第4話 花も実も

 聖リリウム女学園及びフロスティア大学校は、週が七日とある内の五日間を登校日としており、一週間の始まりと終わりを休日としている。世の中と何の変りもない運営だ。


 クロエがシャントルイユ家にやってきた昨日は週の終わり。

 日が明けて今日は、週の始まりである。


「おはよう。よく眠れた?」


 日の差し込む爽やかな朝。

 エリーヌは起きて準備を整えて早々、クロエの部屋へと赴き、彼女を訪ねた。


「……」


 ノックの音で起きたばかりなのだろう。

 彼女はベッドの上に座り、寝ぼけ眼でエリーヌを見た。


 学校では決して見ることのできない生活感あふれる姿に、エリーヌは口角が上がるのを感じた。

 流れるままに、カミーユに彼女を着替えさせつつ、窓辺のテーブルに向かい合うように席に着いた。

 家の中での最低限のテーブルマナーを教えるために、食事も部屋に運んできてもらう。


「……ふかふかのベッドで寝ると、背中痛くなんないのな」


 食事をとり始めてようやく目が醒めたのか、クロエはそんなことをぼそりと呟いた。


「今までどうしていたの?」

「ベッドは母さんに譲ってたから、床に適当に布敷いて寝てた」

「それは……背中が痛くなるでしょうね」


 クロエの家は、極めて貧しいと噂では聞いていたが、ベッドを2つ用意できない程とは聞いていない。

 自分の常識を他人の常識に当てはめてはいけないと分かりつつも、驚いてしまう。


「スープも……味がある」


 そう言って、彼女はスプーンを自分の口に運ぶ。

 学園でも教養を学ぶ機会があるので、彼女がテーブルマナーを覚えるのは早かった。

 初めの一口を食べた時の彼女の顔は、なかなかに面白かった。


「……で、寝て起きてようやく気付いたんだけど」


 朝食を食べ終わったクロエは、エリーヌを半眼で見た。


「なんだよ、『忠犬』って」

「あら」


 呆れたような怒ったような表情をするクロエに対し、エリーヌは澄まし顔だ。


「まるで私のこと"飼う"みたいな言い草だな、おい」

「言葉の綾よ。わたくしの前では、牙を抜いてほしいと言ったでしょう?」

「似たようなもんだろ!」


 噛みつくようにそう言ったクロエだが、諦めたように机に頬杖をついた。


「……それで、私はお前に何すればいいんだ」


 エリーヌは顎に手を当て、考えた。


「特に何かしてほしいわけではないの。ただ、互いが互いの事を外に漏らさないように協力がしたいだけで」


 エリーヌは、クロエに首輪をつけたいというわけではない。

 自分を高めるために、彼女が必要というだけだ。


「あとは、そうね。わたくしにとって、派閥争いは煩わしいものだから、その点について協力しませんこと?」


 エリーヌがそう言うと、クロエは腕を組んで怪訝そうな顔をした。


「へぇ。てっきり"魔女"サマは、その辺の争いについて一等敏感だと思ってた」


 あえてクロエがその言葉を強調するのは、エリーヌにその渾名が使われる所以にある。


「噂は噂。巷では、取り巻きを操り教師を操り、と噂されているけれど、そんなことをした覚えはないわ」


 人を惑わし、自由自在に操る。ついでに魔術の授業の成績もよかったので、彼女にはそんな渾名が付いている。


「貴女たち平民派閥は、貴女を代表として問題なく機能してるでしょう? 特に、内部で争っている様子はないから」

「それは……そうだな」


 学園二大派閥は、小集団であるサロンを集めてできたもの。

 平民派閥はその小集団同士で争う様子はない。クロエを首として賛成しており、それを挿げ替えようとする者たちはいない。


 しかし、貴族派閥は違う。

 現在はエリーヌが権力・実力ともに申し分ない故にトップだが、その首を挿げ替えようとする輩は存在する。


「貴族派閥は内部でも、蹴落とし合いがある。噂はその影響ね」

「なるほどな。そりゃ、煩わしい」


 クロエは納得したように、椅子に深くもたれ掛かった。


「んでも、派閥トップの座を譲らねぇってことは、『首席』は欲しいんだな?」

「もちろん」


 エリーヌはクロエの問いを、笑顔で肯定した。


 彼女たちは、学園内で理由もなく争っているわけではない。

 蹴落とし合いをしてまでも、彼女たちが争う理由。

 それが、『首席学士』の称号である。

 

 卒業時、その学年の内で最も輝かしい成績を修めた、たった一人の学生に送られる称号。

 それを与えられた者は、国から職務の推薦をもらうことができる。

 場合によっては政務職に就くこともあり、それは女学園である聖リリウムも例外ではない。

 『女は道具』と言われても反論できぬ世の中、女子学徒が目指す"頂"である。


「でも、わたくしはただ実力で勝負をしたいの。貴女と」


 エリーヌは真っ直ぐとクロエを見据える。


 中等部で三年、高等部で二年。

 計五年間、エリーヌは成績において常に一位を取ってきた。

 その上、上級大臣の娘という地位もある。

 しかし、彼女が首席であることが確実である、とは


 その理由が、クロエの存在である。


「貴女、今までテストの成績、常にわたくしの次だったでしょう?」


 五年の間、クロエはエリーヌに張り付くように、テストの成績が常に二位であった。

 加えて、彼女は教養科目である剣術や魔術においては、エリーヌの上にすら立っている。


「わたくし思うの。もっと貴女が成績評価に集中できる環境があれば、わたくしの事を追い越してしまうだろうって」


 貴族は家庭教師を雇ったりするなどして、勉学の捗る環境を用意することができる。

 しかし、平民はそうではない。家庭教師を雇うことはおろか、稼業の手伝いなどで、まともに勉強できない環境に置かれることすらある。

 そんな場所に置かれてなお、二位の座を譲らないクロエは、相当な才覚の持ち主である。


「だからこそ、派閥争いは穏便に済まし、貴女との成績競争に集中したい」


 それが、自分の実力を高めたいエリーヌの魂胆であった。


「……」


 クロエは真剣な表情で、エリーヌを見る。


「わかった。私としても、派閥争いは穏便に済まして損はないからな」

「うれしいわ」


 こうしてようやく、れっきとした協力関係は結ばれただろう。


「最優先は、貴女と私の関係が洩れないようにすること。学園が終わったら、勉強を教え合うついでに、その日あったことを話しましょう」

「わかった」


 話し合いは大事だ。

 もし二人の間で話に齟齬が生まれることがあれば、暴露に一歩近づく。


「さしあたって、問題なのは登校ね」

「ああ、それな。私にちょっと考えが――」


 協力は結ばれれば早い。

 同じ目的を持った二人は、朝食を終えてから昼食が始まる前まで、今後のことについて話し合った。



――


 

「――取りあえずの心配はこれくらいかしら」

「ああ。学内では、なるべく話す機会は少なくな」


 カミーユが昼食を部屋に持ってきたところで、ようやく話し合いは終了した。


「エリーヌ様。奥様が朝の御挨拶がないと、心配しておられました。昼食後はお顔を出されるようにと」


 配膳するカミーユにそう言われ、エリーヌははっとした表情をした。


「つい話に夢中になってしまったわ」

「奥様にもそう伝えてありますので」


 その会話を聞いて、クロエもまた気まずい表情をした。


「……私も、母さんのところに顔出さないと」

「そうよね。ごめんなさい、気が利かなくって」

「私も忘れてたし、お互い様だろ」


 そう言って、クロエは頬を掻いた。


「……なあ」

「?」


 少しの間をおいてクロエに話しかけられ、エリーヌは話の続きを催促するように首を傾げた。


「お前の母さんと話がしたいんだ。できるか?」


 彼女は真剣な眼差しでそう聞いてきた。

 

「お言葉ですが、クロエ様」


 エリーヌが何か言う前に、カミーユが言葉を発した。


「奥様はこの屋敷の主で、公爵夫人でございます。作法をお教えしますので、それまでは――」

「いや、分かってる。だから話したい」


 カミーユは暗に、昨日のクロエの母の行動は許されないと言っているのだ。

 だが、クロエはそれに屈せずに真剣な眼差しでそう言う。


「構わないわ。わたくしが挨拶をしに行くときに、一緒に伺いましょう」


 微笑んで、エリーヌは了承した。





***



 母ジュリエンヌは、自室にてソファに腰かけながら、家令と話をしているところだった。


「あら、もう仲良くなったの?」


 エリーヌがクロエを連れてやって来たので、そんなことを言った。


「はい。彼女もわたくしと同じ、聖リリウム女学園の生徒でしたので、すぐに仲良くなれました」


 本当は一悶着あったのだが、それは言わない約束だ。

 クロエもその言葉に対して何も言わず、無表情のままエリーヌの傍らに立っている。


「あらそうなの? よかったわね、一緒にお勉強ができるわ」

「はい。それとお母様、この服、どうでしょう? 叔母様から頂いたあのワンピースを、彼女にプレゼントしたんですの」


 エリーヌはそう言って、クロエの横に立った。

 彼女には、昨日渡したワンピースを着てもらったのだ。


「あら、良いわね。ブローチと瞳の色が同じで、紺も深い黒髪に合ってとても素敵だわ。せっかくだし、クロエさんに着てもらった方がいいわね」


 彼女はエリーヌによく似た笑顔を浮かべて、クロエを褒めた。

 クロエはほんの少し、恥ずかし気に俯いた。

 

「……あの」


 クロエは俯き気味だった顔を上げて、ジュリエンヌを真っ直ぐ見る。


「先日は、母が大変ご迷惑をおかけしました」


 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。

 エリーヌもその母も、驚いた様子で彼女を見る。


「身を置かせていただいている分際で、あんなことを……きつく言っておきますので、どうかお許しください」


 丁寧な口調で、控えめな態度で、彼女は頭を下げた。先ほどまでの、エリーヌに対する態度とはまた違う。

 が、この半日ほどで、エリーヌは彼女の為人がなんとなくわかった。

 彼女もエリーヌと同じく、矜持を高く保っているわけではないのだ。


 その姿は、ただ母を想っているだけの少女だ。


「……顔を上げてください」


 ジュリエンヌがそう言うと、クロエはゆっくりと顔を上げた。


「そんなに畏まらなくても大丈夫よ」


 彼女は柔和な笑みを浮かべて、クロエを見ている。


「貴女も、貴女のお母様も、決して悪いようには扱いません。態度や礼儀など、気にする必要はありませんからね」


 ジュリエンヌは淑女として名高い夫人だ。

 高潔な彼女が、平民を過激に下に見ることは決してない。

 ということが娘のエリーヌには分かっていたので、クロエを止めなかった次第だ。


「聞いていましたね、クリストフ。使用人全員に伝えなさい。彼女たちを無碍に扱うことは、決して許しません」

「はっ」


 柔和な笑みから、凛とした表情に切り替え、ジュリエンヌは家令であるクリストフにそう言った。


「貴女のお母様の療養には、尽力させていただきます。もし機会があったらお話がしたいと、貴女の口からそう伝えてくださる?」

「……! はい、ありがとうございます!」


 クロエは、憑き物の落ちた顔をして、礼を述べた。


 見目や人格は、地位を問わない。

 花も実もある彼女だからこそ、競いたいとエリーヌは思ったのだ。



 こうして、クロエは屋敷の一員として認められ、一時の心配事はなくなった。

 

 明日からは、学園生活の始まりで、彼女たちの仮面生活の始まりである。

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