Another side ブラックジャック

「お前、気持ち悪いよ」


 冷たい嫌悪の込められた言葉が私の耳を打つ。

 場所は奇しくも、最初の勝負をした東屋だ。

 ただ、トランプで友人達とブラックジャックをしている私の手は、細く小さい。

 ……ああ、また、あの時の夢か。

 どこか遠い場所から、その光景を眺める私の声は冷めている。

 十歳の頃の記憶だからか、東屋以外の場所は靄がかかったように曖昧で、それは私を取り囲む友人達の顔も同様だった。

 彼等と初めて出会った場所が学校であったのか、この公園であったのかの記憶はない。

 ただ彼等は私を見るなり、こう言って、一気に距離を詰めてきた。


「片瀬って、キレイだよな!」

「片瀬さん、姿勢もカッコいい!」


 当時の私はそれを不快に思わず、彼等に他意もなかったから、心地良くすらあった。

 褒められ、もてはやされ、いつもみんなの中心にいられる自分が誇らしかった。

 友達の輪の中でたくさん喋り、リーダーとなっていく私を見守るお父さんとお母さんも嬉しそうで、子供心に確かな幸せを感じる日々だった。

 そんな時、一人の男の子が公園でトランプを取り出し、みんなに提案する。


「お父さんから新しいゲームを教えてもらったんだ! ブラックジャックって言うんだぜ!」


 ざっくりルールを説明すれば、最初に全員へ二枚ずつカードが配られ、必要に応じてそれを増やし、最終的な合計が「21」に近くなれば勝ちというゲームだ。

 私も前にテレビで見たことがあって、確かディーラーとプレイヤーに分かれるはずなんだけど、それはなくて、今回は順番に山からカードを引いていくだけらしい。

 そして手札が完成したら、「スタンド」宣言をして誰が一番、「21」に近いかを競う。

 細部をかなり端折っているけど、そのお父さんはそれで充分と判断したんだろう。

 新しい遊びということもあり、東屋はかなりの熱気に包まれた。

 私もそれを楽しみ、ゲームを続けていく中で、ふと思ってしまう。

 ……全力でやって見せたらみんな、驚いてくれるかな?

 褒めて欲しかったわけではなく、持ち上げて欲しかったわけでもなかった。

 映画のスクリーンで輝く『お姫様』のように、野球やサッカーでワクワクを届けてくれる『スポーツ選手』のように、ステージで歌って踊り、ドキドキを伝えてくれる『アイドル』のように、私もみんなへ幸せを届けたかった。

 ならビックリしてもらうことが一番だと考えた私は、自分で用意したトランプを手に自慢げに笑い、みんなへ言った。


「じゃあ、私はカードを見ずにやろうかな?」


 その発言の意味が分からなかったみんなは、「?」と首を傾げたが、私は意味ありげに笑顔を見せてゲームの続きを促した。

 プレイヤーは五人で、それぞれ目の前にカードは配られたが、私には自分の手札だけでなく全員のものも『見えて』いたので、難しいことは何もない。


「水帆ちゃんはカードを開かないの?」


 いつも一緒に遊んでいる仲のいい女の子が、伏せられたままのカードを見て、不思議そうな表情を覗かせる。

 それに私は片目を閉じ、唇へ人差し指を当てて答えるだけ。

 そしてみんなは一連のやり取りを終え、手札を開く。


「えっ!?」


 一番大きな声を出して驚いたのは、最初にトランプを持って来た男の子だ。

 手札は、「20」だから勝てると思っていたんだろう。

 けど私は配られたカードを開く事もなく、「21」を出したんだから当然だ。


「え!? なにそれ、どうやってるの!?」


 声を聞きつけた他の友達も集まり、私はますます嬉しくなってしまう。

 みんな、喜んでくれてる!

 興奮した私はゲームを再開し、手札を伏せたまま、必要ならカードの追加もしながら勝ち続けた。

 けどその時、私は気付くべきだった。

 勝負を重ねる毎に、トランプを持って来た男の子の目が険悪なものへ変わっていったことに。

 無条件に勝ち続けるという快感の反対側には、無条件に負け続けるという不快があるということに。


「……あ、れ?」


 そして友人達の反応が冷めきった頃、私は自分の過ちに気付く。

 私を、「キレイ」と言ってくれた男の子達の視線は無遠慮な不信へ、「カッコいい」と言ってくれた女の子達の視線もまた、露骨な軽蔑へ変わっていた。


「ね……え、どうしたの? みんな」


 私は自分の声が小さく震え、無視されている自覚を抱きつつ、それでも呼びかけることを止められない。


「あの……ごめん、何か悪かった……?」


 そうして私はトランプを持ってきた男の子へ、かすれた声で話しかける。

 男の子は友人達を……私といつも一緒に遊んでいた仲のいい女の子を後ろへ立たせ、ひどく冷たい視線でこちらを睨んだ。

 半ば、助けを求めるような気持ちで何か言おうとした私へ、男の子は告げる。


「お前、気持ち悪いよ」

「――っ!」


 全身が硬直し、背筋にひどい悪寒が走って、思わず呼吸が止まってしまう。

 頭に走る鋭い痛みと、距離感をなくした意識の中、私はその公園で起こっていたことをようやく理解する。

 私の見ている『日常』は、みんなにとって『異常』でしかなかった。

 喜びを届けられると信じていた力はただの迷惑で、傍にあると信じて疑わなかった温もりも、あっという間に冷めていった。

 一人、二人と離れて行く友人達の背中を見ながら、私はひどく混乱する。

 私の『日常』が、みんなと違っていたことは、もちろんショックだった。

 けどそれ以上に、こんな簡単に人の心は変わってしまうという現実が辛く、怖かった。

 私を褒めてくれていた言葉。

 私の傍にいてくれた暖かさ。

 確かに感じられていた絆。

 それらはほんの一つのきっかけで、幻のように淡く滲み、私を置いて消えて行った。

 ――どうして? また、一緒に遊びたい。

 何度、そう訴えたか分からない。

 そう声を上げ、傍にいようとするたび、私はみんなから、


「お前、気持ち悪いよ」


 という言葉を突き付けられ、身体が動かなくなってしまう。

 私は普通にしていただけなのに、なんて言わない。

 今なら分かるから。

 私が、『異常』なんだって。

 でも、ガマンするから。

 イヤなことは、言わないから。

 だから、傍にいさせて。

 そう訴えれば訴えるほど、東屋から追いやられ、いつしか公園の片隅に据えられた二人用の椅子と、小さく寂れたテーブルだけが唯一の居場所となった。

 私の小さな手には、プラスチックのケースに入ったトランプがある。

 全ての元凶ではあるけれど、これ以外に他者と繋がる術を想像できなかった私は、テーブルに二人分のカードを置き、現れない対戦相手を待ちながら一人、日々を過ごしていた。

 どのくらい、時間が流れただろう。

 心が擦り切れ、遂に涙が溢れそうになった時、その声が耳へ届いた。


「ブラックジャックか?」

「え?」


 初めて聞く少年の声で、その顔は靄に覆われて判然としない。

 私は顔を上げ、かろうじて頷く。

 少年は嬉しそうな声を上げた。


「いいよな、ブラックジャック! 俺も最近、父さんから教わったんだけど、難しくないし!」

「……」


 少年の声は弾んでいるけど私の反応は鈍く、言葉を返すことができない。

 でも少年は気にした風もなく対面へ座り、指先でカードに触れた。


「じゃあ、最初の勝負だ。カードは、っと」


 少年は自分の手札を確認したけど、私は伏せたまま触れる事もない。

 きっと気持ちが完全に切れて、投げやりになっていた。


「……いいよ、私の勝ちだから。エースとクイーンの『21』」

「え?」


 私は驚く少年を半ば無視するような勢いでカードを開く。

 少年は心底ビックリした様子で、食い入るようにその結果を見つめた。


「……ほんとに『21』だ。ちなみに、俺の手札は?」

「『7』と『9』。……カードを追加したら、キングを引いてバースト」


 一度息を飲んだ後、少年はカードを確認する。

 その結果は、さあっと変わった顔色を見るだけで明らかだ。

 私は心の中でため息を吐く。

 結局、この繰り返し。

 きっと、私はあるがままで生きることが許されない人間なんだろう。

 変わったことをする存在はみんなの邪魔で、自分と違う人間は気持ち悪い。

 それだけのことだ。

 それだけの。

 ふと顔を上げると少年は口元へ右手を当て、何かを考え込んでいる様子だった。


「……?」


 何、してるんだろ?

 いつものように、みんなのように、離れて行けばいいのにと思っていた私へ、少年は言った。


「なら、十番勝負だ。どっちが強いかは、それが終わってから考えよう」

 唐突な提案を受け、私の口から、「えっ?」と間の抜けた声が漏れる。

「そういえば、ルールを変えてるのか? ディーラーとプレイヤーに分かれてなかったけど」

「そ、それは……」


 流されるままルールを説明すると、少年は改めて対面の椅子へ座り直し、指を鳴らして私を促した。


「なるほど、そういうことか。……じゃあ、始めるか」


 私は戸惑いと多少の熱を心に宿し、少年が先に山からカードを引く。

 今度は私もちゃんとカードを手元で開きながら、ゲームは淡々と進んだ。

 ゲーム内容がシンプルだし、見ている人もいないから、相手にだけ集中してやり取りをすればいい。

 特別な配慮や容赦、言葉のない時間。

 その奇妙な関係性に、しかめっ面を浮かべつつも、わずかな心地よさを覚え始めた頃、私は上擦った声で問いを投げかけた。


「……どうして、私に声をかけたの?」


 気持ち悪くないの? という本音を隠して、返事を待つ。

 少年は一度だけ私の顔を見た後、カードとの睨めっこを再開して答えた。


「どうってほどの理由はないけど。ただ、カードを置いたまま、対戦相手待ちしてるやつと勝負なんて、楽しそうだなーって」

「――それは」


 本当は投げやりになっていただけ、と訂正することもできないまま、ゲームは進み、私の五勝四敗で最後の勝負を迎える。

 手札が配られた時点で勝ちが、『見えて』いた私に迷いはなかったけど、伏せたままというのは少年に失礼な気がしたから、エースとジャックのカードを開いて見せた。

 一連の動作を見ていた少年は、口元へ右手を当てて考え込んだ後、空を仰ぐ。

 大きく息を吐き、呟くように言った。


「俺の負け……か。頑張ったんだけど、くやしいなあ。あと少しだったのに……」


 その声音は本当にくやしそうで、だからこそ、少年が私との勝負に勝機を見出していたことが伝わってくる。

 私には見えない世界があると、示してくる。

 けれど、勝負を終えた私の胸は清々しく晴れやかだ。

 勝つ方法は、あるんだ。

 私は万能なんかじゃない。

 一人ぼっちじゃない。

 ちゃんと、私を見つけてくれる人がいる。

 それを理解した時、私の胸に長く忘れていた暖かな感情が蘇った。

 生まれて初めてと言えるほどの、強烈な甘い刺激と繋がりを感じ、頬に熱が宿る。


「あ、あのっ……!」


 私は少年の顔を見ようと視線を上げたけど、そこに映ったのは去って行く彼の背中だった。

 少年はオレンジ色の夕日へ向かって走って行く。

 一度だけ振り向き、白い歯を見せ、悪戯っぽく笑った。


「楽しかった! またやろうな!」


 そして大げさに手を振り、沈んでいく夕日の根っこへ進み、姿を消してしまう。

 私は椅子から腰を上げ、一生懸命腕を伸ばし、口を開いた。



「行かないで」



 ……私は自分の口からこぼれ落ちた言葉で夢から覚める。

 まぶたを開いた十七歳の私は、ベッドの上で天井へ向かって腕を伸ばしていた。

 あの日、届かなかった声と手は何度も夢と言う形で名残を呼び覚まし、肌に汗を滲ませる。


「また、あの夢……か」


 私はそんなことを呟きながら、ベッドから立ち上がった。

 スマートフォンで時刻を確認すると、まだ朝の六時だ。

 二度寝しても余裕だけど、そういう気分でもなかったから、手早く制服へ着替え、勉強机の棚に置かれていた、『あるもの』へ視線を向ける。

 年を経て、プラスチックケースは劣化し、ところどころに痛みが見えるけど、あの日のトランプは変わらず私の手元にあった。

 それをブレザーの左胸のポケットへ入れ、ショルダーバッグを肩にひっかけた後、二階の自室から降りた私は、玄関でローファーを履いて外へ出る。

 朝の冷気を肌に浴びながら、人通りの少ない通学路を歩いた。

 私の家は学校やあの公園から結構近いため、ゆっくり歩いても遅刻することはないはず。

 目に入ったコンビニのイートインで、オールドファッションとブルーマウンテンを口へ運んでいると、不意に史也の声が蘇った。


『どうした、片瀬。ぼーっとして』


 それは昨日、あの公園で待ち合わせていた時に言われたもの。

 私は思わず目を伏せ、俯いてしまう。


「……仕方ないじゃん。あんな形で公園へ行くなんて想像してなかったから、緊張してたんだよ」


 特にあの東屋には辛い記憶があるから、ずっと近寄っていなかったのに。


「それがこうなっちゃうなんて。分かんないなあ、世の中って……」


 そんなことを呟いた後、私は意を決して公園へ足を向ける。

 『ジャック・ボックス』をプレイした東屋ではなく、二人掛けの椅子とテーブルのある場所……公園の寂れた片隅へ。

 朝露で椅子とテーブルが湿気に滲んでいたけど、制服が濡れるというほどでもなかったから、思い切って腰を下ろす。

 次に、胸ポケットへ入れていたトランプのケースを取り出し、二人分のカードを配った。

 そして、時間が静止する。

 朝の青空を背後に揺れる桜の枝、天を映し音も無くその世界を湛える池、私を包み込む澄んだ空気。

 開かれることのない四枚のカードが机の上に並べられ、私はただ、それを見つめている。


「あの出来事があってから、私は少し変わったなあ……」


 その少年と出会い、別れた後、一つの願いを胸に秘めた私は、再び友人達と話すようになった。

 もちろん、すぐに変われたわけじゃない。

 ケンカをするほど荒れることはなかったけど、多くのすれ違いや食い違いを経て、ようやく何人か、友達と言える存在ができた。

 その過程で、「キレイ」、「カッコいい」と声をかけて来る人も再び現れた。

 特別、嫌だとは思わなかったけど、快く受け入れることもできず、適度な距離を保ったまま、何とか付き合えていると自分では思う。

 ただ、深いところ、決定的なところの喪失感を埋めることは、結局できていないのだけど。


「でも……」


 私は一人、呟いてテーブルのカードを指先で撫でる。


「十番勝負、口元に右手を当てる癖。……そして、一緒にゲームができたら楽しそうっていう誘い文句」


 それが、あの屋上で突然訪れた三回ビックリの正体だ。

 そして、最後にもう一つ。


『少なくとも俺は二度、助けられた。感謝してるし、気持ち悪いとは思わない』


 その言葉が脳裏に蘇ると私は胸が切なく、きゅっと痛むのを自覚する。

 同じ時間を過ごす度に、心の支えとして大きな存在になりつつあることを実感し、身体が高い熱を持つ。

 やがて私はもう一度、呟く。


「やっぱり、あの時のコ……なのかな? もう会えないって思ってたけど。……史也は覚えてないのかな……?」


 私の頼りない言葉は誰に届くこともなく、底の抜けた青い空へ消えて行く。

 そして登校時間を迎え、腰を上げるまで、配られたカードを開く手が現れることはなかった。

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