18.  じゃあ、一つだけ助言すると

「史也?」


 アイテム配布から三日が過ぎた放課後。

 コンビニのイートインで、『トリリ』とにらめっこしていた俺へ、声をかける人物がいた。


「片瀬? こっち方面って帰り道だっけ?」


 ブルーマウンテンのカップ片手に、彼女は隣の椅子へ座ったので、俺はスマートフォンをしまう。


「ううん、散歩してた。店に入ったら見知ったのがいたから」


 五月は中旬を過ぎ、日差しも大分暖かくなったから窓際を選んだのだが、入り口からは丸見えだったらしく、少し恥ずかしい。


「……放課後は勉強したいんじゃなかったのか?」


 少しからかうような調子を込めて言うと、片瀬は口元で涼し気に笑った。


「やだなー、たまたまだよ。普段はしてるから、勉強」

「赤点を取らないていどに?」


 片瀬はちょっと、むっとなる。


「じゃあ、史也は言うほど成績いいの?」

「良い悪いというより、そもそも分からないことが多いから。なんとも」

「……どういうこと?」

「夏休みの宿題はいつやる? って話題あるだろ? 全部最初とか、最後に徹夜するとか」

「う、うん」


 俺は苦い記憶を呼び起こしながら、ため息を吐いてしまう。


「それ以前に俺、一生懸命やっても問題が解けないから終わらないんだ。何とかどうにかしようとしている間に、日付だけが進んで行くパターン」

「あー……、一番キツいやつじゃん、それ」

「流石に真っ白で提出するのは気が引けるし、怒られるからな……」


 頑張ってはいるだけに叱責を受けると辛く、自分の能力の低さを実感してしまう瞬間だ。

 俺はブレンドを口へ運び、その苦みが身に沁みた頃、片瀬が問いを投げて来た。


「……えっと、そういう時はどうするの? 先生とか」

「頑張ったって話はする。で、教えてもらいながらレポート書いて、何とか」

「そっか……」


 彼女は神妙な表情で考え込むが、その思考が透けて見えたので思わず突っ込んだ。


「片瀬、これはやるだけやったから通用する方法だ。真似してもバレるぞ?」

「……深刻そうな顔してたら、許してくれないかな?」

「まずはやってみてから、だ。というか、その口振りだと本当にやってないんだな……」

「今度、史也の写させてよ」

「だから、真っ白だって」

「伝わるかもしれないじゃん、必死さ」

「どうしてもやりたくないのか……」


 俺がため息を吐いて項垂れると片瀬は、「くすっ」と唇に指先を当てて笑う。

 ふと、俺は片瀬の左胸ポケットが、先日と同じように膨らんでいることに気付く。

 明らかな違いだったので気になったのだが、何を持ち歩いているのか気軽に聞くこともできず、俺は曖昧に頬を掻いてしまう。


「それで、何か分かった?」

「ん?」

「配布アイテムの意味」

「ああ、あれか。いろいろ考えては見たんだが……」


 俺は思考を頭の中で整理して、答えた。


「『家』の中で何かがあったのは間違いないと思う。とある時期を境に、一日分の食費、水道光熱費が変わってるから。その辺りはアイテムを見直せば、すぐピンと来る」

「あー……、レアリティがそれほど高くないアイテムでも分かるんだ?」

「つまり運営に、『家』の変化を隠す気がないってことだな。その気付きを促したのが……」

「配布アイテム」

「そう。けど、アイテムのインパクトはともかく、やってること自体は珍しくないんだよな」


 彼女は不思議そうな顔になったが、俺は空になったカップを持ち、軽く振って見せた。

 意図を汲み取った片瀬は頷き、一旦、俺は飲み物補充のため席を立つ。

 そのままコンビニの店内を歩き、600mlの少し太った麦茶のペットボトルを買った。

 イートインへ戻ると片瀬は、ぼんやりと街路を歩く人々を眺めており、きめの細かい白い肌と柔らかな線を描く頬の形に、思わず胸が高鳴ってしまった。


「どうしたの?」


 きょとんとした彼女に心の中を察せられないよう注意しながら、俺はその隣へ座り直す。


「い、いや……。で、やってることだけど」

「うん」


 俺はペットボトルを開けながら、続けた。


「アプリゲーをやってると分かるんだけど、ゲーム環境が変わると、今まで役に立たなかったアイテムやスキルが重要になったりすることって結構あるんだ」

「へえ、初耳」

「普段、ゲームをやらなかったらそうだと思う。だから小絵のテコ入れって表現は間違いでもなくて」

「生ごみ、衣服、レシート、携帯の利用明細、住民票、見直すものがいっぱいだ」

「最後に、さらっととんでもないことを言った気がしたけど、URかな……? ま、まあ、いいや。三週間っていう期間限定のゲームを最大限楽しんでもらうための工夫だよ」


 片瀬はブルーマウンテンのカップを手元でもてあそび、苦笑する。


「真面目なのか、ふざけてるのか、分からないね? 運営さん」

「だからユーザーが多いんだろうな。ゲームだし必要なんじゃないか? そういう遊び心は」

「なるほど?」


 分かっているのか、いないのか曖昧な反応を片瀬は示す。

 まあ普段ゲームをしないんだから、実感を持てなくても無理はない。


「もうゲーム終了まで時間はないし、手元の情報からいろいろ推理する段階なんだろうな。……あ、俺からも一つ、聞いても?」

「ん、何?」


 俺はずっと気になっていた点を尋ねた。


「今回の一件、片瀬には最後が、『見えて』いないのか?」


 唐突な問いに彼女は少し、考える素振りを見せたが、やがて迷いのない口調で答える。


「うん。前にも言ったけど、いつ、どこで、何が、『見える』かは私にも分からないから」

「その辺りは不安定ってこと?」

「だから、当てにはしてないよ、基本」


 そりゃそうだ、と俺も思う。

 弾は装填されています、引き金をひけばハンマーも起きます、でもいつ発砲できるか分かりませんという武器を当てにして戦えという方が無謀だ。

 だから片瀬は高い基本スペックと運で、大体の困難を切り抜けているのだろう。

 そして時々、何かのオマケのように、『見えて』しまい、それが決定的な一押しとなる。

 ……ただ、それを本人が幸せと感じているかどうかは、分からない。

 彼女が時折見せる孤独の影は淡くも拭い難く、無視できるものではなかったからだ。


「……じゃあ、一つだけ助言すると」

「ん?」


 俺の言葉が意外だったのか、片瀬は大きな目をぱちくりとさせた。


「ゲーム柄、『家』の『中』へ注意がいきがちだけど、一度は『外』へ向けて見たらどうだ?」

「『外』?」

「そう。主人公の職業、覚えてるか?」

「……ええと?」


 記憶になかったらしい片瀬が視線を泳がせ、俺は無理もないと思いつつ、答える。


「探偵」

「……ごめん、それが?」

「主人公は探偵として、『誰』にどんな『目的』で雇われたのかってこと。もし、アイテムをゴミとして回収するだけなら以前、言った通り、業者という設定でよかった。……けど」


 そこでようやく、片瀬は怪訝そうな表情へ変わった。


「ゲーム上は、探偵……?」

「そう。つまり……」


 そして俺は情報を整理するため、右手を口元へ当てて少し考える。

 なぜか片瀬が、じっとその仕草を見つめて来たけど、俺は情報を優先して口にした。


「探偵を雇い、ゴミの回収を依頼したのは、家族の誰かである可能性が高い。もしそうなら、『血に濡れた写真』なんてガチの証拠を、ゴミとして捨てることができた理由にもなる」

「……犯人と探偵が共犯で、証拠を横流ししてるってこと?」

「受け取った後、確実に処分させてる……とか。内部犯で間違いない状況だし、ゲームの性質上、登場人物は増えないはずだから、おそらくは」


 片瀬は目に見えて、「うわあ」という顔になったが、それは俺も同じだ。

 『ジャック・ボックス』もそうだったけど、なかなかどうして、『トリリ』の運営は頭のネジが飛んでいる。


「だから、『犯人と動機。その経緯を推理する』のがキーポイントなんだと思う」

「そうだね……。そこが大事なところかあ」


 そして、『パンドラの家』のネタは一旦切れ、会話が途切れる。

 片瀬は考え込むような、物思いにふけるような曖昧な表情をしており、街路を経て覗く空にはオレンジ色が滲んでいて、割と時間は流れていたらしいと俺は思ったのだった。

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