侵入者

 2階層を出る前に、リンスールが拾った金色の通行許可証が役に立った。

 レアアイテムを勝手に使っても良いものかと迷ったけれど、緊急事態だからと自分に言い聞かせる。

 実は帰宅をして、すぐに2階層に980レベルのトロールが出現した事をヒナミや、ヒナミの母親から情報を貰うことによって知ることになった。

 玄関先で母親に通行許可証を見せて、緊急クエスト中の2階層へ入れないかと問いかけた。

 すぐに、危険すぎると反対をされたけど。

 それでも、2階層にはクエスト中に怪我をしたヒビキを回復、手当てをしてくれた人がいる。

 580レベルのトロールに、とどめを刺すようにと声をかけてくれた人もいる。

 パーティに誘ってくれた人がいるからと言って、引き下がること無く問いかけると渋々と母親が頷いた。


 入れるわよと言葉を続けた母親がただし、と言葉を付け加える。

 ヒビキの手にしている通行許可証を使うと、3人まで一緒に階層を移動することが出来るの。ヒナミちゃんと私も連れていきなさい。約束よと言葉を続けた母親から、すぐにパーティに誘われてヒナミと母親とパーティを組み、ドワーフの塔に足を踏み入れた。


 2階層には580レベルのトロールを難なく倒した冒険者達が揃っていたから負傷者と言っても、たいした傷ではないだろうと勝手に予想していた。

 だから、2階層に足を踏み入れて中の状況を確認したときには本当に驚いた。

 黒いローブを身に付けている魔術師達は、980レベルのトロールの攻撃を受けて傷だらけ。

 頬や額から血を流している。

 彼らに回復魔法を施す者達は、傷付いた仲間達に回復魔法を施すことで精一杯。トロールを相手にしているだけの余裕はなくて、次から次へと怪我人が現れるため回復魔法を連続で発動する。

 魔力が枯渇するのが先か、それともレベル980のトロールを倒すのが先か。

 周囲を見渡してみると、魔術師達だけではない。

 所々に人が倒れていた。

 980レベルのトロールの攻撃の直撃を受けて力無く壁に腰を預けて、もたれ掛かっている魔術師達のフードが取り外され、その容姿が露になっている。


 耳掛をしている長い前髪は、きっと胸元まで長さがあるだろう。

 腰まである長いストレートの髪の毛を後ろに一纏めにしている艶やかな雰囲気を醸し出す女性。

 ストレートの黒い髪の毛が印象的な知的そうな男性は、腹部に激しい攻撃を受けて地べたに力無く座り込んでいる。

 立派な髭を生やしているお爺さんはトロールの攻撃を受けて全身切り傷だらけ。

 あっと言う間にやられてしまったのだと言う。

 気づいた時には数メートル先まで弾き飛ばされており、圧倒的なトロールの強さを目の当たりにしてフォッフォッと笑い声をあげている。

 ピンクの髪色をした幼い少女は今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。

 4名の魔術師達が力無く地面に腰を下ろして、仲間達から回復術を受けていた。 

 想像していたよりも怪我人が多い。


 状況を確認するために周囲を見渡していると、隣に佇んでいるヒナミがクスクスと笑いだす。危機的な状況の中で笑顔を見せるヒナミに驚いて視線を向ける。

「侵入者って言われちゃってるね」

 真面目な顔をするヒビキに向かってヒナミは苦笑する。


「そうね、侵入者って3回も連呼れんこされちゃったわね」

 ヒナミの母親が先ほどのアナウンスの事を言ってるのだろう。小さく頷くとヒナミの言葉に同意する。

 緊急クエストに途中参加をするヒビキ達3人は侵入者になるようで、トロールの視線がドワーフの塔2階層の出入口に佇む3人に向けられる。


 2階層にいる冒険者達のパーティに組み込まれたヒビキ達は、トロールに攻撃をする事を許される。

 他の冒険者と違う点は侵入者として扱われているため、トロールが侵入者を排除しようと優先的にヒビキ達を襲ってくること。

「トロールの行動が予測つかないわね。2人とも気を付けるのよ」

 高々と木の棒を振り上げて勢い良く走るトロールの足元は覚束ない。

 攻撃する直前に武器を振り上げれば良いのに、助走をつける段階で武器を振り上げてしまったものだから上手に身体のバランスを取ることが出来ずにいる。

 圧倒的な強さを見せるトロールの間の抜けた行動を呆然と眺めていたヒナミの母親が真顔で呟いた。


「ヒナミちゃん、一番先に傷を治さないと駄目なのは誰?」

「えっと、あの人。二人係でも回復が全然間に合ってないよ」

 回復魔法の使い手であるヒナミの母親は回復役を担当する。

 母親からの問いかけに対してヒナミは、優先的に回復魔法を掛けなければならない人物を指差した。

 母親がヒナミの指差した方向に視線を向ける。

 同じくヒナミの母親に続いて、ヒナミの指先を目で追ったヒビキの視界に、先ほどまで一緒にパーティを組み狩りを行っていた人物。リンスールが血だらとなって横たわっている姿が入り込む。


 リンスールの身に付けている白い服が赤く染まっている。

 内臓が傷ついているのか時折、激しく咳き込み血を吐き出している。

「回復が間に合ってないよ。心の色が薄くなっているよ」

 リンスールを指差して言葉を続けたヒナミは不安げな表情を浮かべている。

「危険な状態ね。行ってくるわね」

 ヒナミの言う心の色が薄くなってきていると言うのは、瀕死の状態を表している。

 リンスールの元へ視線を移し、素早く身を翻すとヒナミの母親は急いで駆け出した。


 980レベルのトロールは一つ一つの動作が早く、目で追うので精一杯。

 狐の面を身に付けて来て良かったとヒビキは安堵する。

 手加減すること無く勢い良く振り下ろされた武器が地面に激突する。

 衝撃で砕けた木の破片はへんが勢いよく飛び散った。

 980と高レベルのトロールは加減というものを知らないのか、自分で考えていたよりも武器を振り下ろした勢いが強すぎて見事に姿勢を崩してしまった。

 床に深々と突き刺さった木の棒を、あんぐりと口を開き眺めるトロールは右腕を前方に伸ばしたままの状態で前のめりとなる。

 木の棒に重心を移動することにより、何とか盛大に転ぶことは避けたけれども何とも不格好な体勢である。

 大きく傾いたままのトロールを横目にヒビキは、透かさず走り出す。

 トロールがバランスを立て直す前に急いで攻撃を与えなければならない。

 まさか、このタイミングでトロールが単純なミスをするとは思ってもいなかったから、攻撃に入るのが遅くなってしまった。


 狐の面をつけているため身軽になった体で地を蹴り、トロールの腕に飛び移ると全速力で走り出す。

 深呼吸をすると共に呼吸を整える。

 剣舞と頭の中で唱えると、差し出した右手の平に添うようにして赤い炎に包まれた剣が現れる。

 剣をしっかりと握りしめてトロールの腕から肩に移動。

 剣を大きく振りかぶった。


 ただ単に剣を振り下ろすだけでは、トロールの硬い皮膚に刃を阻まれてしまって攻撃を通すことが出来ないかもしれない。

 念のため勢いをつけて振り下ろした剣に体重を乗せる。

 トロールの首めがけて振り下ろした攻撃は、あと一歩のところで避けられてしまう。

 反射的に伸ばした左手で、ヒビキの体を掴もうとしたトロールを寸前のところで避ける事に成功する。

 剣でトロールの腕を払うと、反動で大きく足を引いたトロールの顔面を踏みつける。

 トロールの額を足場にして空中で後方宙返りをする。

 トロールの攻撃を避けることは出来ても攻撃を当てることが出来ない。

 右下から左上へ剣を勢い良く振り上げてみるものの、トロールの死角からの攻撃は寸前で避けられてしまう。


 連続して攻撃を与えようと剣を振るうけれど、巨体を持つトロールは小躍りをするようにしてヒビキの振り下ろした剣を全て避けてしまう。

 右へ左へ体を動かして、後退することにより全ての攻撃を避けられてしまった。

 どうしたものかと考えていると、背後で地面に何か硬い物体が打ち付けられるような音が2階層全体に響き渡る。


「お兄ちゃん! 避けて!」

 ヒナミの叫び声に何事かと驚き、状況を確認する間も無くトロールの肩を強く蹴りつけ頭に飛び移る。


「もっと、高いとこに逃げて!」

 再び聞こえたヒナミの叫び声に素早く反応、まだ高さが足りないのかと驚きつつも、トロールの頭を強く蹴りつけ空中へ高く飛び上がる。

 勢いをつけて空中で後方に宙返りをすると、トロールが逃げるヒビキを捕らえようと手を伸ばす。

 目の前に迫ったトロールの手がヒビキの足首に触れようとした。

 足首を捕まれると思い身構えたヒビキの視線の先で、何かに引っ張られるようにして身動きを止めたトロールの手が、ヒビキの靴をかすめる。

 後方へ宙返りを行って、体を捻り地面に着地をするとトロールの動きを制するものの正体が分かる。


 牛頭人身の怪物ミノタウロス。

 2階層に召喚されたミノタウロスが、トロールの腕を掴む事により身動きを封じていた。


「ヒナミが召喚したのか?」

 勢いよく背後を振り向いて声をかけると、ヒナミは嬉しそうに笑顔を見せる。

「うん。私の使い魔だよ!」

 ミノタウロスを召喚するために、全ての魔力を消費したヒナミは疲労感に苛まれているはずなのに、それを表情には表すこと無く笑顔を浮かべたまま大きく頷いた。

 大きな斧を持つミノタウロスがトロールの腕を力任せに引き寄せる。

 強引に腕を引かれることにより姿勢を崩したトロールに向けて巨大な斧を振り下ろす。


「凄いな。強すぎる」

 ミノタウロスは、たった一撃でトロールのヒットポイントを残り僅かにしてしまった。

 ミノタウロスの攻撃力を間近で見ていたヒビキが、ぽつりと言葉を漏らす。

「私のミノタウロスは強いでしょう! お兄ちゃんがトロールの足止めをしてくれたから召喚することが出来たんだよ!」

 ヒナミが頬を朱色に染めて微笑んだ。


 周囲で負傷した冒険者達がトロールとミノタウロスの戦いを心配そうに見守っている。

 もしも、ミノタウロスが負けてしまったら2階層にいる冒険者は全滅するだろう。

 負けは死を意味するため不安が頭の中を過る中、祈るような気持ちでミノタウロスを応援する。


 ヒットポイントゲージが残り僅かとなって、激しく動き回るトロールを目で追うことがやっとの状況。

 中にはトロールとミノタウロスの動きが早すぎて、全く目で追うことの出来ていない者もいた。


「あと一撃だね」

 トロールのヒットポイントゲージが残り僅かとなっていることを口にして、ヒビキに視線を移すヒナミは不安そうに眉尻を下げる。

 あと一撃でトロールを倒すことが出来る。

 しかし、あと一撃が決まらない。

 少し間の抜けた性格であるとは言え、自ら考える力を持つトロールがターゲットを変更する。

 ミノタウロスからミノタウロスを召喚したヒナミに攻撃対象を移す事により、危機的な状況を乗り越えようと考えた。



 ぐぉおおおお!


 ドワーフの塔2階層が揺れる程の大きな雄叫びをあげて気合いを入れ、力任せにミノタウロスの体を突き飛ばしたトロールが間髪を入れること無く前屈みの姿勢をとる。

 地面を強く踏み込むと、トロールの踏み込む力を支えきることの出来なかった地面が何とも奇妙な音を立てて砕かれる。

 砕けた地面の事など気にも留めること無く、狙いを定めたターゲットへ向けて一直線に移動する。

 トロールの素早い動きに全く反応をする事の出来なかった冒険者達が、いきなり視界から消えたトロールを探して周囲を見渡した。

 あっと思ったときにはトロールの巨体はミノタウロスの召喚主であるヒナミの目の前に迫っていた。

「ヒナミちゃん!」

 母親が大声で狙われた娘の名前を呼ぶ。

 剣を振り上げてトロールを狙うけど、咄嗟に振り下ろした剣は上手いこと狙いを定めることが出来ずに、簡単に避けられてしまう。

 剣では重すぎる。

 咄嗟に武器の出現を頭の中で唱えると、ヒビキの差し出した右手の平に添うようにして青い炎に包まれた刀が現れる。

 青色の炎が揺らめく刀を握りしめて構えをとった所で、ヒナミに向かってトロールが拳を振り下ろしてしまった。


 ヒナミの母親の悲鳴が上がる。

 トロールの拳が衝突した事により出た音なのか、それともトロールが強く踏み込んだ事により地面が砕かれた音なのか分からない程、強い衝撃音と共に地面が大きく揺れ動く。

 

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