11. 勝利条件、最高難易度で一番のスコアを

「どうした、片瀬。ぼーっとして」


 そして迎えた日曜日の午後。

 例の公園の入り口で彼女は一人、ぼおっとした様子で立ち尽くしていた。

 ホワイトのデニムジャケットにブルーのボーダーとロングスカート姿で、目前にゴールデンウイークを控えているからか、爽やかな色合いの服装だ。


「え、ううん。どうして?」


 片瀬はそう答えるが、やはりどこかぼんやりした感じで俺は動揺してしまう。


「あ、いや。どっか見てるみたいだったから」

「え? あー……」


 俺の問いに彼女は曖昧な声を漏らし、軽く頭を掻く。


「ほら、この公園。結構広いから、遊具とかサッカー場とか色々あるなーって」

「あ、ああ、地方都市の強みだな。……ま、畑と田んぼ以外、土地の使い道がないだけとも言うが」


 俺の発言に、片瀬は少し冗談めいた口調で答えた。


「あー、それは言わないほうがよかったなー。トチカツヨウ? とか、そういうのだよ、多分」

「最近、流行に乗せてか、ボルダリングとかもできるようにしてるらしいぞ?」

「へえ、ちょっと興味ある。……あー、でも今日、スカートだ」

「着替えもタオルもないだろうに」

「うーん、残念」


 どこまで本気なのか分からないが、片瀬はそんなことを言って軽く笑う。

 肩をすくめたからか、デニムジャケットの襟が少し緩み、白い首元が視界へ入って来た。

 思わず目が泳いでしまったが、俺は何とか言葉を絞り出す。


「……ふ、服は似合ってるし、今日はそれでいいんじゃないか?」


 すると彼女は目をぱちくりとさせた後、自身の指先を絡め、ゆっくりと頷く。


「……うん、ありがと」

「あ、ああ。うん……」


 妙な気恥ずかしさを覚え、視線を逸らしてしまった俺へ片瀬が不意に言う。


「じゃあ、次は気を付けないとね」

「え?」


 発言の意図が分からず、驚いて顔を上げた俺へ、片瀬は少し悪戯っぽい口調で言う。


「次、来る時の話。ブーツじゃなくて、動きやすいスニーカーで」


 言われて目元へ視線を落とせば、片瀬はホワイトのショートブーツを履いていた。


「ブーツも色が合ってていいと思うけど」

「そう?」


 実際、レディースということもあって、見た目は柔らかく親しみやすい。


「切り替えが難しいんだよね。ほら、冬は雪が降るから」

「男は何も考えず長靴でいいんだけど、女子はなあ……」


 俺がそうこぼすと、片瀬も不満げな口調になる。


「スカートに長靴はなかなか、ね。そうも言っていられない日もあるけど」

「一晩で一メートルとか積もると、死活問題だしな……」

「そうなると休校だけどね」

「雪かきで一日、死ぬやつな……」


 思わずため息を吐いてしまった俺へ片瀬が問う。


「それはそうと、小絵ちゃんと牧村君は?」

「今、スマホで確認するから、ちょっと待ってくれ」


 俺はメッセージアプリを開き、二人からのメッセージを確認する。


「小絵と征士はもう目的地に着いてるって。少し歩いた先の東屋だから、付いて来てくれ」


 そして俺が先導し、後ろを歩く彼女の視線の先にあるのは、花の散った桜の枝だ。

 満開日には多くの賑わいを見せていたであろう散策路に花弁はなく、足元では軽い湿気を含んだ土がわずかに黒ずんでいる。

 既に彩りを失った枝先に、片瀬が何を見ているのかは分からない。

 彼女の瞳は、やはりぼんやりとしたまま、捉えどころなく揺れているだけだ。

 その正体を紐解く時間もないまま、目的地である東屋が見えて来る。

 屋根はあるけど壁はなく、四方は吹き抜けで、数本の柱だけで出来ている簡素な小屋だ。

 気軽に出入りもできるから、何かあれば使わせてもらっている場所だった。


「あ、せんぱーい、こっちですよー!」


 東屋へ入り、備え付けの長椅子に座っていた小絵がぶんぶんと手を振って見せる。

 ベージュのカットソーにショートパンツというシンプルな姿だが、上下で淡く色彩を変えていること、カジュアルなスニーカーを合わせていることで、快活なイメージを俺は持つ。


「あ、先輩、今わたしの服、見てましたよね? どうです、どうです?」


 小絵は、えへんと自慢げに胸を張り、腰に手を当てて見せた。


「あー……」


 煽られるまま、褒めるというのも何だか癪だったが、俺は小絵の頭を撫でながら答えた。


「そうだな、似合ってる。春だなーって感じがする」

「えー、なんですか、それ。褒めてます? 微妙に逸らされてるような感じもするんですが!」

「そうか? 結構、いい感じに褒めたつもりだったんだが」

「もっと乙女心をくすぐる文句とか出て来ないんですか? バンバン褒めましょうよぅ!」

「乙女なんて柄じゃないだろうに……」


 俺は一つため息を吐いた後、にやにやしながらこっちを見ていた征士へ視線を向ける。

 大きめのパーカーに、無地のティーシャツ、そしてストレートのデニムパンツという服装。

 一見、飾り気がないように思えるが、そこは流石全国レベルのスポーツマン。

 基礎の骨格が出来ているからこその、素材の良さが伝わって来る。


「相変わらず小絵に絡まれてるな、史也? 褒めた方がいいってのには同感だが」

「どっちの味方なんだ、お前は。……今日、部活はよかったのか?」


 少し気になっていたことを問うと、征士は筋肉で隆起した腕を組み、大仰に笑って見せる。


「午前はバッチリ動いたから、問題ねえよ。ほどほどに休まないと続かないしな?」

「そ、そうか。ならいいんだが。……?」


 ふと、気付くと片瀬が東屋へ入る一歩前で立ち止まっており、俺は近寄って声をかけた。


「どうした? なんかあったか?」

「……あ、ううん。仲良いんだなって」


 もしかして、入り辛かったのだろうかと俺は感じ、慌ててフォローする。


「あ、ああ。それなりに付き合いも長いから。まあ、別に気にしなくていいって」


 彼女はためらいながら、一歩ずつ進み始め、やがて東屋へ足を踏み入れる。


「じゃあ、二人も上手いの? このゲーム」

「そうだな。とはいえ、それでも片瀬はなあ……」


 実際、二人の実力は相当なものだが、片瀬がいろいろ規格外すぎて評価に困ってしまう。

 クイーンとキングは強力なカードだけど、唐突にジョーカーが出て来たような感じだ。

 強気に、「これは楽しみだ!」と笑えればいいのだが、そうもいかず手が震えてしまう辺り、我ながら情けない。

 そうこうしている間に東屋の長椅子へ、俺と片瀬、小絵と征士が机を挟んで座る形となる。

 小絵が大きめのタブレット端末をバックから取り出し、片瀬へ声をかけた。


「改めて、こんにちは、です、片瀬さん。少し間は開きましたが、お元気でしたか?」

「えっと……?」


 小絵の微妙な言葉づかいに、片瀬が戸惑った様子で視線を泳がせる。

 正直なところ、小絵が片瀬に対してどんな感情を抱いているのか俺も分からないので、次の言葉をひねり出すのに苦労してしまった。


「そ、そういえば、片瀬が三日で基本レベルの曲をクリアしたって、話したことあったっけ?」


 小絵はタブレット端末を操作しながら、頷いて苦笑いする。


「マジですかーって感じですねー。それって、努力でどうにかなるレベルなんだ……って」

「テニスやってても、明らかに違うなってやつはいるが、片瀬ってそのタイプなのか?」


 小絵と征士の問いに刺はないが、彼女は居心地が悪そうに肩をすくめるだけだ。

 『見える』、『見えない』の話はしていないが、片瀬は何ができるとかできないとか、そういう話自体、苦手なのかも知れない。

 だから俺は、ぱんと一つ手を叩き、右手のスマホをやや大げさに振って見せた。


「二人共、試合前に結果がどうこうのインタビューはマナー違反だ。今日はここへ勝負をしに来てるんだから、言いたいことはゲームが終わってから話そう」


 俺の指摘に小絵は片目をつむり、征士は、「おっと」と苦笑する。


「じゃあ、片瀬さん。アプリのユーザーIDを教えてもらってもいいですか?」

「え?」


 首を傾げた彼女に、小絵がタブレット端末を掲げて見せる。

 そこに表示されているのはゲーム配信、実況を専門に行っているサイトの画面だった。


「これ、わたしがいつも使っているサイトです。『トリリ』の動画投稿にも対応してて、スマホ画面との共有ができるので」

「?」


 やはり意味を掴みかねている片瀬へ、小絵は続けた。


「勝負するなら、一つの画面で四人のプレイ状況を見られた方がいいでしょう? 四分割されて、同時にって感じです」

「そっか。だから、ユーザーIDが必要なんだね。……でも、動画にして配信するの?」

 口調に少し不安を滲ませた片瀬へ、小絵は首を左右に振り、それを否定した。

「いえ、許可も取らずにそういうことをするのはマナー違反ですので。あ、でも、最初だし、保存だけはしたいとか……」


 視線を逸らしながら、ごにょごにょと小絵は言い、片瀬は少し考えた後、「いいよ」と答える。


「いいのか、片瀬? 嫌なら断っても構わないぞ?」


 俺の問いに彼女は小さく笑った。


「大丈夫。最初の記念に、って気持ちは分かるし」


 そして片瀬はIDを伝え、小絵が設定を終えて、俺達へ『トリリ』の画面を見せる。


「おー、バッチリ見えてるじゃねーか! すげーな、なんか壮観だ!」


 征士が歓声を上げ、俺もその画面を見つめてしまったが、気を取り直して口を開いた。


「じゃあ、みんな、『ジャック・ボックス』を開いてもらえるか?」


 俺の言葉に三人は、『トリリ』内の、『ジャック・ボックス』を開く。

 小絵のタブレット端末は、テーブルの真ん中、いわゆる『誕生日席』に置かれ、いつでも皆のプレイ状況が確認可能となっている。


「さて、今日のデイリーミッションは……? あ、結構、難しいやつだな」


 表示された課題曲はアプリ内でもかなりの難曲だが、それで誰が有利になるのかは微妙なところだ。


「じゃあ、ルールを確認しておくか。難易度設定は最高で、単純に一番高いスコアを出せたやつの勝ちってことでいいな?」


 俺の問いかけに三人は頷く。

 曲を選択し、難易度設定を終え、俺は大きく息を吸って吐く。

 そこでふと、思い出したことがあったので、隣に座る人物へ声をかけた。


「なあ、片瀬」

「何?」

「ちょっと聞きたいんだけど、三日後の夕飯、何を食べるか決めてるか?」

「え?」


 俺の唐突な問いに片瀬だけでなく、小絵と征士もぽかんとしていた。


「えっと、それ、なにか関係ある?」

「いや、聞いてみたかっただけだ。……まあ、あまり気にせずに」

「?」


 彼女は不可解そうな表情だったが、俺はこほんと一つ空咳を挟み、場を仕切り直す。


「じゃあ……ゲーム、スタート!」


 そして、その宣言と共に最初の勝負の幕が切って落とされたのだった。

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