5.  あ、あの人、片瀬水帆さんじゃないですかっ!

「ごめん、待たせた?」


 そして迎えた放課後。

 夕日が照らす市民公園のベンチに座っていた俺へ、片瀬が声をかけてくる。

 俺は手に持っていたスマートフォンから顔を上げ、振り向いた。


「いや、大丈夫。連れの二人もさっき来たところだし」


 そう答え、ベンチ近くの自動販売機で飲み物を買っている二人の男女へ視線を投げる。

 まだ片瀬が来たことに気付いていないらしく、薄い赤色のリボンを胸元で揺らす少女はディスプレイの前で指先をフラフラと揺らしていた。

 もう一人の少年の方は俺と同級生の男子で、そんな少女を苦笑気味に見守っている。


「あの女の子……新入生?」

「ああ。入学したて。今日は仮入部の帰り」

「へえ」


 やがて、お気に入りのミルクティーを購入した少女が俺達の方へ振り向き、「ぴきっ」と音を立てて固まってしまう。

 それは少年の方も同じで、しばらく目を丸くしていたが、やがてその鍛えられた腕を俺の頭に回し、力を込めた。


「って!? 何するんだ!?」


 俺は非難の声を上げるが、少年は全く気にした風もなく、やや引きつった声で片瀬へ告げる。


「悪い、ちょっと史也、借りるわ」


 少年は返事を待たないまま、俺の頭をがっちりロックしたまま、強引に移動させる。

 少女もそれに続き、片瀬からあるていど距離を置いた場所で、ようやく開放された。


「征士(せいじ)……ガチのアスリートが一般人にヘッドロックはないだろ。何だよ、急に?」


 少年こと、牧村征士(まきむら せいじ)は呆れた表情で天を仰ぐ。

 その顔立ちは爽やかで、部活のトレーニングによって鍛えられた肉体には、豹を思わせるしなやかさが宿っている。

 征士に限って、天は二物以上を与えていると俺は感じており、女子からの評価もかなり高い。


「何だよ、じゃないですよっ! あ、あの人、片瀬水帆さんじゃないですかっ!」


 一方で驚きを一切隠さない新入生こと、新谷小絵(しんたに さえ)がぶんぶんと手を振り回し、声を上げる。

 小柄な体格と人懐っこさを宿す丸顔に、さっぱりとしたショートカット姿。

 袖を通したばかりのブレザーは、まだサイズが合っていないらしく、結構ぶかぶかだ。

 そんなことを考えていたものの、小絵の発言が気になり、俺は首を傾げてしまった。


「……? 二人は片瀬を知ってるのか?」


 征士が額に手を当てて、ため息を吐く。


「知らねえ方がおかしいだろ。まさか、四人目が片瀬とはな……」

「入学したてのわたしですら知ってるのに……。セージさんはともかく、ぼっちでゲームオタクの先輩と絡みがあるタイプじゃないですし……」

「事実だからこそ、言葉は選ぼうな!? じゃなくて、ちょっと待て。どういう意味だ?」


 含みのある発言だったので、俺は口元に右手を当てて考え込んでしまう。

 この口振りだと片瀬はそれなりの有名人であるようだが、俺にその心当たりがない。

 もし、トップカーストのヤバいグループに入っているとか、火傷では済まないトラブルを抱えているとかなら、他人とあまり接点のない俺でも耳に挟んでいるはずだ。

 だが思い当たる節もなく、本格的に悩み始めた俺を見て、征士は腕を組み、苦い表情で唸った。


「いや、まあ、それなりに踏み込んだ内容だしな。史也が知らなくても、無理ねーか」

「……うーん、確かに。出回るところにしか出回らない情報だとも、思います」

「すまん、全然分からない。何、言ってるんだ?」


 俺は完全に置いてけぼりだが、二人は勝手に納得して頷き合う。

 釈然としないまま、片瀬の元へ戻ると、彼女は少し機嫌を損ねた様子でそっぽを向いていた。


「……話は終わった?」


 その口調には若干の刺があり、俺はばつの悪さを抱いてしまう。


「あ、その、すまん。声をかけておいて」

「……別にいいけど。じゃあお詫び代わりに、私から聞いていい?」

「あ、ああ、何?」


 片瀬は、すっと征士へ視線を向ける。


「牧村征士君……だよね。なんで、テニス部のエースがここに?」


 征士は目を丸くして口笛を吹き、勝気な笑みを見せた。


「俺のこと、知ってるのか?」

「去年、高校一年生にしてインターハイ、ベスト8。今年はそれ以上も夢じゃないって、噂で。……ウチの学校で知らない人は、いないよ」

「片瀬みたいな美人にまで知られてるなら、光栄だ。ちなみに夢じゃなくて、確定な?」


 その傲慢とも言える発言に、片瀬は少し眉根を寄せたが、やがて俺に向き直る。


「……少し、びっくり。知り合いなんだ?」

「ああ。中学が同じなんだ。……で、こっちは」


 俺が視線を向けると小絵は姿勢を正し、少し堅く、低いトーンで答えた。


「……初めまして、新谷小絵です。えーと、趣味は読書と動画投稿。武勇伝はいくつかお聞きしてます。先日も、軽音部の新部長を一刀両だッ!?」


 最後まで言い切らない内に、征士の突っ込みチョップが脳天へ落ちる。

 何を言おうとしたのか知らないが、いさめる意図を込めて、俺は小絵の頭に手を置いた。


「わ、悪い、片瀬。小絵はこういうノリで生きてるやつだからさ。……ほら、小絵」


 背筋に冷たい汗が流れるのを感じつつ俺と小絵は頭を下げ、片瀬は一つ、ため息を漏らす。


「……まあ、いいよ。でも、ゲームの話だよね、今」

「あ、ああ、そうだな。自己紹介はこのくらいにして、本題へ戻ろう」


 俺は思考を切り替え、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。


「やること自体は簡単だ。昼にガチャを回したゲーム……『トリリオン・マテリアルズ』ってアプリで遊ぼうって話」

「えっと、一日五分でできるサブゲー?」

「そう。『トリリ』は一つのアプリの中に、複数のゲームが入ってるから」

「?」


 意味が分からなかったらしく、小さく首を傾げた片瀬に小絵が続けて説明した。


「インストールは必要ですけど、一つアカウントがあれば、いろんなジャンルのゲームが同時に遊べるんです。そういうお手軽さもあって、結構売れてるんですよ?」

「へぇ」


 彼女は頷き、俺がアプリを立ち上げて見せると、ゲームのトップ画面が立ち上がって来る。

 白い雲が薄く滲む青空を背景に、『Trillion materials』というシンプルなロゴが表示され、その画面をタッチすればゲーム開始となる流れだ。


「あー、だから三番勝負とかやりやすいんだ?」

「そういうこと。……ま、作った側としては一つアカウントを作れば、好きに遊べて自由度も高いですよーって言うのが売りなんだろうな」

「なるほど……」


 俺はスマートフォンを仕舞い、ぱんと手を打つ。


「ま、言いたい事としてはそれだけ。あとは片瀬が参加するかどうか、だけど」

「……えっと」


 彼女はちょっと視線を逸らし、言葉を濁したので、俺は発言を付け足す。


「もちろん、今すぐ決めなくていい。小絵や征士とも初対面なわけだし」


 俺の言葉に彼女は目を伏せ、「……うん」と少し安心した様子で息を吐いた。


「じゃあ、明日でもいい? 返事」

「ああ。小絵と征士も、それでいいよな?」


 俺の問いに二人も頷き、その場は一旦、解散となった。

 そして家へ帰り、自室へ入った時、俺の口からふと、本音が零れ落ちる。


「もうちょっと、強く誘ってもよかったかな……?」


 ガチャを回しながら、少し顔をしかめていた片瀬の横顔が妙に気になってしまう。


「まあ、明日が来るのを待つしかないのは、分かってるけど……」


 やがて俺はがりがりと乱暴に頭を掻き、割り切れない感情を抱いたまま、そう呟いた。

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