19. なんで、そんなに勝負にこだわるの?
『パンドラの家』の話が終わった後、ふと片瀬が口を開く。
「ね、気になってたんだけど」
「ん?」
彼女はもう冷めているであろうカップを手に、神妙な口調で言った。
「史也はさ、いろいろ考えて、どうにかしようとするけど。なんで、そんなに勝負にこだわるの?」
「え?」
予想していなかった問いに、今度は俺の方が言葉に詰まってしまう。
「『ジャック・ボックス』の譜面とか、さっきの宿題の話だって、そうじゃん。辛いなら、止めちゃえばいい。怒る人はいても、なるようになるから」
「それは……」
隣に座り、俺を見つめる片瀬の瞳は真っ直ぐで、偽りがない。
だからはぐらかしたり、嘘を言ったりしたくないと思い、答えた。
「……記憶はないけど、印象があるから」
「?」
漠然とした表現に片瀬が首を傾げ、俺は一つ一つ言葉を選ぶ。
「いつ、どこでの出来事なのかは分からない。でも、印象だけが残ってる」
「印象?」
「ああ。負けそうになる時……というより負けた後、自分が嫌になりそうになったら、いつも思い出す。『あの時の悔しさに、比べれば』って」
「――っ」
片瀬は言葉を失い、息を震わせた。
俺はテーブルに腕を乗せ、はがゆさを感じながら、下唇を噛む。
「おかしいよな。『あの時』がいつで、『誰』に対して悔しいって感じたかも記憶にないのに」
そこまで言って、俺はわずかに痛む左胸へ手を当てた。
「印象が、消えないんだ。だから、『いつか、必ず』って思ってる。それを追いかけてたら」
俺はわざと口調を明るくして、両腕を開いて見せる。
「こんな性格になってた。でも、今の自分は気に入ってるし、それはいいんだ。……けど、ずっと俺を支えてくれたものだから、やっぱり、『いつか、必ず』なんだと思う」
努めて、「えー、なにそれ」と突っ込めるよう軽い調子で言ったのだが、片瀬は俯き、前髪で目元を隠して、太ももの上で両手を握り締めたまま、何もリアクションを示さない。
「あー……、その」
だから俺の口から、曖昧な呟きがもれてしまう。
これも、そりゃそうだ、という話だ。
俺自身も理解できていないことを漠然と言われたところで、反応に困るのは当たり前。
下を向いた片瀬の表情を窺い知ることはできないし、ほのかに耳先が赤くなっているから、まあ、何と言うか、やっぱり恥ずかしい話をしてしまったということなんだろう。
「片瀬、えーと、今のは――」
何か言葉をひねり出そうとしたものの、彼女が先手を取った。
「……一つ、聞いていい?」
「あ、ああ」
その声音は密かな熱を帯び、静かだがどこか興奮を滲ませているように俺の耳へ響く。
「その話、小絵ちゃんや牧村君へしたことは?」
「……ないよ。話したのは、片瀬が初めてだ。なんか、答えなきゃいけない気がして」
「っ」
太ももの上に置かれた片瀬の拳が、より一層硬く握られた。
「ごめん、もう一つ、いい?」
「?」
そうしてようやく彼女は顔を上げる。
表情は、ぼおっとしているが、ほのかな熱情を宿した視線と頬は、初めて見るものだったので俺は強く驚いてしまう。
瞳に映るオレンジ色の夕陽は淡い暖かさを秘め、長いまつ毛にかかるていどの前髪が、はらりと左右へ揺れる。
そして隣に座ったまま、ぐっと身をこちらへ寄せ、顔を近づけて来た。
「か、片瀬?」
突然の出来事に声が裏返ってしまったが、彼女の勢いは消えず、より増していく。
「もし、その正体が分かるとしたら、どうする?」
「え?」
予想外の問いかけに、俺は戸惑いを隠せない。
だがそれに関しては、ずっと心に決めていた答えがあったので、そのまま口にする。
「もし、分かるなら」
「……うん」
頷く片瀬の吐息は熱く、テーブル上で接近したことはあっても触れたことのない指先が、重なる寸前で止まっていた。
「ちゃんと、俺から声をかけたい。ずっと支えてもらったんだから、『ありがとう』は、自分で伝えなきゃダメだと思う」
「――」
また、片瀬は言葉を失う。
恥ずかしい事を口走っている自覚はあるから、ノーリアクションだと俺の方が困ってしまう。
やがて彼女は深く椅子へ座り直し、手の平を目元へ当てて、ゆっくりと息を吐いた。
「片瀬、その……どうした? 大丈夫か?」
俺の声がよほど頼りなかったのか、彼女は、「くすっ」と小さく笑って見せる。
普段とは違う気弱な声音だったが、調子を取り戻しつつあるようだ。
「ごめん、大丈夫。ちょっと、ビックリして」
俺は気まずい思いもあって、ガリガリと頭を掻く。
「す、すまん。まあ……どうでもいい話だったよな?」
俺はそう言ったが片瀬は目を伏せるだけで、その気持ちを汲み取ることができない。
「どうでもよくは……ないよ。以前、史也は言ってくれたじゃん」
「言ったって、何を?」
「『二度、助けられた。感謝してるし、気持ち悪いとは思わない』って。そういう気持ちを言葉にするのは、大事だと思う」
「言ったけど、改めて聞くと随分偉そうだな、俺……」
片瀬は、「くすっ」と暖かさを滲ませて笑う。
「そうかもね。……でも、いいんじゃない? それで救われた人もいるよ、きっと」
「そ、そんなもんかな……?」
「そんなもん、そんなもん」
片瀬は少し熱に浮かされたような調子で答え、頷く。
そして最後にブルーマウンテンを口へ運び、目を細め、清々しさを宿した声音で言った。
「思うままにならぬが人生かあ。……あー、にがい」
そして、窓越しの風に揺れる街路樹を見つめながら、どこか楽しそうに呟いた。
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