21. けど、もう言わないこともできないから
「ターニングポイントは配布アイテムだったんだ」
その後、夕陽が照らす帰り道を二人で歩きながら、俺はなおも不満げな片瀬へ説明を始めた。
「配布にしてはもらうための条件が高めだったから、『あれ?』って思った」
彼女はそっぽを向き、公園の池を見ながら答える。
「……高めって?」
「ゲーム性を変える可能性があるアイテムなのに、なんで入手難度が高いんだろ? って。本来なら、タダの配布にしなきゃいけないから」
ゲームをやる習慣のない片瀬には、ピンと来なかったらしく、俺は説明を続けた。
「片瀬にゲームの目的を勘違いさせるほどのものだ。そんなアイテムを一部のコアユーザーだけがもらえて、新規や途中参加のライトユーザーはもらえないとなると不平等……格差になる」
「……炎上しかねないってこと?」
「そう。増して、事前に石3000個なんて破格のクリア報酬を提示してる。……だから、思ったんだ。ゲームの難易度は、誰でもクリアできるように設定されてるはずだって」
「あー……、怖いもんね、炎上」
「ほんとに……。となると、『家族構成とプロフィール』は表の目的で、『犯人と動機。その経緯の推理』はコアユーザーへの裏の目的なんだろうって」
片瀬は少し考えてから、唸った。
「やり込み要素……ってこと?」
「裏で走らせてたシナリオはイベント終了の記念アイテム、『妻の日記』で全部語られてるし」
「うーん……?」
なかなか納得できない片瀬は首を捻っているが、『妻の日記』を読んで、ぞっとしたのはむしろ俺の方だった。
内容は、彼女が予想した通りだったから。
要約すれば、探偵を雇っていたのは夫の浮気を疑っていた妻で、ゴミからその証拠を探ろうとしていたらしい。
夫の会っていた女性は会社の同僚……までは、以前片瀬が語った通り。
問題はその先だ。
『妻の日記』を開く前、片瀬と二人きりになれた俺は、『見た』内容を話してもらったのだが、その予想は運営の用意していたシナリオと一致した。
実は浮気でも何でもなく、結婚記念日のプレゼントを一緒に選んでいただけで、途中から夫がいなくなったのは急性の盲腸で入院したためだ。
更に写真が破れ、血で濡れていたのは、リビングに飾ってあった写真立てのガラスを息子がふざけて割ってしまい、指を切ってしまったから。
それを配布アイテムとしたのは、プレイヤーのミスリードを誘うためだったのだろう。
やがて元々気が弱く、探偵を雇っていたことに罪悪感を覚え始めた妻は正直に事実を告白し、病室の夫はそれを多少の苦笑で許した。
そして最後に、『家』だけが表示されていたトップ画面に、結婚記念日の花束を持つ妻、退院した夫、息子と娘が幸せそうに笑っている立ち絵が追加され、イベントは終了した。
俺は苦い笑いを浮かべ、肩をすくめて見せる。
「全ては神話通り、『箱』の最後に残っていたのは希望って話だ。正解率の高かったプレイヤーは石も、もらえて万々歳ってことで」
まあ、一人だけその工夫ゆえに躓いた人間もいたわけだが。
「史也、人が悪い」
「この場合は運営だと思うけど。……まあ、いいんじゃないか? 不安定でも意識して方向性を持たせれば、『見える』ものに影響があるって分かったんだから」
「それはそうだけど……」
釈然としていない様子の片瀬へ俺は、にっと笑って見せる。
「言っただろ? やりようなんていくらでもある。……これで一勝一敗。本当の勝負はここからだな?」
「……む」
首の皮一枚で繋げた結果で、勝利と呼べるかと問われれば微妙だが、これは三番勝負だ。
負ける勝負でさっさと負け、勝てる勝負で確実に勝ち、一喜一憂しないことが重要となる。
きっと俺は、『ジャック・ボックス』と『パンドラの家』で得られた情報と経験を駆使し、最後の勝負に挑むことになるんだろう。
かなりシビアな戦いになるが、片瀬専用の戦略を作り上げ、勝ちを引き寄せなければならない。
きっとそれが、排出率0.5パーセントのガチャを100パーセント引く彼女に勝つ方法の答えとなる。
そして。
「片瀬」
俺は隣を歩く彼女へ向き直り、足を止める。
ちょっとぼんやりしていた片瀬は少し歩を進めた後、振り返った。
「ん?」
「その……」
歩きながら言いたいことは整理したつもりだったが、やはり本人を目の前にすると、不安が先立つ。
けど、もう言わないこともできないから、俺は意を決して口を開いた。
「俺、どこかで片瀬と会ったこと、ある……ような気がしてるんだ。違うかな……?」
「――」
片瀬の目が大きく見開かれ、俺は胸の動悸が激しくなるのを自覚してしまう。
「多分、片瀬は……こういうことよく言われてて、そういうの、あんまり好きじゃないんだろうって思う。けど、どうしても気になって……」
少し震える声で、彼女は返答を寄越してきた。
「……なんで?」
「勝負をしてる時、懐かしいような……くしゃってしてる印象があったから」
「くしゃ……って?」
「俺もはっきり分からないけど、音にするとそんな感じっていうか……。『ジャック・ボックス』と『パンドラの家』を終えた時も、すごく胸が苦しくなったし。……でもあの痛みは、明確に理由があるやつだって思ったから」
俺の言葉に片瀬は少し俯き、目を伏せる。
やがて背を向け、沈みゆく夕陽へ視線を向けながら、ぽつりと答えた。
「……そうだね、あるよ。会ったこと」
「えっ?」
俺は驚いて顔を上げたが、そこにあったのは夕焼けの風に後ろ髪を揺らす彼女の背中だけだ。
その口調は寂し気で、数歩分の距離が四月の春の夜を思い出させる。
俺は、ふと考えてしまう。
あの頃から少しは距離が縮まったと思っていたけど、本当はどうなのだろう?
片瀬が、『見える』という色々なもの。
それについて俺が予想を立てたところで、彼女が本当に『見たい』ものを見られていないのなら、そこに意味なんてあるんだろうか?
花の散った桜の先、沈む夕日が消え行く先に、『見える』ものはあるのかも知れない。
しかしそれを知りえるのが彼女だけだとしたら、その胸に宿るのは安心ではなく、寂しさではないだろうか?
そんなことを考えた時、背中越しの片瀬の顔が少し上がった気がした。
「私は覚えてるよ、いつ、どこで、何をしていたのか、はっきりと。……その時、一つだけ心に決めた願いもあって、それを言葉にはできるけど」
「願い……? で、でも覚えてるんなら……!」
俺は問うが、彼女の佇まいには迷いがある。
そこに秘められているのは、今まで抱えて来た孤独の冷たさと淡い熱情だ。
相反する感情に戸惑いを見せながらも、片瀬は答えた。
「でも今、それを話すことはできない」
「どうして?」
片瀬は淡々と、静かに告げる。
「今、私はここにいるけど、心は『あの場所』に取り残されたままだから。……きっと話しても、届かない。史也にも、私にも」
「なら俺は……」
俺の言葉尻はしぼんでしまったが、一方の彼女は、「はぁ」とかすかに震えた熱い吐息を零し、右手を左胸のポケットがある場所へ動かして、告げた。
「だから私を見つけて、史也。あの日のように。……ごめん、これが精一杯だよ」
精一杯。
その響きが、俺の心を鋭く打つ。
言いたくないわけではないけれど、言葉にするだけでは届かない。
状況を変えたいけれど、解決するための手段がないもどかしさ。
その密やかな願いが、今も彼女の心に影を落とし続けているのなら、俺はそれに答えたい。
「分かった。必ず、俺が片瀬を見つける。……約束だ」
俺の決意に彼女は振り向かないまま、ささやくような声音で応じる。
「……うん、約束。待ってるから、ずっと」
その視線の先、公園の池へ夕陽の面影が沈んでいく。
足を動かせば隣に立つことも、その先を窺うこともできたのかも知れない。
だが俺はその場から動かず、片瀬が初めて覗かせた喪失感の滲む背中を、夜の帳が下りるまで、ずっと見つめ続けていた。
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