第15話 努力の理由

 学校での一悶着の後。

 エリーヌは時間まで勉強会を行い、今日あったことについての反省の言葉と、同じ轍は踏まないようにという忠告をして、お開きとなった。

 今日は時間をずらして、クロエとは別の時間に帰宅。手間賃を御者に払って、時折こうして別々に帰っている。


「なんでこう、会わないように意識してるときに限って、こういうことが起こるんだよ」


 エリーヌの部屋にやってきて早々、クロエはそう言って項垂れた。

 学校での自信あふれた態度とは打って変わって、疲れた様子だ。


「でも貴女、うまく立ち回れていると思うわよ。今回だって、何も問題無かったでしょう」

「まあ、な」


 あくまで華月会との接触であって、エリーヌと深く関わったわけではない。

 今のところ、事情が洩れそうな場面は特にない。


「そもそも今まで接触が少なすぎたのよ。こうして私たちが大々的に首席争いを始めた以上、今後もこういう機会は増えていくでしょうね」


 最高学年となった今年まで、エリーヌとクロエは成績上位者で、次の派閥代表候補同士という関係だった。

 それまではあくまで上級生の後ろについて行くだけで、二人が関わり合うことはほとんどなかった。

 こうして本格的に代表どうしで敵対することになったからこそ、二人が学内でぶつかり合うことが増えたのだ。


「まったくあいつら、妙な喧嘩売りやがって」

「中等生でしょう? あの子たち。まだ、機微を窺えるほど、察しが良いわけではないでしょうから」


 今回の件、アンリエットが指摘した通り、クロエが嗾けたと疑われる可能性があった。

 もしそういう噂が広まれば、清廉潔白を重んじるクロエの評価は下がるだろう。

 彼女たちは彼女たちなりに派閥争いに参加しようと思ったのだろうが、正直無謀だと言う他ない。


「それよりも、よく騒ぎに気が付いたわね。場所が場所だから、積極的には近づかないでしょう、貴女達」


 アンナが言った通り、下手な争いは風紀会としても華月会としても避けたいところ。

 まだ今年度が始まって、お互いの実力を掴みかねている今は、なるべく接触しないようにするはずだ。


「私たちの集会場所から、人が集まってるのが見えたからな。風紀会として動かざるを得なかった」


 彼女はそう言って溜息を吐いた。

 そこにエリーヌが居るということは容易に想像できたであろう。

 個人的には近づきたくなかったのだろうが、集団のリーダーとしてはそう判断せざるを得ない。


「でも、助かったわ。わたくしの言葉では、どうにも収まりそうになかったから」


 今回エリーヌは、自分が発言することによって、より争いを激化させてしまった。

 クロエが来ていなかったら、もっと困っていただろう。


「……派閥争いは煩わしいんだろ。それにお前は周りが思っているより、平民派閥こっちの事を考えてるのは知ってる」


 考えている、というのは、気遣っているという意味合いだろう。

 こうして同じ場所で過ごしているうち、エリーヌが学校で噂されているような人物でないと、理解してくれたのだろう。


「私だって、狡い真似して勝ちたいとは思ってない。折角なら正々堂々勝負したい」

「まあ」


 その発言を聞いて、エリーヌは悪戯っぽく笑った。


「さすがは、わたくしの忠犬ね」

「……」


 エリーヌの言葉に、クロエは紅茶を口に運ぶ手を止めた。


「お前が動物好きってのは分かったけどな。いい加減私の事を犬扱いするのやめろ。そういうところが気に食わないんだよ」


 彼女はティーカップを置いて、顔を引き攣らせながらそう言った。


「大体、私のどこが犬なんだ」

「そうねぇ。そうやって、ちょっとからかうと噛みついてくるところとか、案外素直なところとかかしら」

「……」


 そのことに対して反論が出ないのもまた、らしいなとエリーヌは思った。


「ふふふ。でも、助力には対価を払わないといけないわね。はい、わたくしのクッキーを一枚あげる」

「足んねぇよ、全部寄こせ」


 徒に戯れながら、日の長くなった夕を過ごした。





***





「――そう、そこ。解答は授業内で、やんわりと先生が触れているから」

「へー、なるほどな。じゃあ、ここを覚えておいて、自分の言葉に直したら良いってことか」


 閑談をして過ごしたのち、二人は以前に話し合った通り、勉強を教え合った。

 サロンの勉強会とは違う、上位二名の高度な勉強会だ。

 クロエの教え方はぎこちなかったが、おかげで今回のテスト範囲においての苦手を克服するに至った。


 気が付くと日は落ちていて、辺りは暗くなっていた。

 いつの間にか、部屋にはカンテラと蝋燭の明かりが灯されていた。


「貴女の記憶力がとても優れていることは知っていたけれど、算術も得意なのね」


 エリーヌはクロエに教えてもらって理解することができた計算式を見てそう言った。


「算術は小さい頃から教わってるからな。国営学の次に得意」

「誰に教わったの?」


 小さい頃とわざわざ言うということは、学校の類ではないのだろう。


「鉱山で働いてるおじさん。元はどこぞで経理の仕事をしてたらしい」


 クロエが元居た山麓地域というのは、学園とエリーヌの屋敷がある『ステイム領』、そこから少し離れた所にある。

 そこには鉱山があり、抗夫が働いている。

 抗夫というのは、厳しい仕事だ。平民にも満たない隷属民や、時には訳あって王都や貴族領から追い出された者たちが、流れ着く就く職である。

 言うまでもなく、そこに住んでいるのは大抵そう言った、身分を剥奪された者達だ。それ故に、山麓地域は貧しい場所であると知られている。

 クロエに算術を教えたのは、恐らく王都で知ってはいけないことを知ってしまった、学のある人間というところだろう。


「貴女も鉱山に踏み入ったことがあるの?」

「いや。抗夫たちが集まる休憩所みたいなところに、私は預けられてたんだよ。そこで教えてもらった」


 それはいったいどういう状況なのか。分からないエリーヌが首を傾げると、クロエは言葉をつづけた。


「夜、母さんが仕事に行っている間、私は一人だったからな。抗夫のおじさんたちに面倒を見てもらってたんだ。母さんはあそこじゃ有名だったし」

「お母様は、何のお仕事をされてたの?」

「あれ、言ってなかったか?」


 クロエは書き記す手を止めて頭を掻いた。


「母さんは、ほら。鉱山付近に商談をしに来るような貴族とか商人とか、そういう人たちを接待する……まあ、娼婦みたいなもんだな」


 彼女は言葉を選ぼうとしていたが、最終的にはそう言って結論付けた。

 エリーヌの知らない話だった。


「娼婦みたいなもんっていうか、娼婦だな。結局私も、そういう経緯で生まれてきたわけだし。だから父親が誰かも分かんねぇ」


 クロエから父親の存在がうかがえないのは、聞くまでもなく分かること。なので、今まで聞いていなかった。

 エリーヌの知らない話ではあるが、想像はできることだ。なぜ子供を持っている彼女の母親が、エリーヌの父に召し抱えられたのか。


「まあ……知らなかったわ」

「奥様は知ってるみたいだったけど、お前は聞いてなかったのか」


 彼女の言う奥様というのは、エリーヌの母、ジュリエンヌのことだ。

 彼女が知っていたのは、恐らく父から話を聞いたからだろう。


「……引いたか?」


 言葉を探しているエリーヌを見て、クロエが神妙な面持ちでそう聞いてきた。


「いいえ、まさか」


 驚きはしたが、それで蔑むような性格ではない。

 自分はその背景を知らないし、何よりクロエを悪く言うことはできない。

 ただ、彼女の生い立ちが易々としたものではないことが垣間見えた。


「……母さんは私に、同じ仕事を絶対させたくないみたいだったからな。おじさんたちに私を預けて、夜頑張って仕事をして、私を養ってた」


 きっとクロエにとって、モニカはいい母親なのだろう。

 だからいつも、彼女の事を慮っている。

 娼婦であろうと、彼女が良い人間であるならば関係ないとエリーヌは思う。


「だから勉強して、働いて、母さんを……」


 彼女の言葉は最後まで紡がれなかった。

 顔を隠すように頬杖をついて、彼女は再び国語の問題と向かい合った。

 その陰の落ちた表情は、胸をチクリと刺すものがある。


「……素敵ね。頑張る貴女に負けないようにしないと」


 彼女に弱気になってほしくはない。言葉の先を有ったものにして、エリーヌはわざとそう言った。


 テストの日は近づいている。

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