第10話 三つ巴
あれから時は過ぎて数日後。
本日の授業は午前中で終わり、サロン交流会が開かれた。
約束通り、貴族派閥の交流会は平民派閥の交流会に静謐学習館を譲り、別の教室で交流会は開かれた。
机を自由に動かすことのできる教室は学習館の他になかったため、茶会を立食パーティーのような形に変更。
従来からそういう形だったので、そのことに対して文句を言う者はいなかった。
しかし、会場を譲った件に関してはやはり不満の声が上がった。
予想通り、強く非難してきたのは鳥蝶会の者達だが、誓約書を見せることで納得をしてもらった。
この誓約書が今後何かの諍いを起こす可能性はあるが、それは今考えることではない。
兎にも角にも、交流会が始まった。
「茶会交流の会場はこちらになります」
花やクロス、絨毯などで飾りつけされた教室。
机には湖白会が用意した軽食。他の机には鳥蝶会が選りすぐった茶葉が並べられている。
「エリーヌさん」
交流会が始まり、エリーヌが紅茶を選んでいると、彼女に二人の人物が近づいて来た。
「こんにちは。イヴェットさん、クリステルさん」
彼女たちは、今回の交流会に参加しているサロンの代表二人だ。
代表同士互いにお辞儀をして、紅茶を手に取った。
「この度は会場の準備をしていただき、誠にありがとうございます」
そう言って礼を述べるのは、鳥蝶会代表、イヴェット・カモミラ・アズナヴール。
アズナヴール公爵家の息女で、家長である彼女の父は財務大臣。由緒正しい貴族家だ。
「いえ、こちらこそ。茶会に使用する物品の用意、誠にありがとうございます。会場選びの際には、大変ご迷惑をおかけしました」
エリーヌは眉を八の字にし、申し訳なさそうにそう言った。
「そんなことはありません。譲り合いの精神を持つことは、大切なことですからね」
物腰柔らかにそう述べるのは、クリステル・アルメリア・フォートレル。
フォートレル伯爵家の息女で、この国の医術の根幹を担う一族だ。
貴族三代派閥の代表がここに揃った。
今後争う可能性が大いに高い彼女たちは、今回のサロン交流会では、同じ『貴族派閥』として手を組んでいる。
平民派閥と、そして他の貴族サロンの者達とは一線を画しているとアピールをするためだ。
そんな彼女たちのサロンを簡単に言い表すなら、華月会、鳥蝶会、湖白会の順に、『実力派』『権力派』『調和派』だ。
「希望が通らなかったのは残念ですが……誓約書まで用意していただいては、何も言えませんわ」
そう言うイヴェットの目は笑っていない。
彼女が率いる鳥蝶会は、以前に話題に上がったように、身分差についてかなり厳格なことで有名だ。
階級が下の者は、上の者を敬って当然。平民が貴族に対し従うのは当たり前。そういう思想を持った者たちが集まっている。
厳格と言えば聞こえはいいが、その厳しさや差別意識は過激派と言っても差し支えない。
エリーヌ達も、平民に対し厳格なところはあるが、鳥蝶会はそれを凌駕している。
「ところでその誓約書に、わたくしたちの名前を付け加えていただくことは可能なのでしょうか?」
口元に笑みを浮かべ、目を細めてそう言うイヴェットに、エリーヌは頷いた。
「はい。元よりこの誓約は、この3サロンについて譲るようにという条件ですので。後ほど同書をお渡しします」
クロエには、3つの誓約書にサインをしてもらった。
華月会のみに譲るという条件では意味がない。
「まあ。ありがとうございます」
これを確認するために、わざわざイヴェットは『付け加えて』などと言ったのだろう。
抜かりのないことである。
「わたくし共も、いただいてよろしいのですか? 風紀会の方々は、それで了承されたのでしょうか」
イヴェットとは打って変わり、風紀会の事を慮るような発言をしたのはクリステル。
その相反する性格通り、彼女達『調和派』の湖白会は、穏健・穏和を掲げている。
平民派閥、ひいては下級貴族などにも積極的に柔和。
成績、階級ともに中位の者たちが集まっており、平民からも比較的人気のサロンだ。
「はい。彼女達にはきちんと、誓約書の内容を確認していただいた上で、サインをいただきましたので」
彼女たちはよく言えば『寛容』だが、悪く言えば『甘い』。
エリーヌは平民派閥との派閥争いをなるべく避けたいとクロエに言ったが、あくまでそれを水面下で且つ無理のない範囲で行っている。
彼女たちは、互いに手を取り合おうと思想を並べ、それを地で行こうとする者たちだ。
「誓約書があろうとなかろうと、我々が彼女たちに譲ったという事実は覆りませんわ。その説得力を増すための誓約書ですから、受け取っておいた方がいいですわよ?」
「譲り合うのならば、堅く証拠を突き付け合わなくても」
二人のすれ違う会話に、エリーヌは口角が重くなるのを感じた。
腹を探り、表情を窺い、言葉を選ぶ。
貴族に生まれたのなら、どうしても通らなけらばならない道。
クロエたち平民派閥と争うのとは違う。何の面白味もない試練だ。
「口約束を履行するのも、それを証明するのも難しいですわ。今後諍いを起こさないためにも、誓約書はぜひ受け取ってください」
彼女たちの仲裁をしつつ、自分たちの立場を危ぶまない言葉を、エリーヌは選ぶのだった。
***
エリーヌ達は茶会をしながら、教師についての話や、成績の取りやすい授業についてなどを話しつつ、探り合いを含ませた。
時は過ぎ、閉門前の鐘が鳴るころには、すべての交流会が片づけを終え、ほとんどの人間が帰路につこうとしていた。
エリーヌはいつものようにベネディクトに別れを告げて、馬車に乗る。
クロエと合流し、今日あったことを簡単に話しながら、屋敷に帰った。
「じゃあ結局、誓約書で上手く片付いたんだな」
今日はクロエの部屋に集まった。
エリーヌは交流会で茶会をしたので、帰宅後の紅茶は遠慮し、クロエにだけ用意してもらった。
「ええ。イヴェット嬢はやはり不満そうだったけれど、なんとか」
交流会を経て、ようやくエリーヌとクロエの計画は果たされたと言っていいだろう。
結局のところ重要なのは、争いを激化させるか否かだ。
「でもおかげで、貴族内部の争いはしばらく鳥蝶会と湖白会でしてくれそうよ。配慮しつつ、蚊帳の外にいることを意識すれば問題ないわ」
今回の交流会では、イヴェットとクリステルの意見が違う場面が多くあった。
その仲裁役で第三者となれる今の状況なら、トップの座は華月会のまましばらく動かないだろう。
「そりゃよかったな」
「貴女達はどう?」
エリーヌの問いに、クロエは肩を竦めた。
「どうもこうもねぇよ。数が多いだけで、去年とさして変わらねぇ」
交流会でやることと言えば、貴族派閥も平民派閥も毎年さして変わらない。
彼女たちも特に変わり映えのない交流会を行ったのだろう。
「気になることと言えば、その『鳥蝶会』に対する訴えが割と多かったってところか」
「でしょうね。特に今年の代表、イヴェット嬢は、過激で有名ですもの」
彼女たちは権力派だ。その煽りは平民派閥の者たちが一番受けているだろう。
「そうなると、『湖白会』は逆に、貴女達にとっても印象の良い派閥では?」
エリーヌの言葉に、クロエは首を振った。
「そうでもねぇよ。あいつらは貴族であることに変わりはないんだ。そんでもって、その立場自体を変えようとは思ってない」
クロエは倒したミルフィーユをフォークで切る。
「半分お為ごかしみたいなもんだ。中には確かに、人格者って言われるような人間もいるけどな」
「そうでしょうね」
クロエの言う人格者というのは、恐らくクリステルのことだろう。
彼女はその思想と性格から代表に選ばれたと言っても過言ではない。風紀会を慮る言葉も嘘ではなかった。
だが、平民に対する気遣いは、人気取りの一部であろう。そうでなければ、調和派として一つの派閥を成して、他人と争ったりはしない。
「まあ、また何か面倒事が起きたら、その時は協力しましょう?」
「とか言いつつ、また『忠犬』とか言ってこき使う気じゃないだろうな」
訝しむクロエの表情に、エリーヌは笑った。
「さて、どうかしら?」
思惑蠢く派閥の裏で、彼女たちが手を取り合っていることは、照らす満月のみぞ知る。
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