第3話 少女たちは近づく

 クロエの一言で、協力関係は結ばれた。

 彼女にとっては、損のない提案。むしろ、自分の立場を保つために、受け入れざるを得ない提案だ。

 彼女の返事を聞いたエリーヌは、触れていた手を退かして、再び席に着いた。


「そうと決まれば、今後のことを考えないと」


 エリーヌはニコニコと笑ってそう言った。

 クロエはまだ、苦々しげな顔をしている。


「貴女のお母様はきっと、わたくしたちの関係に気づいているでしょう。他に貴女の周りで、このことを詳しく知っている者は居て?」


 エリーヌがそう聞くと、クロエは考えるように斜め上を見た。


「いや……多分居ない。学内の友達は、私の身の上を私の口からしか聞いていない。近所の人間や知り合いにも、『面倒を見てもらうことになった』としか言ってない」

「なら、大丈夫ね。いくらでも誤魔化しが利くわ」


 周囲の人間に、『エリーヌの家にクロエが居る』ということを知られていないのであれば、噂として広がることはないだろう。

 彼女の生活のすぐ近くに学園の生徒がいないのであれば、学園でも広まることはない。

 ただ、クロエ自身とエリーヌが黙っていればいいだけだ。


「……今後の話をする以前に、まずお前が裏切らない保証が欲しい」


 そう言って、クロエはエリーヌを睨んだ。


「あら、そうね」


 エリーヌは顎に手を当て考えた。


「では、もしわたくしが現状このことを洩らした場合、貴女は他の人間に、『エリーヌわたくしと協力していて、エリーヌわたくしは風紀会の内通者である』と吹聴すればいい」

「たとえそうしたとしても、お前はその程度の戯言どうにかできるだろ」

「かもしれませんわね。でも、そもそもお父様は、あなた方を内密に家に呼んだ。身分差があまりに大きいので、醜聞になる可能性がある」


 つまり、この現状を学園内に広めることは、エリーヌにとっても少々デメリットがあるということ。

 当主である父の心証を悪くするのは、エリーヌとしても避けたい。


「ですので、わたくしもあまり大きな声では言えないの」

「……なるほどな」


 それを聞いて、クロエは先ほどまで険しかった表情を少し緩めた。

 腑に落ちたのだろう。


「問題は、お母様ね」


 エリーヌは、父母に学校での出来事を話しはするが、派閥の事までは話していない。

 だが、世間話として、多少学園の内情は耳に入っているだろう。


「お母様には、このことは内密にしておきましょう」

「できるのか?」

「派閥があることは知っているかもしれないけれど、その派閥のトップがわたくしとクロエだということは知らないでしょう。同じ学園の者であることは言って、それ以外の事ははぐらかしましょう」

「父親は?」

「お父様は、学園のことに対しては干渉しないので、大丈夫よ」


 貴族も集まるフロスティア大学校並びに聖リリウム女学園には、子供の可愛さあまり、学園内でも己の権力を行使しようとする者も少なくはない。

 だからこそ、学園の掟には『授業、学内活動、及び学園生活への保護者の干渉が発覚した場合、総合成績評価における減点又は生徒会が判断した処罰が下される』という項目がある。

 そう言った点で、父が干渉してくることはまずない。

 これまでの行動からして、クロエたちの事を安易に周囲に話したりはしないだろう。


「となれば……」


 エリーヌは、部屋の扉を見る。

 そして、パンパンと手を叩いた。


「カミーユ。入ってきて頂戴」


 彼女がそう言うと、部屋の扉が開き、先ほどまでエリーヌとクロエに付いて屋敷を回っていた侍女が入ってきた。


「彼女は、よくわたくしの身の回りを世話している侍女よ。カミーユ、ご挨拶して」

「カミーユ・ルニエと申します」


 彼女はそう言ってお辞儀をした。


「カミーユ。貴女、外でわたくしたちの話を聞いていたでしょう?」

「申し訳ございません、お嬢様」

「他言無用でお願いね」

「畏まりました」


 テンポよく繰り広げられる会話に、クロエは目をぱちぱちとさせた。


「カミーユ・ルニエ……って、経済学の授業に同じ名前の奴が……」

「よくご存じで」

 

 途端にクロエの顔が青ざめる。


「ご安心を。お嬢様に他言無用と言われた手前、言いふらしたりなどいたしません。それに私たちは、平民でも貴族でもありませんので、派閥争いにおいては蚊帳の外でございます」

「あっそう……」


 カミーユは、エリーヌを第一に考えてくれる侍女だ。

 たとえクロエのことが気に入らなくとも、エリーヌがそう言ったのであればと逆らうことはない。

 

「ところで、お嬢様。深くお話をされる前に、クロエ様の体裁を整えたいのですが、よろしいでしょうか」

「あら、そうね」


 エリーヌは、クロエの姿をじっと見た。

 彼女は容姿こそ綺麗だが、服装は少々みすぼらしい。

 服は継ぎ接ぎが多くある上に、男物だ。

 だが、それが逆に彼女の凛々しさを際立たせているようでもあり、様になっている。


「お風呂と、お召し物をご用意します」

「えっ」


 そう言われたクロエは、エリーヌの姿をまじまじと見て、顔を顰めた。

 『自分もその格好をするのか?』という表情だ。


「……いや、いい。いらない」

「そういうわけにはいきません。さあ」

「ふふ。行ってらっしゃい」


 遠慮するクロエをカミーユが羽交い絞めにして、部屋の外にある浴室へと連れられて行く。


 小一時間経って、彼女たちは戻ってきた。

 クロエは今まで着ていた身ぐるみを剥がされ、適当な部屋着に着替えさせられていた。

 先ほどまでの彼女の服装とは打って変わり、ワンピースのような服である。


「……なんか言えよ」

「あら。とてもお似合いよ」

「嘘つけ。だから嫌だったんだよ、動きにくいし!」


 心底不服そうな顔をして、彼女はワンピースの裾を持ち上げた。


「たしかに、貴女はさっき着ていた服の方が似合っているわ」


 エリーヌはそう言って、クロエの部屋のクローゼットを開けた。

 まだ数着しか服はない。それに、クロエの為人が分かっていなかったからか、彼女に似合いそうな服でもない。

 エリーヌが着ているような、フリルの付いた飾り気のある物ばかりだ。


「……似合うわけないだろ、私にフリルのスカートなんて」

「でも、制服はとても似合っているわよ」

「あれは丈の短いやつだからだろ。それに、もっとシンプルだ」

「そうねぇ……」


 そう言われ、エリーヌは顎に手を当て、クローゼットの中の服を見る。


「そうだ、カミーユ。去年の誕生日に、叔母様が送ってくださった服があったでしょう。あれを持ってきてくれる?」

「畏まりました」


 そう言って取りに行かせたのは、エリーヌが17歳の誕生日に叔母からもらったワンピースだ。

 深い藍色で、装飾を控えた代わりに、生地の良いものだ。

 胸元に水色のブローチが付いており、それが良いアクセントになっている。


 エリーヌはそれをクロエの体に合わせるように前に広げた。


「これなら、制服に似てシンプルで良いでしょう。どう? カミーユ」

「そうですね。スカートの丈も長すぎないですし、服全体の膨らみも少ないので、細身のクロエ様によく似合います」


 身体に服が添えられた状態で鏡を見たクロエも、あまり不満そうな顔をしていない。

 しかし、首を振った。


「いや、いいよ。お前が誕生日にもらったものだろ?」


 そう言って、彼女は服をエリーヌに押し返す。

 エリーヌはその手を握った。


「大丈夫よ。わたくしには合わなかったから、きっとこのまま箪笥クローゼットの肥やしになってしまうわ。似合う人が着て?」


 エリーヌは再び、クロエに服を持たせた。


「お古で申し訳ないけれど、お近づきの印に。ね?」


 もともとエリーヌは、父から妾の子にも仲良くするようにと言われていたのだ。

 それがクロエであろうと関係ない。

 むしろ彼女であるからこそ、仲良くしたい。


「……わかった」


 クロエは、ただ小さくそう返事をした。


「疲れたでしょう。明日は学校がお休みだから、明日もう少し深くお話ししましょうね」


 慣れない場所に着た挙句に、学校で敵対している人間が居たのだ。

 風呂も入ったので、彼女も疲れているはず。


「……」


 クロエは俯いたままだ。

 この屋敷に来てから、学校で見せるような飄々とした態度を彼女は見せない。

 エリーヌは、そんな彼女の顔を覗き込んだ。


「大丈夫よ。貴女も貴女のお母様も、決して悪いようには扱わないわ」


 敵対すらしていた人間の懐で、易々と眠ることはできないだろう。

 彼女の心配が、彼女自身ではなく母親に向いているということは察せられる。


「よかったら、わたくしの事は気安く『エリーヌ』と呼んでくださらない?」


 クロエの視線が、エリーヌへと向けられる。


「それと、今までのように、気軽な態度で話しかけてくださいな」

「……いいのかよ。どう考えたって、立場は私より上だろ?」

「せっかく同じ屋根の下で暮らすのだから、仲良くしたいわ」


 そう言ってエリーヌが顔を近づけると、彼女はほんの少し頬を赤くして目を逸らした。

 人らしい表情で、幾分かいじらしい。


「……わかったよ。だったら私のことも、クロエって呼べよ」


 諦めたようにそう言って、彼女は溜息を吐いた。

 そんな彼女を見て、エリーヌは満足げに笑う。


「もちろんよ」


 そうして、クロエのものとなった部屋を去り、エリーヌは自室へと戻った。


 あの胸の高鳴りは、きっと期待だったのだろうと思い、月を見て眠りについた。

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