Another side3 中二で出会う、その前は

「片瀬? 何してんだ?」


 史也に、『ウィルフロ』を教えてもらってから、しばらく日数が過ぎた夕暮れ時。

 もう六月の第一週は終わったけど、まだ雨の気配はなく、湿気もなくて空気はカラッとしている。

 部活終わりの牧村君は意外そうな表情を見せた後、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「二度目の出待ちとは痛み入るな。今日は試合もなかったと思うが?」

「普段の練習を見たかったから。……大事な試合を控える人は、どんなだろって」


 牧村君は私の正面へ立ち、前を指差して歩き出す。


「へえ、大一番を前に、片瀬も緊張してるのか? ……ま、試合があろうがなかろうが、いつも練習でやってることを本番でも、できるようにするだけだ。つーても、それが一番難しいんだけどな」

「ふうん? それって、格闘ゲームでも同じかな?」


 私が街路へ足を進めながら問うと、牧村君は頷いた。


「そうだな。最初の攻撃から、コンボ、追い打ちの感覚なんかは、触って覚えるのが基本だ。……片瀬は、『槍使い』だから、自分が画面のどこにいるとやりやすいとかあるだろ?」

「あー……あるね。画面端にはいたくない」

「そういう、自分にとって心地いい位置や、不愉快な展開を覚えておくだけでも違うモンだぜ?」

「史也って、『刀使い』だっけ? 少年の」

「手数と小回りの効くやつだな。相性は五分五分だから、『めくり』とか『相殺』とか、システム周りも覚えておいた方がいいぜ? 史也はその辺り、多用してくるから」

「……? うん」


 多分、CPU戦で体験はしてるはずだけど、初耳の言葉だったので、私は曖昧に頷くだけだ。

 すると牧村君は苦り切った表情で呟く。


「これで隠しボス倒したっていうんだから、信じられねーよ、実際。小絵が動画を手元に置きたがる気持ちも分かるし、史也は、『ウィルフロ』の古参だから、どんな気持ちなんだか……」

「あ、ごめん、そこなんだけど」

「ん?」


 急に口を挟んだ私に、牧村君は少し不思議そうな表情を浮かべた。


「聞きたいんだ、史也のこと。中二の頃、会ったって言ってたけど、その前」

「アイツが何をしてたか?」

「……うん」


 私は少し声のトーンを落として頷く。

 傾いた夕陽は目に優しく、やがて来る雨の季節を予感させつつも、しつこさはない。

 牧村君はそんな私を横目で見てから、ゆっくりとした口調で答えた。


「アイツ、生まれはこの街だけど十歳を過ぎた頃、親父さんの都合で都心へ引っ越してたんだ」

「仕事?」

「ああ。で、中二の新学期、十四歳の時、戻って来た。小絵と知り合ったのも、その時期だ」

「……そっか。だから」


 七年前、急に現れたと思ったら、すぐにいなくなってしまったんだと私は思う。

 一番あり得る線で、こうして確認すればすぐのことを、先延ばしにしていた理由は簡単だ。

 あの出会いと別れは私にとって、かけがえのないものだったから、史也が忘れてしまったのならそこに大きな理由があって欲しかった。

 でも、もし私の特別が史也にとって、ただの日常に過ぎなかったら?

 そう思うと怖くなって、確かめることを避けてしまっただけ。


「アイツはフツーに向こうで学校へ行って、フツーに帰って来ただけ。で、『転校生が男だと!? 殺せ!』ってノリで迎えられたってわけだ」


 牧村君は当時を思い返しながら、苦笑いして見せる。

 彼にとって……いや、当時のクラスメイト達にとっても、その思い出は多少珍しいものというていどで、非日常というほどではなかったんだろう。

 そして私は別の中学へ通っていたから、廊下でバッタリ出会うということもなかった。

 それだけの話だ。

 ……それだけの。

 けれど恐れていたほどショックはなく、私は何とか帰宅路を歩けている。

 だって。


『記憶はないけど、印象があるから』


 その言葉が、私を支えてくれているから。

 それを聞く前だったら塞ぎ込んでしまいそうだけど、今は受け入れて先を聞ける。


「じゃあ、もう一つ」

「お、グイグイくるじゃねーか、珍しい。……いいぜ、この際だから何でも来い」

「うん、牧村君が史也を殴ったって」

「あー……、それな? まあ、なんというか」

「?」


 牧村君は珍しく言葉尻を濁した後、苦い口調で話し始めた。

 その目線の先には沈みゆく夕陽があり、勾配の急な家の瓦が鈍く光っている。


「俺、中一の頃にはもう全国で名が売れてたんだけど、秋の終わりから全然勝てなくなって」

「う、うん」

「で、中二に上がってからずっと周囲へグチってたんだ。『修正点も、改善点もある。後はベストを尽くせば俺は絶対勝てる! チクショウ!』って」

「……?」


 牧村君は、『グチ』と言うけど、私から見れば特に変わった発言でもない。

 もし言葉を荒げたとしても、全国レベルで戦える選手ならそういうこともあるはずだ。


「ちなみにロッカー蹴飛ばしたり、ノート投げたりもしてたから、片瀬が思うよりよっぽどタチが悪かったぜ? 人を殴ってなかっただけで実績がなかったら、ただのチンピラだ」

「……えーと、それは」


 ちょっと擁護できないと思い、それが表情に出てしまったのか、隣を歩く牧村君が笑う。


「結局、プッツンして殴ったけどな? あのヤロー、通りすがりにとんでもねーこと言うから」


 私は思わず、ぐっと下唇へ力を入れて、その先を促し、牧村君が答えた。


「『じゃあ、修正点も改善点もなくして、ベストを尽くしても勝てなかったら、何を理由に頑張るんだ?』ってな」

「えっ?」


 そして告げられた言葉の意味をすぐに理解できなかった私は、視線を泳がせてしまったのだった。

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