23. きっと彼女はコントローラーを壁に投げたことがない
「『ウィル・フロンティア』って難しいゲーム?」
その後、小絵が文芸部の先輩に連行されてしまったため、対面に座り直した片瀬が俺に問う。
「いわゆる、『格闘ゲーム』だな。それほど難しいシステムを積んでるわけじゃないし、基本に忠実な作りだから、慣れるまで時間もかからないと思う」
「じゃあ、『トリリ』にもある?」
「ああ。スマホと据え置き機の両方でリリースされてる有名タイトルだ。歴史も長いから、ゲームやってる人間なら大体知ってる」
「ふうん?」
片瀬は俺の説明を聞きながら、スマートフォンを取り出し、アプリを立ち上げた。
俺もアプリを開き、『ウィル・フロンティア』……通称、『ウィルフロ』へ画面を移行させる。
しばらく適当に画面を触っていた片瀬だったが、やがて驚いた様子で声を上げた。
「すごいね、なんか。キャラクターが、グリグリ動く」
「操作性の好みは分かれるけど、それはやり込んでからだしな」
スマートフォンの画面左下にゲームセンターなどで見られるアーケードスティック、右下に三つ『弱』、『中』、『強』の攻撃ボタンが表示され、操作して戦うというのが基本的な流れだ。
「で、キャラクターの特性や相性に応じてプレイスタイルを変えたり、戦術が必要になるって感じだな」
「……? そうなると、史也が有利? 経験者だし」
片瀬の指摘に、俺は苦笑いしながら返答した。
「そうだな。単純に俺、『ウィルフロ』が好きで、ずっとやってるし。……けど」
俺は片瀬の端末と設定を共有させ、彼女が操作する『槍使い』の少女の動きを見ながら頭を抱えてしまう。
「なんで、教えてもいないシステムを使いこなして、コンボができるんだ……?」
多分、『見えた』からなのだろうが、格闘ゲームで言うところの『確定反撃』とか、『キャンセル』なども片瀬は一瞬で理解してしまう。
多分小絵も、『ジャック・ボックス』、『パンドラの家』を経て、何かあると気付いているから、『ウィルフロ』を選んだんだろう。
おそらく片瀬の強さを、『動体視力と反応速度の高さ』と予想し、それがあれば経験者である俺とも戦えると判断したのだ。
最後のゲームを決めかねていたのは事実だし、渡りに船の提案ではあるが……。
「でも違うんだよなあ……。片瀬の速さは、そういうんじゃなくて……」
ボヤく俺を尻目に、片瀬は驚異的なスピードで、『ウィルフロ』に適応していく。
最高難易度のアーケードモードの敵キャラをバッサバッサ倒していく様は、歴戦のプレイヤーが見れば悪夢そのもので、俺も例外ではない。
「あ、エンディングだ。格闘ゲームのって、さくっとしてるんだね」
アーケードモードをクリアした彼女は汗も流さず、さらりと言う。
最後に戦ったのが、全ステージを負けなしで進んだ場合のみ現れる隠しボスで、あまりの超反応に全国のトッププレイヤーが何度も専用コントローラーを壁へ投げたことなど、片瀬は知らないだろう。
俺は背筋に冷たい汗が流れていることを自覚しつつ、一つだけ彼女に助言した。
「片瀬、『格闘ゲーム』をするに当たって、一つだけ教えておきたいことがある」
「何?」
淡々と頷き返した彼女へ、俺は右手の人差し指を立てて見せる。
「フレームについて」
「フレーム?」
「そう。対戦格闘ゲームにおける時間の単位のことなんだけど」
「……?」
通じにくい表現だったらしく片瀬は視線に戸惑いを滲ませ、俺は慌ててフォローした。
「ああいや、難しく考えなくていい。一般的に1秒は、60フレームで扱われてるって話だ。……砕いて言えば、1フレームは60分の1秒で、0.016秒」
「う、うん?」
「例えば、片瀬が今使ってる『槍使い』の弱攻撃は発生、持続、硬直で合計10フレーム扱いなんだが」
「つまり……0.16秒?」
「さすがに間違わなかったか……」
俺が、ほっと胸を撫で下ろすと、片瀬は不満げに唇を尖らせる。
「史也、ふつうに失礼だよ」
「初めて会った時のことを思い出すとなあ……。ガチャの確率、間違えてたじゃないか」
「あれは……ちょっと、調子悪かっただけ」
「つまり、ぼーっとしてたと」
「違う。イージーミス」
片瀬は不服そうにそっぽを向き、俺は少し笑って続けた。
「で、話は飛ぶけど、陸上のフライングの反応速度の基準って知ってるか?」
「ううん」
「あれは『0.1秒』。医学的な根拠によるものだけど、まあ、そこが人間の反応速度の限界だと思っていい」
「えーと、人間が反応するためには、最低でも『0.1秒』必要だから、フレームだと……?」
頭が回らなかったらしい片瀬が、難しい顔で唸って見せる。
その仕草が面白くて、俺は口調が柔らかくなっていることを自覚しつつ、答えた。
「6フレームで0.096秒だから、それ以上ってことになる。だから、上手いプレイヤーってどの操作で、どの位のフレームが必要かを、理解して立ち回りをしてる人が多いんだ」
「……すごいね。適当に動かしてるんじゃないんだ?」
「ああ。だから、『考えて、反応してる』ってことになる。でも片瀬はただ、『反応してる』だけ……だよな?」
俺の問いかけを受け、片瀬は実感が湧かない様子ではあったが、小さく頷く。
つまり、そこが今回の勝負の分かれ目、ということなのだろう。
『考え、反応して戦う俺』と、『ただ反応してるだけの片瀬』。
『見る』ことで一つの行程を抜き去っている以上、反応速度の差は歴然だ。
俺は右手を口元へ当てて考えた。
「その差をどうにかしなければ勝てない、か。どうすればいいんだか……」
深く、思考の海へ潜っていく俺を片瀬は何も言わず、じっと見つめている。
やがて俺は顔を上げ、一つ息を吐いて言った。
「小絵としては片瀬も練習すれば、対等になれるゲームを選んだつもりだったんだろうけど、実際は全く逆になっちゃったな?」
その口調がやや砕けたものだったせいか、片瀬は少し柔らかな声音で答える。
「えー、どうだろ。史也っていろいろズルいから」
「ま、最終決戦だし、これで勝ってこそ、だ」
片瀬は余裕を示すように、「くすっ」と笑った。
「おー、大きく出た」
「ハッタリくらい自由にさせてくれ。……じゃあ、勝負の日時だけど」
「任せるよ、感覚分からないし」
「片瀬なら、三週間くらいあれば充分かな」
俺の言葉に彼女は、「ん」とだけ頷く。
「じゃあ、六月の半ばの日曜、かあ。……これで、最後だね」
その言葉に秘められた意味を俺は考えながら、答えた。
「……ああ。その日に、全部が終わるよう頑張るよ」
俺の脳裏に、片瀬の言葉が蘇る。
『私を見つけて、史也。あの日のように』
タイムリミットは三週間。
長いとは思えないが、短くてもきっとダメだろうから、本当にそこがデッドラインだ。
彼女を見つけるためにできる限りを済ませ、勝たなければならない。
心臓が縮こまるほどの緊張を覚え、下唇が震えそうになってしまう。
そして俺は、右手を左胸ポケットのポケットへ当て、瞳を閉じている片瀬との距離を実感しながら、今まで生きて来た中で一番強く勝利を意識し、拳を握り締めた。
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