#腐敗した心 7

         ***


 ユリアとミミが宿泊する宿は、最高級とまではいかずとも、街で人気のあるところだった。

 一階はにぎやかな食事処となっており、上階に宿泊用の個室が用意されていた。


 気分が悪く、何も食べる気も起きないユリアは、ひと足先に部屋へと戻った。


 ミミは、その愛らしい容姿と、社交的な性格とが相まって、店の人はもちろん、利用客からも人気の的だった。


 人から好意を向けられることは、けっして悪い気分はしない。それに勝る幸福をミミは知らなかった。

 ミミが愛想を振りまくのは自分のためである。それが、彼女が身につけた処世術なのだ。


 だから、どれだけ面倒な相手にからまれても、また、本来邪魔しないでもらいたい食事の最中だったとしても、ミミは周囲の人々に愛想良く対応してまわった。


 ひと通り挨拶をし終え、ミミは適当な理由をつけて人の輪から抜け出し、スープとパンを持って、ユリアの待つ部屋へと向かった。


「先輩、入りますよ」


 すっかり日は落ち、室内は暗い闇に沈んでいた。ベッドの上で、小さく丸くなっているユリアの姿が確認できる。


 ミミは後ろ手で部屋の扉を閉め、そっと鍵をかけた。


 周囲に人の気配はしない。ほかの誰にも見られて、あるいは、聴かれていないことを確認したのち、ミミはまとっていた“笑顔の仮面”を外した。

 子犬を思わせる愛嬌のある顔立ちが一気に豹変する。


 ベッドわきの小卓に、運んできた料理を雑に置いたミミは、寝ていたユリアの胸ぐらを掴んで、無理やり引き起こした。


「おい……おい……おい……!」


 軽べつの念をはらむ低い声で何度も呼びかけ、往復ビンタをしながら、ユリアの意識をミミに向けさせた。


 ミミは薄い笑みを浮かべた。水面に薄く張った氷のような、冷ややかで、危うい印象を抱かせる表情である。間近に迫った、はしばみ色の瞳の奥には怪しい光が灯っている。


「ご飯の時間ですよ……?」


「食べたく……ない……」


 ユリアの意思など聞いていない。


「食べてください……あーんして……あーん……」


 ミミは、ちぎったパンをユリアの口に詰め込んだ。


「どう、おいしい?」


 ユリアが答えるよりも先に、ミミはさらにパンを口に入れてきた。それは明らかに、ユリアが飲み込む速度に比べて、ミミがパンを運ぶ速度のほうが早い。

 ユリアの口内は、すぐに無理やり押し込まれたパンで一杯になった。


「ほら、早く早く!」


 ミミは楽しんでいるみたいだった。

 ユリアがパンをのどに詰まらせ、えずくと、彼女はキャッキャと面白おかしく笑った。


 ユリアが口から吐き戻し、床に落ちたパンの塊を拾ったミミは、もう一度彼女の口に、容赦なく捻じ込んだ。


「やめ、て……」


「や、です。せっかく用意してくれた食事ですよぉ? 残したら失礼じゃないですかぁ」


「うっ……うんん……」


 ユリアは苦しげに唸りこそすれど、ミミの行為をとがめたり、怒ったりすることはおろか、一切の抵抗も示さない。それは、端から見れば異様に映るのかも知れないが、彼女自身が望んだことなのだ。


「そういえば先輩、どうして、さっきあのガキに構ったんですか?」


 処刑された男の、幼い娘のことだ。


「まさか、同情しちゃったんですかぁ? 先輩があの親子を不幸の底に突き落としたんですよね? なら、今さら良心が痛むなんて、虫が良すぎるじゃないですかぁ!」


 ミミはユリアをあざ笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る