#春の舞、季節は移ろう…… 10


 射線はユリアを挟んで前後から交差している。逃げ道はなかった。


 追撃がくる前に彼女は立ち上がり、近くにあった井戸の裏側へと素早く隠れた。幸いにもそこは、両方の銃弾からかろうじて身を守ることができる。だけどそれも、一時しのぎにしかならないだろう。


 絶体絶命の状況下だ。態勢を立て直す手立てを早急に考える必要があった。


 銃弾をもろに食らった背なかが、今になって激痛を訴える。患部に触れてみれば、手に赤い血が付着した。


いっったい……」


 常人であれば死は免れないはずの負傷だ。しかし彼女の容態は安定している。理由は単純で、ユリアが“不死者”であるからだ。


 それは人のことわりを外れた存在だ。尋常からはほど遠い、強靭な膂力りょりょくと、頑強な肉体を有しているのだ。だから、この程度の銃創は致命傷になり得ない。


 牽制けんせいの射撃と魔法を放ちつつ、両側からジリジリと迫ってくる襲撃者たち。増援に駆けつけた連中のなかには、ポンプ式の散弾銃を持つ者の姿も確認できる。

 拳銃とは比べ物にならない威力を誇る散弾銃は、さすがの不死者ユリアでも、まともに食らえば無事では済まないだろう。


 “奥の手”を使うしかないと、ユリアは踏んだ。

 心を鎮めて瞳を閉じ、軍刀を自身の首すじにあてがうと、彼女は何の躊躇ためらいもなく、刃を浅く引き切った。


「んっ……」


 首すじに生じたひりりとした痛みに、ユリアは少し表情を険しくさせた。


 白い肌ににじむ血が、白銀の刃を伝って流れていく。やがて刀身に吸収された血液は、大樹が張り巡らせた根を思わせる、不思議な紋様を刃に刻んでいった。また、柄頭にはめ込まれた翠玉も、ユリアの血液に呼応して、水にインクがにじむみたいに、みるみるうちに禍々しい深紅の色へと変貌を遂げた。


 閉じたまぶたが上げられたとき、ユリアの灰色だった瞳は、血を彷彿とさせる赤に様変わりしていた。


 準備は整った。あとの問題は、機会ときっかけだ。どの瞬間に反撃を仕掛ければ、襲撃者たちに最大限の痛手を負わせられるのか、わずかに残された猶予のなかで吟味する必要がある。


 だがきっかけの方は、ユリアが思いもよらないところから舞い降りてきた。


 燃える家屋のなかから、脆くなった壁を突き破り、誰かが飛び出してきた。その先には、増援の襲撃者たちがおり、彼らは驚がくに目を見開く。


 登場したのはオリバーだった。彼が高圧的な笑みを浮かべる。そして、野性味あふれるギザ歯を見せつけながら叫んだ。


「その首よこせぇぇ!」


 周囲を威圧するその荒々しい咆哮からは、結婚式を台無しにされた彼の激しいいきどおりが伝わってくるようだ。


 オリバーの得物は、身の丈を優に越す大きな剣である。振りかぶっていた無骨なそれが、力任せに振り下ろされた。


 散弾銃を持った男は突然のことに対応しきれず、不運にも一刀両断……もとい、その圧倒的な大剣の重量によって叩き潰された。

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