13. 三日後の夕飯、何を食べるか決めてるか?

「それで何だったの? 三日後の夕飯って」


 決着から多少の時間が流れ、オレンジ色の夕日が東屋を照らす中、片瀬が俺に問う。

 小絵と征士は既に帰宅し、公園で遊んでいた家族連れや学生達の姿も、もうほとんとない。


「んー……」


 俺は、ぐったりとテーブルへ突っ伏し、曖昧に答えるだけだったから、彼女はやや不満げだ。

 無茶いうな、と俺は思う。

 片瀬との勝負の反動は激しく、不安や緊張で肩が強張り、頭痛すら覚えていたからだ。

 炭酸ジュースとゼリー飲料でエネルギー補給したものの、なかなか立ち直れず、今も視界がフラフラしてしまう。


「うん……。そうだな……」


 それでも何とか顔を上げ、俺は話し出す。

 なんだかんだで片瀬は隣に座り、回復を待っていてくれたんだから答えるのは当然だろう。


「片瀬の、『見える』って集中の度合いと関係あるのかな? って、ずっと思ってたから」

「集中?」

「よく言うだろ、『途中で集中力が切れてしまったのが、敗因ですね』って。だから、片瀬の力って集中の有無で変わるものなのか知りたかったんだ。……そのための揺さぶりだよ」


 彼女は、「ふうん?」と相槌を打ち、少し考えてから答えた。


「集中は乱れてたよ? ゲームしながら、『どういう意味?』って思ってたから」


 俺の口調が苦いものへ変わる。


「つまり集中力が高いか低いかは、できる、できないに関係ないってことか?」

「今まで考えたこと、なかったけど。でも、ゲーム終盤は普段通り、『見えて』たかな」

「そ、そうか……」


 しかし、それは厄介だと、また頭痛が強くなる。

 集中力が高まれば、パフォーマンスも上がり、良い結果が出るというのは当たり前のことだ。

 だから征士なんかは生活ペース、食事のバランス、トレーニング方法に気を使い、重要な試合が近ければ、周囲もフォローする。

 手間と時間をかけ、当日に最高のコンディションとなるよう、調整するということだ。

 なのだが。


「?」


 俺はあえて意味ありげに視線を送ったのだが、片瀬はきょとんとして小首を傾げるだけだ。

 その佇まいは普段と変わらず涼し気で、多少の疲労は見えても負担というほどでもない。

 極端な例えだが徹夜などで体力、気力、集中力が低下していても、彼女の力はいつも通り発現するということなのだろう。


「基本ステータスだって高いのに、精神的な揺さぶりも効かないってことか……。あ、でも」

「ん?」

「『見える』のって、瞬間的なものって感じもする。長くても、映画のワンシーンていどっていうか」

「以前も言ったけど、本当にケースバイケースだから、よく分からないよ。……でも」


 片瀬はまた、不服げに唇を尖らせて見せた。


「動揺してないって思われるのは、好きじゃない。……今だって、思うところあるし」

「?」


 今度は俺が首を傾げてしまったが、彼女は席を立ち、公園の小道を歩き出す。

 俺もその背を追って進み、片瀬は話を続けた。


「……繰り返しになるけど、いい?」

「何だ?」


 彼女は振り向かないが、その口調は神妙で、俺は思わず気を引き締め直してしまう。


「史也、言ったよね。三日後の夕飯、何を食べるか決めてるか? って」

「あ、ああ。それがどうかしたのか?」


 ぴたり、と片瀬の足が止まったが、口調はあくまでも淡々として変わらない。

 しかし、夕暮れと夜を繋ぐ曖昧な空のグラデーションのように、その声音は不安定だ。


「そう聞かれて私、思ったんだ。『え、決めてないの?』って。……ううん、正確には」


 一旦、句を切り、続ける。


「『みんなには、見えてないんだ』って、思った。……史也も、そうなの?」

「?」


 一瞬、何のことか分からず俺は首を傾げてしまう。

 だが、その意味を理解した瞬間、俺は思わず息を飲んでしまった。

 俺に限らず、小絵や征士にとっても、『三日後の夕飯が何か分からない』のは、当然だ。

 しかし彼女にとって、それは当たり前ではないらしい。

 気付くきっかけは俺の些細な一言だったが、そこには俺達の『日常』と片瀬の『日常』の隔たりが確かに見られた。

 その距離に気付いた彼女が心に冷たい感情を抱いてしまったのは、口調からも察せられる。

 俺は発言の不用意さ、そして『日常』と『特別』の境目の曖昧さを痛感しつつ、答えた。


「……そうだな。俺は、分からない。三日後の夕飯」


 片瀬は振り向かないまま、ぽつりと、「そっか」とだけ呟いた。

 涼やかな夜風に後ろ髪を揺らし、こぼした言葉には静かな諦めが滲んでいる。

 そして、その視線の先には校庭と同じように、花の散った桜がある。

 思わず俺もそこへ視線を向けたが、その先に彼女と同じ未来が見えている自信はない。

 桜を見上げる片瀬と、離れて立つ俺の間に横たわっているのは、歩数にしたら些細な距離だ。

 しかし俺はそこに途方もない隔たりを感じ、ふと、普段の片瀬の言動を思い出してしまう。

 少な目の口数、静かな佇まい、人との距離感。

 それを築くまで彼女が何を思い、感じて来たのかは想像もできない。

 でも……、だからこそ。 


「片瀬、ついでに言っておくけど」

「?」


 唐突な俺の言葉に、彼女は背中で興味を示しつつも、振り返ることはない。


「別に、『三日後の夕飯が分かっているから、どうにもできない』ってわけでもないんだぞ?」


 その発言が意外だったのか、片瀬は、「え?」とこぼして、ようやくこちらへ顔を向ける。

 俺は努めて勝気な笑みを口元へ浮かべ、答えて見せた。


「言っただろ? チェスのツーク・ツワンク。『今、自分が何をしても局面が悪くなる状態』」

「う、うん」


 彼女の表情に不可解そうな色が浮かんだが、俺は構わず続ける。


「俺はゲームが好きで、そればっかりやってきた人間だから、説得力はないかもしれない。けど、だからこそ言えることがある」


 片瀬の雰囲気に、緊張が滲んだ。


「そういう状況はあって当然なんだ。ゲームに完璧はない。勝ち目がゼロなんてこともない。片瀬の今までがどうだったかは知らないが」


 俺は、ニヤリと笑う。


「これは、三番勝負だ。初戦を落としたところで残り二つ、俺が勝てばいいだけの話だろ?」

「えっ?」

「片瀬の力が、『集中力を欠いていても発現する』って分かっただけでも収穫なんだ。確かに、その間は無敵かもしれない。けど、対応策はあるって話もしたじゃないか」

「……? えっと、ごめん。どういうこと?」

「大貧民で切るカードに困ったら?」


 彼女は記憶を探るように少し考えた後、はっとした表情で答えた。


「パスを……する?」

「そう。負け戦が来たら、さっさとパスして次、勝てばいい。やりようなんていくらでもある」

「でも、それは……」


 なおも片瀬は食い下がり、何かを言おうとして口を開く。

 しかし首を左右に振り、少しだけ清々しい表情で言った。


「ううん、ごめん。水掛け論だね。……結論は」

「この勝負が終わった時、出せばいい。『ジャック・ボックス』だって、楽な勝負じゃなかっただろ?」


 俺の挑発的な言葉に対し、彼女はちょっとだけ取り戻した、涼し気な笑みで答える。


「えー? どうだろ、けっこう楽勝だったかも」

「……終わった後、たくさんチョコレート食べてたじゃないか」


 恨みがましい俺の言葉を聞いた片瀬が、「くすっ」と笑う。


「単純に好きなだけ」

「それこそ、負け惜しみに聞こえる」

「ああいえば、こういう。勝ったのは私じゃん」


 そして俺達は一度、小さく笑い合い、顔を上げる。

 視線の先にあるのは夜空の藍色を背後に滲ませる、花の散った桜だ。

 今、俺と片瀬は同じ桜を見ているが、彼女の心境までは分からない。

 さっきまでの言葉だって、精一杯の強がりを込めたものだと、気付かれていない保証もない。

 でも、だからこそ、この勝負が終わるまで、俺はその強がりを貫きたい。

 『三日後の夕飯』なんて些細なものにすら、彼女は孤独の影を見せた。

 そして少し言い方を変えただけで、安心したような素振りを覗かせたのだから、その深さを察することは難しくない。

 俺は一度、目を閉じ、息を吐いて思う。

 せめて桜を見ている今だけは、片瀬の心の痛みが和らいでくれたら。

 そんなことを、少し離れた後ろで願いながら、時間だけが止まることなく流れ去って行った。

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