第5話 仮面の笑み
休日を終え、学園の一週間は始まった。
サロンという名の徒党を組み、派閥で争うのが日常であると述べたが、実は新体制に入って間もない。
入学式・進学式に咲いていた花がようやく散り、葉ばかりとなった此の頃。
慣れない生活に憂鬱になるこの月は、フロスティア王国では"葉月"と呼ばれている。
「では、皆さん。本日の『経済学』の授業を始めます」
始業の鐘が鳴り響き、教室の壁に埋まっている大きな砂時計がひっくり返る。それと同時に、教師が授業の始まりを宣言した。
「本日扱うのは、交易における他国との取引方法についてです。近年、我が国では――」
教師が教室の壁に置かれた黒板に文字を書き始め、周囲でもペンを滑らせる音が響いてくる。
エリーヌもまた、用意した紙束に字を書く。
授業は単純。教師の話によく耳を傾け、記憶に留め、己の学びとする。
フロスティア大学校では、多種ある学問・授業を自分で選び採り、一日五枠ある時間割を自分で作成する。
無論必ず採らなければならない授業もあるが、その他は時間ごとに受けたい授業を選択する。
例えば、今エリーヌが受けているのは『経済学』。他にも、算術学、魔法学、薬草学、等々。
授業によってもランクがあり、『算術学Ⅰ』をとれば、『算術学Ⅱ』をとることができる。
そうして一つの学問を究めていくと、研究者になるための試験資格を得ることができる。
「――ということもあり、現在では物品のみの交易ではなく、技術的輸出も拡大して、従来の取引制度では未熟であると言わざるを得ません」
フロスティアではそうして育ててきた研究者により、近年技術力が格段に上がっている――とは教師陣の談だ。
中等部で三年、高等部で三年。
或る一つの学問を究め研究者になる者の他にも、学園を出ることで自分の進路が広がることは言わずもがな。
学園に入学するための試験は大した難易度ではない。
定員はあるものの、身分問わず多くの学生が集まる理由はそこにある。
「……して、……であり――」
淡々と話す教師の話を耳に入れつつ、エリーヌは斜め左、数段下の席に座っている人物に目を向ける。
真っ直ぐと黒板と教師を見つめ、真剣に授業を受けているクロエの姿だ。
昼が始まる前の三限目の授業。只今に至るまで、学園に来てから彼女とは言葉どころか視線すら交わしていない。
ようやく同じ授業を受け、彼女の姿を初めて見た。
(特に変わりはないようね)
クロエの隣には、彼女がいつも連れ歩いている友人が座っている。
今見る限りでは、彼女に別段変化はなさそうである。
エリーヌは視線を戻して、授業に集中した。
***
大きな砂時計の砂が、全て落ち切ると同時に、終業の鐘が鳴り響いた。
「では、本日の授業はここまで。質問等ございましたら、教壇にて伺います」
そう言って教師が手を叩くのを聞き、静まり返っていた教室は騒めき始めた。
エリーヌも身辺を整えて立ち上がる。
「エリーヌ様、本日はカサンドル先生への質問はよろしいのですか?」
エリーヌの隣に座っていた友人がそう声を掛けた。
彼女の名は、ベネディクト・ピエリス・バラデュール。侯爵令嬢で、エリーヌと同学年。
華月会において、いわばエリーヌの腹心である。
「ええ。今日はオリオール姉妹と昼食を共にする約束をしているから、またの機会にするわ」
三限目の次は昼食だ。
昼食は用意されている学食で食べる決まりとなっている。
「失念していました。彼女たちが何かしでかす前に、学食へ向かいましょう」
彼女もまた、成績身分共に申し分ない立場にあるが、その上を行くエリーヌに忠誠を誓っている。
友人であり腹心。エリーヌが学内で一番信用できる人物である。
「……」
エリーヌは友人と話しているクロエを一瞥して、教室を後にする。
そして、ベネディクトと共に、食堂へと向かった。
既に多くの人が集まっており、厨房前の配膳場所では、長蛇の列ができていた。
しかし、エリーヌ達はその長蛇の列には並ばず、その横を通り過ぎてテーブルへと向かった。
「エリーヌ様」
「お待ちしておりました」
彼女たちの席は、すでに用意されている。
四人掛けのテーブルに、今日はもう一つのテーブルをくっつけて八人掛け。
既に配膳まで済ませてあり、あとは席について食事を始めるだけの状態になっている。
「いつもありがとう。アンリエット、フロランス」
席を用意したのは、以前風紀会と言い争いになった際に口火を切った二人。
アンリエット・エリカ・ヴァンタール。高等部二年、伯爵令嬢。
フロランス・アベリア・フィネル。高等部一年、同じく伯爵令嬢。
彼女たちはいつもエリーヌの先に食堂に向かって席を取り、食事の配膳も済ませる。
エリーヌを立てる心が強く、いつも積極的に世話を焼いてくれる二人だ。
それ故に前回のようなことも起こるのだが、あれらは彼女たちの善意である。
「オリオール姉妹は?」
「今、食事を取りに行っているかと」
いつもこの四人の他に、同じサロンの数名を連れて食事をすることが多い。
入れ替わり立ち代わり食事を取り、見聞を広げることに役立てている。
今日は中等部の双子姉妹と食事を取る約束をしている。
「エリーヌさまー!」
「お待たせしましたー」
噂をすれば、双子の姉妹が両手で盆を持ちながら駆けてきた。
「落ち着いて来てください。転んで食事を落としますよ」
『はーい』
ベネディクトに注意され、双子姉妹はまったく同じ反応をした。
ララ・ネペタ・オリオールとサラ・ネペタ・オリオール。中等部二年で男爵令嬢。
ララは一つおさげ髪の勝気な性格で、サラは二つおさげ髪のおとなしい性格。
甘やかされて育ったためか、やや我儘で悪戯好き。その為、何度か問題を起こしている。
「エリーヌ様、紹介したい者がいるのですが、よろしいでしょうか!」
ララが食べ物を机において、彼女たちの後ろに立っていた人物を示した。
「お、お初にお目にかかります、ティファニー・ジニア・ラグランジュと申します」
持っていた盆を置き、一歩前へと出たその少女は、恥ずかし気にスカートをつまんでそう名乗った。
「ティファニー、この方がエリーヌ様です!」
「初めまして。エリーヌ・リクニス・シャントルイユと申します」
エリーヌはいつものように柔和な笑みを浮かべ、同じくスカートの裾をつまんで挨拶をした。
「貴女は、トリスタン子爵卿の御息女ですね」
「は、はい! エリーヌ様のお噂は予予……一度ご挨拶に伺いたいと思っていました」
「まあ、ありがとうございます。せっかくなので、もしよろしければ、一緒にお食事をしませんか?」
エリーヌがそう提案すると、ティファニーは花が咲いたような笑みを見せた。
恐らく、彼女はエリーヌに取り入ってもらおうと近づいて来た者だ。
「よ、よろしいのですか?」
「はい。皆もいいわよね?」
エリーヌに言われて断る者は居ない。
こうして、七人は席に着いた。
***
食事は、親睦を深めるための良い機会。
そんな機会を狙って、ティファニーは近づいて来たのだろう。
父に言われたか、あるいは自ずと近づいて来たのかは分からない。
だが、彼女は入学したての中等部一年。どこかの集団に属する必要がある。
そんな思惑は一度他所に、それぞれ自己紹介を済まし、食事を始める。
「ティファニーさんは、今年御入学されたばかりですよね?」
フロランスがそう聞いた。
「はい。まだ慣れないことも多いので、ララとサラにはよく助けていただいております」
ティファニーにそう言われたオリオール姉妹は、いかにも誇らしげな顔をした。
オリオール家とラグランジュ家は親戚筋に当たるらしい。
彼女たちは子爵家と男爵家で階級差があるが、仲の良い様子だ。
「他に困っていることはありませんか? わたくし共でよければ、何かお手伝いしましょう」
「そんな、恐れ多い……! 今は、特に問題なく過ごせているので、お気持ちだけで!」
「そう? 遠慮なく言ってくださいね」
エリーヌの申し出に、ティファニーは大仰に断った。
「……困っていることはありませんが、斯様にも人の多いところに来るのは初めてで、戸惑うことは多々あります」
ティファニーははにかみながらそう言って、自分の前に置かれた食事を見た。
「学食も、こんなにも質素なのかと、とても驚きました」
学食は、学園で作られて提供されている。
学園には多様な身分の人間が集まるが、学食を貴族たちに合わせて作ることはできない。金がかかる上に、非効率。
平民の間では、学食ほどおいしいものを食べたことがないと言われているが、逆に貴族はこんな質素なものを食べたことがないと言う。
要は、貴族と平民の間を取って作られている。
「エリーヌ様のような方でも、五年間このような料理を食べてきたのですか?」
「それはもちろん。学内に使用人を呼ぶことは禁じられていますから」
「まあ……これも修行なのでしょうか」
確かにエリーヌも初めは戸惑ったが、その理由は深く考えなくてもわかるため、わざわざ口にするほどでもない。
自分が恵まれているということは、言われなくてもよく分かっている。
「ねえ」
口は禍の元というべきか。
ティファニーの言葉を聞いて、一人の少女が声を掛けてきた。
「その発言、食堂で働く調理係に対して失礼よね」
険しい表情でそう言う彼女には見覚えがあった。
風紀会で名の知れた少女――恐らく、クロエといつも共に居る友人の一人。
他の面々もその顔に見覚えがあったのだろう、アンリエット、フロランス、オリオール姉妹があからさまに顔を顰めた。
「『学校職員及び使用人に対する暴力・暴言は、これを固く禁ずる』。学園掟にそう書いてあるわ」
「食事中ですのよ。盗み聞きした挙句に会話に割り込むなど、なんて無礼極まりない」
生徒手帳を取り出し、掟を説く少女に対し、フロランスが噛みつくようにそう言った。
「学食は私たちの健康を考えて作られているの。馬鹿にすることは許されない」
「時と場合を弁えて発言しろと言っているの。私的な会話を指摘する貴女こそ、わたくしたちに対する暴言ではなくて?」
今度はアンリエットが立ち上がってそう言った。
オリオール姉妹は怯えるティファニーを庇うようにして少女を睨んでいる。
(まずい)
エリーヌは心の中で呟いた。
ちょっとした騒ぎになり、周囲の視線を集めている。
そうなれば次に起こることは容易に想像できる。
「おいアンナ、何やってる」
そう言って、アンリエットと向かい合って睨み合う少女の肩を叩いたのは、『風紀会』のリーダー――クロエ。
この場を諫める適任者は、残念ながら彼女しかいない。
「この子が、学食をこんなもの呼ばわりして、それで……」
アンナと呼ばれた少女は、よく来てくれたと言わんばかりに、クロエにそう訴えた。
クロエは説明を受け、彼女と対立していた面々を見る。
その目線が、エリーヌに向けられる。
「確かに、配慮に欠ける言い方だったかもしれません」
エリーヌは目線を受け取る前に立ち上がり、ティファニーの元へ歩いて彼女の肩を持った。
「ですが、彼女はまだ入学したての一年生なのです。掟についても詳しくない故、大目に見てくださらないかしら」
そう言って、影を照らすような柔らかい笑みを浮かべて、
「……っ、あんたも同意するような態度だったじゃない」
「落ち着けアンナ」
負けじと噛みつこうとするアンナを、クロエは抑える。
「確かに、職員に対する暴言はダメだ。でもこいつの言う通り、一年生くらい大目に見てやれ」
彼女がそう言うと、アンナは悔しそうに唇を噛みつつも押し黙った。
「んでもって、本来指摘すべきは先輩だ。そこんところちゃんとしてくれよ、"魔女サマ"」
最後、ニヒルな笑みを浮かべて彼女はそう言い、アンナの手を引いて去って行った。
(そう、それでいい)
エリーヌは笑みを携えたまま、その背中を見送る。
余計な一言を加えて煽るのも、あの飄々とした態度も、学園でよく見る彼女の姿。
あれが彼女の被る仮面。
「食事を続けましょう。あまり遅いと、授業に遅れてしまうから」
「は、はい。ありがとうございます、エリーヌ様」
そして、何事もなかったかのように見せる笑顔が、エリーヌの仮面だ。
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