第9話 喧嘩は掌の上で

 クロエたちが動き始めた頃。

 華月会ではエリーヌの案――もとい作戦が披露されていた。


「……その条件でしたら、よいと思います。他の派閥の方々も、了承してくださるでしょう」


 エリーヌの案を聞いたベネディクトが、真っ先に肯定した。


「わたくしもよいと思います。鳥蝶会の方々は、それでも納得しないかもしれませんが、湖白会の方々が積極的に肯定してくださるでしょうし」

「確かに。そうすれば、鳥蝶会の方々も強くは出られませんからね」


 ベネディクトの言葉に続き、フロランス、マリアンヌが肯定の言葉を述べ、周囲も納得したように明るく騒めいた。


「一度、彼女たちに了承を取るとして、話し合いの日時を――」

「おーい」


 ベネディクトが次に決めるべきことに話を変えたところで、少し遠くから涼やかではっきりとした声が響いて来た。


(ジャストタイミングね)


 エリーヌは驚いた顔を張り付けて、その声の主を見た。


「例の件について、話し合いに来た」


 やってきたのはもちろんクロエ。

 彼女は数名の風紀会メンバーを連れて、華月会が集まっている庭園へとやって来た。


「取り込み中です。話し合いは、日時を定めてから」

「今からそれを決めるところだったんだろ。なら、話し合いに必要なことはもうお前らの中で話し合ったってことだよな」


 クロエの言葉に、ベネディクトは眉を顰める。

 他の華月会の面々は、敵を睨むようにクロエたちを見ている。


「ええ、そうね。わたくしは構わないわ。こちらへ座ってどうぞ」

「エリーヌ様……!」


 クロエの流れに乗るエリーヌを、ベネディクトが心配そうに見る。

 エリーヌはそんな視線を受けて、自信を含んだ笑みを浮かべた。


 クロエも、エリーヌも、自分自身のサロンでの信頼は厚い。

 彼女達ならばどうにかしてくれるだろうという信頼。

 その信頼をきちんと理解している彼女たちの、喧嘩シナリオが動く。


「話は分かってるよな。交流会の会場についてだ」


 クロエはエリーヌの対面の席について、そう切り出した。


「ええ。こちらの交流会と、貴女達の交流会、希望している会場が重なっているという話ね」

「ああ」


 エリーヌの背後にはベネディクト、クロエの背後にはアンナが、忠臣のように付き従っている。

 そして、その二人の会話を、華月会と風紀会の他の面々が野次馬のように見ている。

 此処での話し合いは、彼女たちに対する仲間の心証を左右する。


「今回私たちは、自分たちのサロンを含めた9つのサロンで交流会を行おうと思っている」

「まあ。随分と大所帯ね」


 二度知る機会があった情報。エリーヌはあからさまに驚いた様子を見せた。


「その人数を管理するのは、些か大変では? 交流会では、交流する全ての人に楽しんでもらう必要があるでしょう」


 エリーヌ、ひいては大抵の貴族子女は、文句の言葉をそのまま吐くことはしない。

 彼女は婉曲に、『数を減らせ』と宣ったのだ。


「選んで断るわけにもいかねぇだろ。それに、その人数でも楽しめるような企画を考えてる」


 事前に予測されている彼女達の言い分。それに対抗する言葉を、クロエが思い浮かべていないわけがない。

 彼女が風紀会筆頭である以上、こういった言い争いにおいて、論理的な言葉を的確に述べるのは彼女の仕事である。

 そしてその立ち回りが上手いからこそ、彼女が筆頭なのである。


「それは素晴らしいわ。わたくしたちも、3つのサロン合同で、茶会を開こうという企画を考えています」


 まずはエリーヌのターン。


「なので、教場の固定された席ではなく、円卓状にも動かすことのできる静謐学習館の席が望ましいという、予てからの希望があるのです」


 華月会の話し合いでは挙がっていない、エリーヌのアドリブ。

 実際はアドリブではないのだが、彼女の言葉に、華月会の他のメンバーは称賛の視線を送って来る。


「貴女方は大人数ということですが、具体的にはどれほどの人数を?」

「200人ほど。私たちが静謐学習館を望む理由は、もう分かるよな?」


 クロエは一瞬ニヤリと笑みを浮かべ、その脚を組んだ。


「交流会の会場として開放されているうち、広い会場は三つ。広い順から静謐学習館、北教場、南教場だ」


 彼女はポケットから、生徒手帳を取り出し、ぱらぱらと捲った。

 彼女はそんな手帳のあるページを開き、机に置く。


「ここには、各教室の収容人数が書かれてる。北教場は150人、南教場は180人が定員」


 生徒手帳には証明書の他に、学園で定められている『学園掟』を含んだ、学校についての様々な説明などが載っている。

 風紀活動をしている彼女たちの、必須アイテム。

 今開かれているページには、学校設備の案内が書かれている。


「そして、中等部高等部隔たり無く、すべての学年が使用できる静謐図書館の収容人数は、300人だ」


 彼女の示す通り、そこには学習館に入れる定員が明記されている。


「私たちの交流会はまず間違いなく200人を超える。そうなれば、適する会場は静謐学習館のみだ」


 クロエはそう言って、鋭い視線をエリーヌに送る。

 その視線を受けても、エリーヌは涼しい顔のまま。


「あんたたちは、静謐学習館じゃなくても活動できるだろ? 大方、静謐学習館が一番最新で小綺麗だから所望した、ってとこか」


 クロエの挑発的な言葉に、華月会の一部のメンバーは顔を顰める。

 だが、図星なのが事実だ。


「先程も申した通り、会場を自由に動かすことができるという点が理由です。それが、『予てから』の希望であると」

「どっちが先に希望届を出したかなんて分からないだろ。そっちはそれ以外に合理的な理由はないのか?」

「学習館の広いスペースは、草花の鑑賞にも使用できますので、そう言った点でも」


 エリーヌの言葉に、間髪入れずにクロエが反論する。

 拮抗した状態に、周囲は再び騒めいた。


「……これでは、押し問答になるばかりですね」


 エリーヌの言葉に、周囲は収まる。


「一つ、提案があります」

「なんだ?」


 エリーヌの言葉に、皆耳を傾けた。


「今回、貴女達は大人数ということもあり、他の場所を使用するという手段はとれません。ですが、わたくしたちならばとれる」

「さっきからそう言っているだろ」


 エリーヌ達にもれっきとした理由があるが、それは譲歩することができる。

 しかし、クロエたちはそれができない以上、意見を押し通すしかない。


「ですので、わたくし達は貴女方に、学習館を譲りましょう」


 エリーヌの言葉に、主に風紀会の面々が騒めいた。


「そりゃ、どういう風の吹き回しで?」

「条件があります」


 エリーヌは人差し指を立てた。


「サロン交流会は、今回限りではありません。今年度中に何度かあります。『今回』は貴女方に譲りますので、『次回』は貴女方が譲ってくださらないでしょうか?」


 彼女が提案したのは、折衷案。

 今回風紀会に会場を譲る代わりに、次回は自分たちの希望する会場を譲れ、という折衷案だ。


「ふーん、なるほど」


 クロエは考える素振りをする。

 他の風紀会の面々は、彼女の背後で話し合っている。


 喧嘩の仲裁としては在り来たりだが、これを提案したのは第三者ではない。

 提案したのは華月会であり、彼女たちは『譲ってやった』というポジションを確立することになる。

 要は、貸しを作るのだ。


 それに気づかないクロエではない。

 彼女がそれについて指摘すれば、また押し問答が始まる。

 そうなれば、結果的に無条件でクロエたちに譲らないといけないかもしれないが、しかし。


「わかった、それでいい」


 彼女はエリーヌの『忠犬』である。


「まあ、ありがとうございます」


 華月会からは安堵の空気が、風紀会からは『まあいっか』という空気が流れる。


「貴女方が約束を反故にするとは考えていませんが、他のサロンの方々に証明するためにも、簡単な誓約書を書いて下さる?」

「はいはい」


 斯くして些細な言い争いは収まり、煩わしい派閥争いの火種は一つ消し去ることができた。

 クロエとの協力関係がなければ、今も言い争っていたことだろう。


 エリーヌが誓約書の文言を書き、代表としてサインをする。

 そしてそこに、クロエの署名を加える。


「はい」


 エリーヌはペンと紙をクロエに渡す。

 クロエは文言が、自分たちにとって何か不都合なことが書かれていないかどうかを確認しているようだった。


「……」


 周囲は各々誰かと話し、蚊帳の外。

 エリーヌはふと思いつき、机の脚を避けて、足を延ばす。

 そして、『よくやった』と言わんばかりに、つま先でクロエの足に触れた。


「……」


 クロエに反応はない。

 が、足をすぐさま後ろに下げ、サインをする手が止まったのをエリーヌは見逃さなかった。


(面白いこと)


 周囲には決して明かすことのできない協力関係が水面下で動く。

 変わり映えのない日常生活が可笑しくて、楽しいと感じるのだった。

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