Another side 2 アイツ自身は平凡そのもので運も悪いが

「圧倒的だったね、何か」


 ゴールデンウイーク半ば、五月三日の祝日。

 テニスのラケットバッグを背負い、部室から出て来た牧村君へ私服姿の私は声をかけた。

 他校との練習試合が行われていたのは昼で、今はもう陽がオレンジ色に染まる時刻だ。

 試合自体は盛り上がっていたため、祭りの後の寂しさが一層、色濃く私の目に映った。


「片瀬? 試合を見に来てたのか?」


 牧村君は不思議そうな表情で私に問い掛ける。


「うん。一度くらい、見ておいてもいいかなって」


 私はそう答えながら校舎の外へ向かって歩き出し、牧村君もそれに続く。


「へえ、珍しい。部活の試合はおろか、学校行事にすら興味を示さないって聞いてたのに」

「……興味がないってことはないよ。ただいつもタイミングが悪いだけ」


 確かに、私が積極的に学校行事へ参加することはあまりない。

 あの公園での出来事もあって、集団行動が苦手になってしまったからだろう。

 そうなると、体育祭や文化祭などへ参加するモチベーションも低くなり、距離を取りがちになる。

 多分それが、興味を示さないように見えている原因だ。


「ま、いいけど。史也と小絵を呼ぶか? アイツらも見に来てくれてたし」

「ううん、いいよ。大きな用事があったわけでもないから」


 むしろ、今から聞くことを考えれば、史也はいないほうがいい。


「ふうん? せっかくだから聞きたいんだが、片瀬から俺の試合はどう見えた?」

「試合? ううん……?」


 私は人目を避けた場所から見ていたけど、思うものはあったのでそれを答える。


「さっき言った通り、一方的だった。テニスのルールは知らないけど、牧村君が強いってことは分かったよ」

「おー、嬉しいこと言ってくれるじゃねーか! 素人にも分かるほどだったか!」


 私が頷くと、牧村君は口元に勝気な笑みを浮かべ、短い髪をかき上げた。


「相手は去年のインターハイベスト16の選手だったからなあ。なるほど、手応えはあったけど、この一年で俺の実力も大分伸びたってことだな!」

「え?」


 聞き逃せない言葉に、私は驚きの声を漏らす。

 去年のベスト16?

 確か、牧村君は去年のベスト8だと聞いているけど、それでも楽な相手ではないはず。

 だが私には圧倒的で、一方的に見えてしまった。

 不意に史也の言葉が脳裏に蘇る。


『個人的には全国制覇くらいやって欲しいんだが』

『その程の才能だよ、アイツは。地方大会のエースで止まってもらっちゃ、困るんだ』


 やがて牧村君は苦い笑いを滲ませながら、愚痴をこぼした。


「なのに、史也のやつ、『あの場面で、あのステップは違う』だの、『試合終盤、目に見えて腕が下がってた』だの、言いたい放題だ。毎度毎度、要求が高くて困る」


 牧村君の、「やってらんねえ」という嘆きが可笑しくて、私は少し笑ってしまう。


「言いそう、史也なら」

「だろ? 小絵も笑いながら見てるだけで止めねーし」

「それに、戦術とかすごい細かく言ってきそう」

「まあ、実際はド素人だから、理屈としては全然的外れなんだけどな?」

「えっ?」


 意外な言葉に、私の口から驚きの声がこぼれ落ちた。

 戦術とか戦略とか、史也はかなり研究しているものだとばかり思っていたから。


「監督やコーチの言うことには及ばねーよ、実際。ほんとにアイツは好き勝手言ってるだけ」

「腹は立たないの? だって、それは……」


 口にするには、はばかれる言葉が脳裏をよぎり、牧村君はあっさりと頷いて見せる。


「外野のヤジだよ。とんでもねー無責任な。言うのが史也じゃなかったら、とっくにキレてる」


 そして校門へ続く道を歩きながら少し間を置いて、神妙な声音で言った。


「けど、史也には借りがある。今の俺があるのはアイツのお陰だから、その言葉を疑えねーし、裏切られねー。……まったく、つくづく厄介なやつだ」

「……」


 牧村君の言葉からは過去、史也と何かあったことが伺える。

 過ぎ去った誰かの大切なもの。

 その思い出に触れられるのは共に汗を流し、苦労を共有した人間だけだ。

 それを覗き見る力も資格も私にはない。

 思わず俯いてしまった私を気遣ってか、牧村君が口を開く。


「で、本当に聞きたいのは何だったんだ? 試合だけ見に来たわけじゃねーんだろ?」

「え? あー……、うん」


 不安の海に飲まれそうになっていた私は、思い切って問いを口にした。


「牧村君って、史也と付き合い長いのかなーって」

「アイツとの付き合い? んー……」


 牧村君は腕を組み、少し考える。

 今日、私が聞きたかったのは史也の過去だ。

 もしあの時出会った少年が史也とするなら、彼も十歳だったということになる。

 そして再会したのは現在、十七歳の春だけど、その間、史也は何をしていたのか?


「初めて会ったのは十四……中二の春だったな」

「同じ中学だったんだ? どこ?」

「ああ――」


 牧村君が口にした中学は、なるほど私の母校とは違っていた。

 けど違う見方をすれば、学校は違っていても、私と同じ地元にいたとも言える。

 やがて牧村君は、「くつくつ」と含みのある笑みをもらす。


「どうしたの?」

「いやな、初対面でガチのケンカしちまったなあって。小絵が間に入って、大変だったんだぜ?」

「ケンカ?」


 予想外の単語が出て来て、私は驚いてしまった。

 今の史也を知っている分、それほどのケンカをしていたと言われてもピンと来ない。


「俺、マジで一発、顔面ブン殴ったし。筋力差もあったから、今思い返してもヤベーやつだよ」


 それはそうだ。

 当時の牧村君の実力は分からないけど、既に名の売れた存在ではあったはず。

 その彼がスポーツもやっていない同級生を殴ったとなら、大問題だ。


「でも仲直りして、今なんだ?」

「ま、そうなる。小絵とも、その頃から腐れ縁だ」


 そのまま中学時代を共に過ごし、卒業を経て、今の高校に入学という流れなんだろう。

 その事件の前から、史也と小絵ちゃんが知り合いっぽいというのも気にはなる。

 けど、それを牧村君に聞いても、答えてはくれないだろうから、私は声音を落として答えた。


「……いろいろなんだね、なんか」


 牧村君はどこか楽しそうに苦笑する。


「おかげで、俺は勝って当たり前のエースじゃダメになっちまったし。まったく、変わり種もいたもんだ。……片瀬も気になることはあるんだろうが、俺から言えるとしたら」


 含みを持った言い回しを牧村君はした後、ニヤリと人の悪い笑みを見せて言った。


「もう気付いてると思うが史也はああいうやつだから、油断はしないことだ。アイツ自身は平凡そのもので運も悪いが、考え込むってことに関しては一級品のものを持ってるからな?」


 その言葉を聞いた私は、苦い口調に実感を込めて頷いてしまった。


「ほんとに、そうだね」


 空を見上げればオレンジ色は群青へ近づき、夜の帳が降りる時間が目の前に迫っていた。

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