第四章 『ウィル・フロンティア』

22. ある日はハチミツ。ある日はタマネギ

「そういえばさ、観たよ、小絵ちゃんの動画」

「ブッ!?」


 『パンドラの家』での勝負から一週間ほど過ぎた、五月下旬。

 放課後の図書室で飛び出した片瀬の爆弾発言に、本を読んでいた小絵が激しく吹き出した。

 衣替えを目前に控えた二人はブレザーを脱ぎ、白いシャツと薄青のチェック柄のスカート姿で、見た目も涼し気だ。


「突然、小絵に会いたいって言い出したから、何かと思えばそれか……」


 片瀬の隣でライトノベルを読んでいた俺は、ため息交じりに納得する。

 まあ普段、本を読むタイプじゃないから、別の用事なんだろうとは思っていたが。

 周りの文芸部員達が怪訝そうな視線を向け、小絵はブンブンと手を振り、消火活動を行う。


「か、片瀬さん!? また、唐突なアプローチですね!? あ、あれ、でも……?」


 ワタワタしていた小絵だったが不審な点があったらしく、小首を傾げて見せた。

 俺は小さく、「……これは、よくない」と呟き、席を立とうとしたが、時すでに遅し。

 小絵は俺の手首を握り締め、笑顔で額に青筋を立てて、声を震わせた。


「先輩? どうして片瀬さんが、わたしのチャンネルを知っているんでしょう?」

「……聞かれたんだから、答えるしかないじゃないか」


 小絵はバンバン! とテーブルを激しく叩いて抗議する。


「タイミングの問題です! わたしが、『ここだッ!』って思った時に観て欲しかったんです!」


 再び視線が集まりつつある中、片瀬は不思議そうな表情を浮かべた。


「え、でも、面白かったよ? ええと、『ある日はハチミツ。ある日はタマネギ』だっけ?」

「わー! わー! わー!」


 片瀬がチャンネル名を言うと、小絵は自身の声を被せ、それをかき消す。

 そりゃ、普段隠しているチャンネル名を暴露されたら、さもありなんだ。

 まあ片瀬には俺や小絵寄りの趣味がないから、知られたいけど、大っぴらにもしたくないというデリケートな感覚は分かり辛いのかもしれないが。

 俺はそんなことを考えつつ本を閉じて、席を立った。


「片瀬、小絵、場所を変えないか? あんまり騒がしくても悪いし」

「そ、そうですね! 片瀬さん、とりあえず……どこでもいいので、どこかへ行きましょう!」

「う、うん」


 言うが早いか小絵は片瀬の腕を引き、図書室から出て行く。

 入学からそれなりに時間を経ているし、人間関係で妙な波風は立てたくなくないんだろう。

 小絵は片瀬の腕を掴んだまま階段を降り、食堂と校舎を繋ぐ渡り廊下から、校庭へ出た。


「せんぱーい、こっちです! こっち!」


 ベンチに腰を下ろして、手を振る小絵の声が聞こえ、俺はそちらへ向かって歩き出す。

 テーブルとセットになったベンチに俺と片瀬が並び、向こう側に小絵が座る。

 片瀬が弾んでいた息を整え、落ち着いた頃、小絵は声をひそめて聞いた。


「……で、どの動画を観て、どこが面白かったんですか?」


 欲望丸出しの問いに俺は吹き出しそうになるが、片瀬は記憶を探りながら答える。


「んー、私が見たのは海外ドラマの回。ハリウッド女優と街の一般女性が入れ変わるやつ」

「あー、あれですか。片瀬さんも観てたんですか? あのドラマ」

「うん。話も好きだったから」

「派手さはありませんでしたけど良作でしたよね! どのシーンがお気に入りですか?」


 二人の会話は広がるが、その海外ドラマをよく知らない俺は蚊帳の外だ。

 動画を見た記憶はあるものの、内容がおぼろげだったため、気になった点に突っ込みを入れる。


「海外の入れ替わりものって、どんなのだっけ?」

「えーと、ハリウッドでトップに君臨していた女優さんが突然、事故死した後の話……ですね。動画をアップしたのは割と最近ですよ?」

「ああ、なんか思い出してきた。パンチの効いた導入だなってビックリした記憶がある」


 食い付いた俺に小絵は右手の人差し指を立てて、得意げに説明を始めた。


「その後、天国で目を覚ますんですが、『私の輝かしい人生はここからだったのに! 私を地上へ返して!』ってゴネまくるんですよね~。それはもう、めんどくささの極みって感じで! 結局、それに手を焼いた天使長は、同時刻に心臓発作で亡くなっていた一般女性へ魂を移すんですが……」


 俺は記憶を探りながら、眉間を叩く。


「それが原因で、いろいろ揉めるんだっけ?」

「はい。以前の自分と違い、仕事や家庭に問題のある環境だったんで、『こんなの私は認めない! 私はもっと成長して、もう一度ハリウッドを上り詰める!』って決意を固めるのが一話です」


 その内容に気圧されつつ、俺は息を飲んだ。


「な、何か改めて聞くと結構、攻めた設定なんだな。デリケートな部分っていうか……」


 そんな俺の反応を見た片瀬が、「くすっ」と小さく笑う。


「大丈夫だよ、史也。コメディ調の作品だし」

「そ、そうなのか?」

「ちなみに片瀬さんは、何話が良かったですか?」

「私? そうだね、私は――」


 そんな感じで片瀬と小絵はドラマの感想を話し始める。

 ほとんど小絵が推しのポイントを喋り、片瀬は相づちを打っているだけなのだが、不思議と噛み合っているように見えてしまい、俺は苦笑する。


「ね、史也」

「ん?」

「こんな雰囲気なの? だいたい、小絵ちゃんの動画って」


 俺は小絵のチャンネルのサムネイル一覧を思い出しながら、答えた。


「そうだな。ジャンルはドラマ、アニメ、ラノベ、ゲーム、好きになったら何でも。だいたい五分から十分、ずっと自分の推しを語ってる。……ワンシーンの考察で一本終わらせることもあるから、再生数が伸びないんだけど」


 その指摘に小絵は不満げに頬を膨らませ、食って掛かってくる。


「差別化ですぅ! 何事も、みんなと一緒のことしてたらダメなんですぅ!」

「……え、私は面白そうだと思ったけど、伸びてないの?」


 片瀬の鋭く真実をえぐる問いに小絵は、「うっ!」と身を折って、テーブルへ突っ伏した。

 そして、そのままフリーズしてしまったので、俺が代わりに答える。


「狙いはいいんだけど、それしかやらないから色物枠になってるんだ。だから入り口の意味をかねて、キャッチーな動画も作った方がいいって言ってるのに」


 言い方は悪いが、美味いゲテモノしか出さない料理店みたいになっているのは事実だ。

 だが、だからこそ後は簡単な工夫で化ける気はしているのだが……。

 やがて復活した小絵は、「ふん」と鼻を鳴らし、大仰に腕を組んで見せる。


「いいんです、マイペースで。片瀬さんみたいに時々、褒めてくれる人もいますから!」

「小絵がいいって言うんなら、深くは口出ししないけど……。ただ」

「ただ、何でしょう」


 俺は少し視線を逸らして答えた。


「片瀬にチャンネルの名前を話したのも、見てくれる人は多い方がいいと思っただけで」

「――」


 小絵は驚いた様子で目を瞬かせたが、やがて、にやーと口元に人の悪い笑みを浮かべる。


「何、生意気言ってるんですかー、先輩のクセに! ちょっとカッコいいところ見せようとか思ってません!?」


 俺は席から腰を上げ、小絵の頭を上から掴んでグリグリした。


「相変わらず年上に対して敬意がないな、この口は! 慌てて図書室から出なくても、友達なんていなかったんじゃないか!?」

「イタタ!? ちょっと、止めてください、髪形が乱れます! 事案、事案!」

「やかましい!」


 そんな俺達を見ていた片瀬が、口元を綻ばせて言う。


「いいじゃん、小絵ちゃん。心配してくれるお兄さんみたいで」


 小絵は乱れた髪を直した後、苦い表情と口調で答えた。


「えー、いやですよぅ! 先輩がわたしのお兄ちゃんなんて、寒気がします!」

「それはこっちの台詞だ。小絵が妹なんて、背筋が凍る」


 俺達の返答に片瀬はまた、苦笑する。


「以前もそんなこと言ってたじゃん。……あ、小絵ちゃん、ついでに一つ頼んでいい?」

「頼み……ですか? 何でしょう?」


 小絵が問い返すと片瀬は、「うん」と頷き、顔を上げて言った。


「最後のゲーム、選んで欲しいんだ、小絵ちゃんに。……史也は決めかねてるっぽいし」


 俺は驚き、隣に座る片瀬を見ると彼女は左胸ポケットへ右手を当て、静かに祈るような口調で小絵へそう告げていた。 

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