の壁際に座り、フルーツサンドをつまんでいた片瀬が頷く。
「なんか、覚えた方がいいのかなって。牧村君にも言われたし」
俺はペットボトルのほうじ茶を飲みながら、「ううん」と曖昧に相づちを打つ。
「そういうシステムもあるけど、片瀬に必要かってなるとなあ……」
「でも、気になるよ。まったく知らないよりマシじゃん」
「そこまで言うなら、説明するけど……」
俺は手早くカツサンドを口へ詰め込み、手を拭いてから、スマートフォンを取り出した。
片瀬もアプリを立ち上げ、トレーニングステージで、それぞれのキャラクター……片瀬は、『槍使い』の少女、俺は、『刀使い』の少年を操作する。
「相殺っていうのは……まあ、見る方が早いか。三、二、一で強攻撃を出してくれ」
「ん」
俺がカウントダウンし、同時に強攻撃を繰り出した。
フィールドの中央で、刀の袈裟切りと槍の刺突がぶつかり合い、触れ合った先端で紫の電流が幾何学模様を描く。
派手な効果音も相まって片瀬が、「おぉ」と驚いたような声を漏らした。
「こんな感じで、武器同士……攻撃判定同士がぶつかり合って、消滅するシステムのことだな」
「カッコいいね、画面」
「そうだな。頻繁に起こることでもないから見映えはいいし、プレイヤーも盛り上がる。あ、でも、覚えた方がいいのがあった」
「何?」
「キャラクターの立ってる場所を、よく見てくれ」
片瀬は意味が分からないという表情だったが、やがてその変化に気付いた様子で頷く。
「少し、後ろに下がってるね。ぶつかり合った分ってこと?」
「ああ。それと武器同士がぶつかった後、キャラクターも数フレーム硬直して動けなかったりする。……その辺りのシステム仕様は、ゲームによりけりって感じだ」
「そっか、弱攻撃と強攻撃、中攻撃と強攻撃とでも、下がる距離と硬直が違ったりするんだ。なんか、『トリリ』っぽいこだわりだね」
そんなことを片瀬は呟き、納得しているが、一方の俺は背筋に寒いものを覚えるばかりだ。
そこまで詳しい説明も実演もしてないから、『見た』のだろうが、こうも習得が早いとさすがに戦慄してしまう。
その気持ちを胸の奥へ押し込み、俺は軽い口調で続けた。
「同じ『ウィルフロ』でも、据え置き機と『トリリ』でバージョンが違うから、検証し直しで大変なんだ。お互いの使用キャラが分かってることだけが救いだな」
片瀬はちょっと驚いた様子で、手元のスマートフォンから目線を上げる。
「検証って……モーションを全部?」
「そう、全部。しゃがみ状態からの相殺、ニュートラル状態からの相殺、他にめくり判定、技の無敵フレームの長さ、キャンセルの有無……。やることが一杯だ」
「だから最近、疲れてる?」
心配そうな彼女に、俺は努めて自信を覗かせる笑みを見せた。
「やることが一杯ってことは、嫌がらせの手段も一杯ってことだから、いろいろな?」
その発言の意図をどう理解したのか片瀬は、「くすっ」と笑って答える。
「言うじゃん。……目元のクマ、すごいよ?」
「ゲーマーはいつも睡眠不足だから、問題ない。考えて、対策することは大切だ」
「じゃあさ、他にも聞きたいことがあって――」
そうして俺は片瀬からゲームに関する質問を、いくつか受けた。
予鈴が鳴った時、彼女はまだ聞き足りないような顔を見せたが腰を上げ、去り際にぽつり、と言う。
「ね、今日の放課後、ヒマ?」
「へ?」
俺は口調に動揺を滲ませながら、問いを返した。
「えーと、何か用事か?」
「うん、一緒に来て欲しい場所があるんだ。結構、時間もらうことになるけど」
正直、周囲で聞き耳を立てている生徒達の反応も気になったが、いまさら片瀬がそれを気にするとも思えなかったので、俺は大人しく返答した。
「……分かった。授業が終わったら、玄関で待ってる」
すると彼女は一度微笑み、小さく手を振ってから、去って行く。
その背中を眺めながら俺は昨晩、小絵や征士と交わした会話を思い返す。
夜遅く自室のパソコンで、気分転換に七並べをしていた時のこと。
ハンズフリーで会話をしていたのだが、ふと気になっていたことを俺が二人に聞いたのだ。
「なあ、小絵、征士。片瀬と初めて会った時、事情があるとか、出回るところにしか出回らない情報だとか言ってたけど、あれは何だったんだ?」
すると電波越しに小絵が答えた。
「あー、あれはですね。片瀬さんの校内カーストの話です。……先輩、ゲームってラスボスがいるじゃないですか?」
俺は次に切るカードを考えながら、頷く。
「片瀬がラスボスで、カーストのトップだって言いたいのか?」
続いて征士の声。
「いいや、ラスボスってのはレベルを上げれば倒せるやつのことだろ? 片瀬は、『裏ボス』だ」
「裏ボス?」
不穏な言葉に俺の手と思考が止まり、小絵が言った。
「フラれた男子が口をそろえて言うんです、『攻撃が当たらない』、『攻撃が効かない』、『そもそも何考えてるか分からない』って。レベルを上げても倒せない。だから、『裏ボス』なんです」
「名誉なんだか、不名誉なんだか……。で、その情報が撃沈した男子の間で流れてるって?」
その問いに、征士が答える。
「女子の間でもな。『手を出した男子が悪い。邪な気持ちで片瀬さんに近付くな』……だとさ」
「ほんとに、それって褒められてるのか……?」
俺は頭を抱え、初めて教室で会った時、女子から向けられた険しい視線を思い出してしまう。
疲れから来る頭痛が再発しそうだったが、納得出来ない理屈でもないのが辛いところだ。
最後に、小絵が神妙な声音で告げた。
「だから先輩、慎重に行動して下さいね? 他人の注目なんてどうでもいいですけど、先輩が妙なことに巻き込まれるのは面白くないので」
そこで、昨晩の記憶は途切れている。
やがて俺は、薄く青い絵の具を滲ませたような空を仰ぎ見た。
周囲に人影はなく出遅れた俺だけが、ぽつんと壁に寄りかかり、座っている。
本鈴が目の前に迫り、俺は重い腰を上げながら一人、呟いた。
「……分かってる。できる限りのことをやって、俺は勝つ。そして、その先で片瀬を見つけなきゃいけないんだ」
その声は誰の耳へ届くことも無く、白い雲の流れる空へ吸い込まれ、消えて行く。
そして俺も一つ息を吐いた後、教室へ向かって走り出した。
ふと、脳裏に公園の夜闇の中、一人佇む片瀬の華奢な肩と、風に揺れた後ろ髪がよぎる。
彼女は今も背中を向けたまま、花の散った桜の枝を見続けている。
その姿を、見失わないように。
遅れないように、負けないように。
必ずその先へ、たどり着くために。
そんなことを祈るように願いながら、俺は廊下を走り続けた。
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