16. 『パンドラの家』、配信開始
「そう言えば、そろそろか」
会話の途中、あることに気付いた俺は腕時計で時刻を確認した。
「どうしたの?」
片瀬がカップをテーブルへ置いて、問う。
「『パンドラの家』の配信が開始されてるはず。今日はその話もしたかったんだ」
「あ、そっか。ゴールデンウイークに合わせての話だっけ」
俺の言葉を受け、片瀬もデニムジャケットからスマートフォンを取り出した。
「新しいタイトルだし、『トリリ』のトップ画面から飛べるようになってると思う」
「ん」
『トリリ』トップ画面の告知から、『パンドラの家』へのリンクが張られていたため、大した手間もなく、俺達はゲームのダウンロードを開始する。
改めてアプリを立ち上げると、二階建ての白い住宅と、『パンドラの家』というタイトルが表示された。
「これ、何するゲームなんだろ?」
「少し待ってくれ。今、ざっとチュートリアルを読んでみるから」
そして俺はスマートフォンを手に、チュートリアルを進める。
ゲーム自体は難しいものではなく、同時に顔を上げた片瀬が口をすぼめて言った。
「なんか、変わったゲームだね」
「そうだな……。探偵になった主人公が、この白い家から出されるゴミを調査し、それを元に、『家族構成とプロフィールを予想するゲーム』……と。何と言うか」
俺は口調が苦くなっていることを自覚しながら、手を後頭部で組んだ。
「『トリリ』らしい、嫌がらせに満ちた内容だ。ゲーム内の調査と予想が、事前告知の『推理』に当たるんだろうな」
「ライフを消費した分、情報源になるアイテムを貰えるんだよね?」
「アイテムっていうか、はっきり言ってゴミだけどな」
「あ、言っちゃった」
片瀬は軽く咎めたが、俺は構わず続ける。
「隠す気ないだろ、運営。まあ、ゴミはプライベートの宝庫っていうし、探偵にそこから内情を探らせるっていうのは、妥当ではあるんだけど」
「……私、将来探偵にはなりたくないなあ」
「安心していい。こういうのは現実ならゴミ収集業者の仕事だ。ゲームだよ、ゲーム」
「まあ、そうだけど。……少しやってみてもいい?」
俺は頷き、片瀬はライフを消費して、アイテムを獲得する。
ヘルプを観る限り、普通のゲームのガチャと同様に、アイテムにもレアリティがあるようだ。
ノーマル、レア、スーパーレア、スーパースペシャルレア、ウルトラレアのクラスに分けられ、何が出るかは運次第。
「あ、なんか、いいのが出たっぽい」
淡々と片瀬は言い、俺は、「マジ?」と思わず身を乗り出してしまう。
『見える』上に、運にも恵まれているとなると、どうやって勝てばいいのかと頭を悩ませそうになってしまうが、今は出たアイテムに興味があった。
「演出とか、あったか?」
「なんか、虹の葉っぱ」
「……少なくとも、SSR以上は確定っぽいなあ。で、何が出た?」
片瀬は一度頷き、前傾姿勢でスマートフォンを俺へ見せて来る。
グッと身体を近づける形になったため前髪が揺れ、シトラスの香りとほのかな体温が伝わってきたが、俺は動揺を努めて隠し、画面へ集中した。
「スーパーマーケットのレシート? アイコンをタップすれば内容が見られるって感じか?」
俺は指先を伸ばすが、彼女のスマートフォンは射程外へ引っ込んでしまう。
代わりに画面をタップした片瀬が、「ふむ」と下唇を少し動かした。
「見られるね、いろいろ。来店時間、通ったレジ、買った商品、金額、ポイント、決算方法……。昨日、夕飯の材料を買ったっぽい」
「初回サービスってことで、見せてくれたっていいじゃん……」
俺が不満を漏らすと片瀬は、「くすっ」と悪戯っぽく笑う。
「ダメ、重要な情報だから。史也には、特に」
「確かに、『家族構成とプロフィール』を予想するなら、めちゃめちゃ有益なアイテムだしな……」
個人情報は守られる分だけでなく、自分で守る意識を持たなきゃいけないんだなあと考えつつ、俺はゲームの流れを頭の中で確認した。
今、彼女がやってみせたように、ライフを使い、アイテムを確保して、ゲームが終わる三週間後に家族構成とプロフィールを推理するのが、ゲームの目的だ。
最後に結果を入力するフォームが表示され、家族構成のパターン……例えば、祖父、父親、母親、長男、長女の五人暮らし、または祖母、父親、母親、長男の四人暮らしなどの中から予想したものを選択するという流れとなる。
パターンの数もそれほど多くなく、プロフィールは一般的なゲームキャラクターの設定で見られる年齢、身長、体重、趣味などの範囲に収まっているようだ。
その辺りの作りは運営も、一日五分で終わるサブゲーを意識したからと言えるだろう。
そんなことを考えていると、片瀬が画面を指差し、少し不思議そうな表情で声をかけてきた。
「ねえ、仕様なんだけど。『このゲームはリアルタイムで進行します』って」
「……? ああ、もしかして、そのレシートって日付が、『四月二十八日』だったりする?」
「うん」
「なら、現実の時間とゲーム内の時間を合わせてるんじゃないか? ライブ感というか臨場感が欲しいなら、そういう演出ってあるし」
「あー、日常感のあるゲームだしね」
「途中、何かイベントも起こるだろうから、それは楽しみだな。……人の台所事情を覗いてるみたいで、悪いことしてる気もするが」
片瀬がスマートフォンを仕舞ながら、「くすっ」と小さく笑う。
「なにを、いまさら」
「ちょっと待て。なんだその、『普段から、ろくでもないことやってるくせに』ってニュアンスは」
「心当たりがあるから、そう聞こえるんだよ。私は思ったままを口にしただけ」
俺が、「ぐっ」と唸ると、片瀬はテーブルの上で自身の指先を絡め、目を細めて笑った。
まったく、人の気も知らずに……、と俺は脳内でぼやいてしまう。
推理ゲーにおいて、『未来が見える』ということが、どれほどのアドバンテージになるか、分かっていないらしい。
推理映画で先に落ちが『見える』みたいなものだから、早くも軽い眩暈すら覚えてしまう。
……でもその場合、最後まで映画を楽しめるのは、どちらなんだろう?
そんなことを考えてしまった時、彼女の視線が俺へ向いていることに気付き、顔を上げた。
「どうした?」
「とりあえず、ゲームの話は終わりかなって」
「そうだな。何かアップデートがあったら、また説明するよ。期間限定のゲームだし、仕様変更は基本ないと思うけど」
「ん。……じゃあ」
そう前置いて、片瀬はブルーマウンテンのカップを口へ運ぶ。
「私からも聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「あ、ああ、そんなこと言ってたな。何?」
片瀬は窓から差し込む光を受け、静寂を湛えた瞳で俺を見る。
一度、視線を逸らし、彼女はデニムジャケットの左胸ポケットへ右手を当てた。
以前のように、チョコレートでも出て来るのかと思ったが、胸ポケットにはいつもとは違う何かが入っているらしく、わずかなおうとつが見られる。
手のひらサイズの角張った何かに思えたが、あまりジロジロ見ることもできず、俺は慌てて視線を逸らしてしまった。
確か前に、『大事なものを入れる場所』とか言っていた気がするが……?
彼女は瞳を閉じ、やがて静かに何かの決意を固めるような間を置く。
「……片瀬?」
祈るような仕草が神秘的なものに見え、思わず俺はその名を呼んでしまう。
やがて片瀬は瞳を開き、俺の顔を真っ直ぐ見て口を開いた。
「ブラックジャックって、知ってる?」
「え?」
予想もしなかった言葉に、俺の口から素っ頓狂な声が漏れる。
何か隠された意味でもあるのかと思ったが、なにせ質問自体がシンプルで、疑いようがない。
「あ、ああ。知ってる。有名なカードゲームだし。ええと、トランプのアレだろ?」
片瀬は、「トランプ」という言葉に反応し、胸ポケットへ当てた右手へ少し力を込めて頷く。
「うん。……トランプの、アレ」
「……ええと?」
その声は密やかだったが俺には、「知ってる」以外の返答がなく、困ってしまった。
俺の反応を見ていた片瀬は右手をテーブルの上へ戻し、目を伏せて小さく微笑む。
「……ううん、いいよ。思っただけ、知ってるかなーって」
「?」
言葉ではそう言うが口調は悲し気で、表情にも寂しさが滲んでいたため、俺は何か決定的な選択肢を間違えた気がしてしまう。
陽光は眩しく、観葉植物の草花も鮮やかに彼女の背後を彩っており、周囲は賑やかだ。
なのに、片瀬の佇まいはどこか頼りなく、脆い。
まるで彼女をこの広い本屋の中、ただ一人置き去りにしたようで、俺の心に言いようのない不安の影が落ちた。
そして片瀬は最後に少しだけ目を伏せ、小さな声で呟く。
「知っててくれたらいいなーって、思っただけだから」
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